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10/12/2023, 1:06:06 AM

目を覚ます
カーテンの隙間から朝陽が漏れて、部屋を薄明るく照らしていた。遮光カーテンだから本当は部屋に光は届かないのだけれど、毎回締めが甘いのかいつも隙間が空いている。
その隙間から、徐に外を覗き見た。
冬の冷気が窓越しに肌を刺す。ひんやりと凍った空は嫌味なくらいに透明で、朝焼けの光が焼きついた。
カーテンを開けないまま、窓を少しだけ開ける。隙間の隙間からいろんな人の生活が一気に聞こえてきて、澄んだ冷風が生ぬるい室内へ入ってきた。
風に当たり、寒さに震え、音を聞く。
近所の高校生が元気に行ってきますと家を出て行った。同時に八百屋からトラックが出て行くエンジン音。
自転車に乗った中学生が新聞配達のバイト帰りに焼き芋屋で焼き芋を買って、それを見た出勤前の男性が自分も一つと声を張り上げ駆け寄って行く。
「佳奈、朝よー。今日も学校行かないの?」
嫌な声に、思わずうずくまった。何度かトントンと部屋の扉を叩かれ、返事がないとわかると、お母さんは扉の前にご飯を置く。
「お母さんもう行っちゃうからね、お風呂入りなさいよー」
呼吸がうまくできなくなった気がして、思わず口を開け大きく吸い込む。ぜぇぜぇと息が荒れる。さっきまで簡単にできてたのに。
うずくまった自分からは、外とは違う、すえた匂いがした。

7/3/2023, 11:11:24 AM

とん、てん、とん。間抜けな音を立ててみかんがいくつか転がっていった。
「あ、待って」
気の抜けた声を上げる。我ながら、このふにゃんとした声音はどうにかならないものか。腕の中には五つのみかん。先程まで八つありました。みかんはいったいいくつ転がっていったでしょう。
「待って、待って」
車通りどころか、人通りの少ない田舎道。車が通るには狭いし人が通るには急な坂道を登った先が我が家で、小高い丘の上の家となっている。ひぃひぃ言いながらいつまで経っても疲れる坂を上り切った矢先にこんなことがあって、ちょっとだけ運が悪い。
「へぶ」
嘘。すっごく運が悪い。
石に足が突っかかって、あっと思った頃には身体中に衝撃。みかんは放り出されて、潰されたのがいないだけ幸い。
「……うぅ〜……!」
流石に泣きそうになる。腕の中にはゼロ個のみかん、転がっていくのは八つ。高校生にもなって転んで泣きべそなんて情けないけど、高校生にもなってこんなに盛大に転ぶのもとっても惨めだ。
でも惨めと情けないを重ねがけしたって個々の情けなさは減らないし、とりあえず立ち上がる。スカートについた土汚れをぱっぱっと払って、ズキズキする膝を一旦無視。
「ま、まって……」
下り坂だから勢いよく転がっていくみかん。秋ごろの夕陽みたいに色付いたそれは、下町のおばちゃん渾身の逸品らしい。善意で貰ったそれを放り出すのは、一般的に人間に配布された善意がよしって言わないじゃん?
ころころ、ころころ。転がっていくみかんを追っかけて走る。
なんだっけ、こういうのお話にあった気がする。
(えっと、確か……おむすびころころ、みたいな)
子供の頃一回だけお母さんに読んでもらった。あれも確か食べ物……おにぎりが転がっていくお話のはず。
(お話通りだったら確か、追っかけた先に……)
と。みかんが一つ、ふっと消えた。
「え!?」
違う、消えたわけじゃない。坂の一番下に穴がある。それもなんだか、人が入れそうなくらい……
「ま、待って! 止まってぇ!」
叫びも虚しく足は止まってくれないしみかんはころんころんと穴の中に落ちていく。あの話と違うのは、このまま行くと私も落ちてしまうくらい。いやいや、底が見えないよ。ていうかなにあの穴、確実にさっきまでは無かったよね!
「と、止まれな……!」
あいにくと私は走るのがとっても苦手。
それなのに坂道を、自分なりに全速力で走ってた。走るのに慣れてない人って止まるのにも慣れてない。まぁ自明の理ではあるんだけど。
次に踏み出した足を踏ん張る、次に踏み出した足を踏ん張る、ダメだった、だったら次こそ──
ぐ、と力が入った。ようやく止まれる。と思ったら穴は目前で、そして、次の次に出す足のことをすっかり忘れていた私は情けなくガツッと足をもつれさせる。
もちろん体は傾いて。
「ひぇええ」
やっぱり間抜けな声。私って最期に上げる声も気が抜けてるんだろうな。
そんなことを考えながら──多分もう諦めてた──私は目を瞑り、ふっと気絶する。
「ああ忙しい、忙しい!」
……次に、その声が耳に届くまで。

6/15/2023, 12:30:17 AM

講義をサボって街に出た。
一時間一本のバス、大学に向かうそれとは逆方向。三十分かけて、人の少ない車内に揺られて王様気分。
少し前に友人と行ったカフェでお茶をして、駄菓子屋で大人買い。そうだバスボムを買おうとスーパーを覗く。
……知ってた? 商店街ってバスボム売ってないんだよ。
カモメの鳴き声が聞こえる。別に確認したわけじゃないし、海辺の出身でもないから、本当にカモメかはわかんないけど、とにかく海の音がする。
海の方とは真逆に歩くと、山の麓に踏切と鳥居。鳥居の奥に秘された踏切はなんだか大仰な気配がした。
みんな仕事してるのかな、学校かな。戻ってきた商店街には客が居ない。
あーあ、明日からどうしよう。今日の講義、中間テストなんだよねぇ。
正直不安で仕方がない。物語で見るような破天荒な性格でもないし、だからと言って真面目が性に合うわけでもないから、休んじゃったら仕方ないって気分と、落としたらどうしようって気分が同居してる。
はぁ。ため息が出た。空を見ると曇ってる。やだな、こんな時くらい晴れててよ。商店街のベンチに座って一休み。すぐに体がソワソワして歩き出す。あてもない。早く帰ったほうがいいのにさ。
自己責任、自己責任。別に自由が嫌いじゃないけど、欲しかったわけじゃないし、うるさいお母さんに怒られて過ごすのも嫌いじゃない。自由が欲しい大多数と違って、敷かれたレールをただひたすらなぞるのは楽しいし、苦じゃないんだ。
わたしはわたしの人生を結局自分が楽しむためにしか使えないし、その為にはスマホひとつさえあればいい。無責任に文字を書いていたいんだよ。
でも大人になると自由が強要される。一緒に勝手に自己責任までついてくる。人生のお得パック。別にどっちも欲しくない。
「ま、休んだんなら仕方ないよねぇ」
今更後悔しても仕方ない。人生も休講も。
でもやっぱ、心の奥では単位落としたらどうしようなんて思ってる。くだらないね。
「ああもう、晴れたらいいのに」
朝からあいまいな空模様は、今度は雨らしい。

5/18/2023, 3:22:57 PM

物語の中はいつも、喜劇的で美しい。お姫様に選ばれる勇者様、王子様に愛された可愛い女の子。
別に、お姫様になりたいんじゃない。可愛いフリフリの格好をして、この格好をした自分が可愛いっていう勇気も、この格好が自分なんだと言える自負もない。
というか自分って、みんないつ決めるんだろう?
「知らん。そもそも別にみんな、自分ってもんが決まってるわけじゃないし」
「そ、そうなの?」
「そうだよ。自分はこうって勝手に思い込んでるだけ。選択肢を狭めた方が楽だから」
桜散る。不良がたむろしてるって噂の校舎裏には僕達しかいない。というか、僕達が不良なんだろうな。喧嘩もそこそこするし、授業もサボるし。
「人って意外と、死ぬまで自分のことなんてわからんよ」
達観したように言う彼の手元にはいちごみるく。お気に入りのそれを大事に飲んで、染めたせいでパサパサになった金髪を春風に靡かせていた。
「でも、お話の中の人たちはみんな自分を決めてるよ」
「そりゃお前……もっと本読めって。童話だけじゃなくてさ」
幸せな結末の絵本だけ読む僕と違って、彼は結構読書家だ。毎年読書感想文では金賞で、もらった読書カードはいつもすぐ本屋に行って難しそうな本に変えている。だから、彼は僕よりずっと頭が良くて、ずっと物知りだ。
「本を読んだら、僕の気持ちが恋かどうかわかるのかな」
「…………さぁな」
彼は散っている花弁みたいに頬を染めて、きゅっと唇を突き出した。
みんな、恋ってどうやって判断してるんだろう。それって友達と違うのかな。違うって、どう違うのかな。
「君にも知らないことがあるんだねぇ」
「俺を何だと思ってんだ」
「ともだち……たぶん?」
何でも知ってると思ってた友人にも、知らないことがあった。それだけのことがどうしてか愉快。どうしてか聞いても、きっと彼は答えないんだろう。
ねぇ、これは恋になるのかな。それともただの友情なのかな?
僕は本を読まないから分からないけれど、もし恋だったのならいいなと思うよ。
「分かったら、君にいちばんに教えるね」
お姫様になりたいんじゃない。
君の、王子様になりたいんだ。

5/17/2023, 10:17:14 AM

ゴミ収集車が、外でゴミを回収している。
わたしはそれを聞きながら、そっと息を吐いた。今日燃えるゴミに出したあのひとへの手紙は、もう無事に持っていかれたのだろうか。
ラジオの中では昭和の名曲が流れていて、外は車の行き来と風の音。静かだと思っていた夜は、起きてみれば存外に騒々しい。
ようやく決心がついた。ペンを動かす。
幸せそうな結婚式への招待状。出席へ丸をつける。
大好きだったあなたの顔は、見たことないくらいに可愛らしく笑っていて。ああ、純白のウェディングドレスがよく似合う。
枯れたと思った涙が、また溢れ出した。

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