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とん、てん、とん。間抜けな音を立ててみかんがいくつか転がっていった。
「あ、待って」
気の抜けた声を上げる。我ながら、このふにゃんとした声音はどうにかならないものか。腕の中には五つのみかん。先程まで八つありました。みかんはいったいいくつ転がっていったでしょう。
「待って、待って」
車通りどころか、人通りの少ない田舎道。車が通るには狭いし人が通るには急な坂道を登った先が我が家で、小高い丘の上の家となっている。ひぃひぃ言いながらいつまで経っても疲れる坂を上り切った矢先にこんなことがあって、ちょっとだけ運が悪い。
「へぶ」
嘘。すっごく運が悪い。
石に足が突っかかって、あっと思った頃には身体中に衝撃。みかんは放り出されて、潰されたのがいないだけ幸い。
「……うぅ〜……!」
流石に泣きそうになる。腕の中にはゼロ個のみかん、転がっていくのは八つ。高校生にもなって転んで泣きべそなんて情けないけど、高校生にもなってこんなに盛大に転ぶのもとっても惨めだ。
でも惨めと情けないを重ねがけしたって個々の情けなさは減らないし、とりあえず立ち上がる。スカートについた土汚れをぱっぱっと払って、ズキズキする膝を一旦無視。
「ま、まって……」
下り坂だから勢いよく転がっていくみかん。秋ごろの夕陽みたいに色付いたそれは、下町のおばちゃん渾身の逸品らしい。善意で貰ったそれを放り出すのは、一般的に人間に配布された善意がよしって言わないじゃん?
ころころ、ころころ。転がっていくみかんを追っかけて走る。
なんだっけ、こういうのお話にあった気がする。
(えっと、確か……おむすびころころ、みたいな)
子供の頃一回だけお母さんに読んでもらった。あれも確か食べ物……おにぎりが転がっていくお話のはず。
(お話通りだったら確か、追っかけた先に……)
と。みかんが一つ、ふっと消えた。
「え!?」
違う、消えたわけじゃない。坂の一番下に穴がある。それもなんだか、人が入れそうなくらい……
「ま、待って! 止まってぇ!」
叫びも虚しく足は止まってくれないしみかんはころんころんと穴の中に落ちていく。あの話と違うのは、このまま行くと私も落ちてしまうくらい。いやいや、底が見えないよ。ていうかなにあの穴、確実にさっきまでは無かったよね!
「と、止まれな……!」
あいにくと私は走るのがとっても苦手。
それなのに坂道を、自分なりに全速力で走ってた。走るのに慣れてない人って止まるのにも慣れてない。まぁ自明の理ではあるんだけど。
次に踏み出した足を踏ん張る、次に踏み出した足を踏ん張る、ダメだった、だったら次こそ──
ぐ、と力が入った。ようやく止まれる。と思ったら穴は目前で、そして、次の次に出す足のことをすっかり忘れていた私は情けなくガツッと足をもつれさせる。
もちろん体は傾いて。
「ひぇええ」
やっぱり間抜けな声。私って最期に上げる声も気が抜けてるんだろうな。
そんなことを考えながら──多分もう諦めてた──私は目を瞑り、ふっと気絶する。
「ああ忙しい、忙しい!」
……次に、その声が耳に届くまで。

7/3/2023, 11:11:24 AM