【香水】
高校生にとって香るものといったら制汗剤とかハンドクリームの、ブランド物に較べたらなんだか素朴な香り。ああそれと…もう一個あった。
少し前を歩いていく君の、あまい柔軟剤の香り。
思い出しちゃうなぁ。
【言葉はいらない、ただ…】
私はどうも、話すのが不得手らしい。
学校で友達とバカなこと言って、はしゃぎ合う。
でも自分が発端になることは少な目だ。
小さい頃から遊んでくれたうさぎのぬいぐるみも、あの三本アームが運命的な出会いをもたらしてくれたシマエナガも。
大好きだ。でも、言葉には出さない。
夜、布団の中でいつも抱きしめる。その不思議な安心感の中では言葉など不要だと思う。
ふと本を置き、重くなったような左腕に目をやる。
嗚呼…………
寝ている彼はどこか精悍だけど儚げであってかわいらしい。サラサラな髪と長い睫毛が目元に影を落としていてるのがなんか色っぽい。かわいー。
細い前髪に触れてみる。
癖毛の私にはこの髪質がとにかく羨ましい。
綺麗だ。
この空間に何も言葉はいらないだろう。
【つまらないことでも】
最近の若い人間はにつまらないことでも本当によく笑う。
まったく、そんなことでエネルギーを使ったら一日中寝ていてもたりないだろうに。
吾輩は猫。 名前は知らん。
今日もあの2人組の若い娘たちが
『スーパーの焼き芋が安くなった。』だの、
『あの雲は犬みたい。』『いや違う。猫だ』とか
やれやれ、単独行動の猫には知り得ないものよ。
猫は群れを作らない。
今日その日を寝て起きて、食料を探す。誰かに気を遣うこともない。その日の情景を眺めて生きることにただひたむきにいる。
食うもの、焼き芋の話しはともかく、雲はどうにでも変わるんだ。何に見えても不思議はないだろう。
『あれー猫ちゃんだ。焼き芋食べるかな?』
夕暮れ時、チャイムの音が聞こえて少しした時刻。
さっきの2人が目の前にいた。
『えー猫って肉食でしょ?』
ふわりと甘い、黄色い香りが立ち上る。
そういえば最近獲物を捕る回数が減った気がする。
『わ~食べた食べた。』『って、かわいい…っ!!』
芋の味に、いつぞやの記憶を思い出す。
生暖かい、人間の膝の上で丸くなっていた。
あの時上から落ちてきた屑もこんな味がした。
あぁ、そうだ。僕にも独りで生きていなかったときがあったんだ。
ふいに風の冷たさがしみた。
『ね、うちらの家に来る?』
飼われるなんて、猫にとってはつまらない出来事。
でも、
『にゃ~』
【目が覚めるまでに】
〈産業革命、イギリスの話。〉
朝、まだ夜が明けたばかりで空の色にオレンジ色や紺色がまじっているとき。
私の1番好きな時間。
それに、このときは昼間に飛び交う大きな罵声も、夜の絡みつくような得体の知れない、ちょっと気持ち悪い視線がないから。
そして何より、優しいひかりに照らされて、私たちの住む街ーというより“棲家”の疲れたみたいな壁のひび割れや、昔にこぼした工場の薬の跡がきれいな模様みたいに見えてくる。
『今だけは私が1番偉いのよ。』
帰って来たらいっつも“ジン”っていうお酒を飲む大人たちはまだぐっすりと眠っているから。
日よけの帽子のヴェールと、長いエプロンとワンピースは朝に着る清楚なドレス。
憧れのお姫様になった気分で、薄茶色レンガの上を光に包まれながら跳ね歩いて、大きな灰色の機織り工場までの路を行く。
街が目を覚ますまで。
毎日の、私の日課。
目を覚ましていても、夢をみる。
【病室】
『まったくドジだよねぇ…。』
公園に行って、ふざけてブランコから飛び降りて骨折なんて。
ジロリと視線を向けた先には、いつもと同じ様なへらへらした笑い顔の彼がいた。
『ごめんごめん、いやーそこで小学生見たらついやりたくなっちゃってさ。』
『ふーん…。とにかく、こんな事になったのぜぇっっったいに許さないからね!!』
『分かってるって、しっかしほんの数年前は仲間内で一番飛べたんだよ。』
分かってますよ。
5年前、私の病室はこの部屋よりももっと下の階で、丘とブランコしかない窮屈な公園を一枚の壁が隔てていた。
小さい上にあの病室の窓はベットから少し離れていたからブランコの手前の、飛び降りて着地するあたりしか見ることができなかったけど。
奇妙な縁もあるものだ。