夢を見たんだ。
君とボクでどこまでも続く花畑の中。アネモネ、マリーゴールド、シクラメン…
まるで花束の中にいるみたい。
夢の中でも君は素晴らしく綺麗で、満開の牡丹のように満面の笑顔で。
少女の時のように、君はボクの手を引いていく。
どこへ行くの?
どこへでも。
ずっと一緒だったもんね。さくらんぼみたいに、2人でひとつ。
ボクは夢の中なのも忘れて、むしろ、君が他の誰かに花を散らされたことの方が夢のような気がしたんだ。
君が誰かのものになっても、君が幸せならそれで良かった。それだけで良かったのに。
そっと摘んだ黄色いスイセンを君に手渡す。
困ったように君は青いロベリアをボクにくれるんだ。
それならと、マルベリーの花束を君に捧げる。
嬉しそうに受け取った、ボクらの周りにアイビーの花が咲き乱れた。
まるで結婚式みたいだ。
君と番う、そんな
夢
【目黒探偵事務所】
明朝体で象られた社名が表札に飾られたマンションの一室。そこが目黒探偵事務所のオフィスだった。
「こんな時間からわざわざすまん。」
検視官の鳶田さんが目黒探偵と軽く握手を交わすのを倣う。
「はじめまして、鑑識課の守山です。」
「来てもらえて嬉しいよ。連日のニュースで僕はもう気になって仕方がなくてね。」
黒縁のメガネを押し上げながら、踊るような所作で我々をソファへと勧める。想像していたよりかなり若く、32歳の自分とあまり変わらないように感じる。
連日起こっている、不審水死体引き揚げ事件。誰もが頭を悩ます担当に不幸にもなってしまった鑑識官の守山と、検視官の鳶田に事件の謎を解くカギを与えたのが、この目黒探偵だった。
「これがお出し出来る一連の事件の概要です。」
さすがに資料の全てを渡せるわけはなく、内容をまとめ直した資料を渡す。
10日間続いた不審な事件、被害者の誰もが誰かに執着されていたが、相手もまた、行方不明か故人。その事件の前後からSNSで話題になっている“海神様へのおまじない”。
資料をパラっと捲った目黒は得心がいったように軽く息を吐く。
「まあ……“人ならざるもの”の仕業だろうねぇ…」
深く頷きながらオフィスチェアにどさりと腰を下ろす。弾んだスプリングの音が耳に煩わしい。
「ひ、人ならざるものですか…」
思わずどもる守山に、目黒の眉がつり上がる。信じられないと言うことか?と言外に責められているように感じ、守山は革張りのソファで身を縮めた。
「たとえば、これ。」
目黒は人差し指を立てると、デスクにある車の模型を指した。
ミニカーと呼ぶには少し大ぶりなそれは、自分も子供の頃熱中した映画に出てくる、時をかける車だ。
「タイムマシーン…ですか。」
過去へも未来へも行ける魔法のような自動車。あの自動車に憧れて自分は理系の道に進んだのだ。尤も、最終的に選んだのは工学ではなく理学の方だったが。
「タイムマシーンを非科学的でファンタジーなものだと思っていないかい?」
心臓がどきりと跳ねた。
「アインシュタインの相対性理論をご存知かな?」
「時間と空間の理論体系…ですがそれは…。」
「現在の技術では不可能?それは単に我々が遅れているだけだ。一切が不可能なわけじゃない。」
目黒が両手を振り上げて大仰に力説する。
「光速を越えれば時間が止まる、光速で動けば未来に行ける、強すぎる重力では時空が歪む。どうだい、タイムマシーンですら現実になった。」
そうだ。理論上はタイムマシーンですら不可能ではないのだ。守山の中の少年が疼いていた。
「地球が平らだと思われてた時からヨーロッパと日本の両方で人魚がいると言われてきたんだ。空想だとして、こんな偶然あるかい?私は人魚はいると思ってる。人魚がいるなら、神様がいたって不思議じゃないさ。」
「つまり、海神様の呪いというのも可能性があると。」
それまで黙っていた鳶田さんが口を挟む。そうだ、つい映画でも見ているかのように聞き入ってしまったが、本題はここにあった。
「もっとも……“海神様”が本当に神様かはわからんけどね。」
眼鏡の奥で瞳をギラギラさせながら、目黒がニヤリと笑った。
「これまでに揚がっている仏は6体。」
検視官の鳶田は喉の奥をぐぅと唸らせた。こんな事件、検視官になってから10年見たことない。生きてきて44年で一番不可解な事案かもしれない。
発端は工場地帯裏の海辺で水死体が見つかったことだった。なんてことはない、単なる自殺だろうと片付けられたのだが、そこからわずか10日の間に同じ場所で5人の人間が変わり果てた姿で発見されたのだ。
「いずれも年代、性別ともに見事にバラバラですね。」
鑑識官の守山が資料をパラパラと捲りながら応える。不気味で不可思議なこの事件に誰もが二の足を踏んでいたところ、あてがわれたのがこの男だった。32歳と若いながらに鑑識官となり、有望株だと言われている。
守山の資料を元に、ホワイトボードに書き出していく。
・50代 男性 会社員
・20代 男性 コンビニ店員
・10代 女性 高校生
・30代 女性 主婦
・40代 男性 無職
・10代 女性 芸能人
「いずれも外傷などはなく、当日もいつも通り生活していたと。」
守山が首を傾げながら資料を読み上げる。
「つっても、自殺にしても動機がないんだよな。」
「そうですね…ただ、トラブルって程ではないんですが、最初の会社員男性以外はちょっと対人関係に問題があったみたいです。」
「それは男女の惚れた腫れただの過ぎた友情とかのレベルだろ。まあコンビニ店員は粘着されてたみたいだが。でも全員相手は…」
「行方不明、もしくはすでに故人。ですね。」
守山が噛みしめるように答えた。そう、ほぼ全員がストーカーのレベルではないものの、誰かに執着されて困っていたと報告が上がっている。しかし、その全ての相手が事件より遥か前に亡くなっているか、失踪しているのだ。
嫌な沈黙が会議室の空気を埋める。
「…非現実な、非科学的なことで、今回の事とは関係ないかもしれないんですが…」
重苦しい空気を破ったのは、なんとも歯切れの悪い守山だった。
「最近SNSを中心に『海神様』というのが流行ってまして、願いを海神様が聞いてくれるとか。」
「つまり、海神様に呪われたとか言いたいのか?」
「……。」
守山はうつむき黙り込む。バカにされたと思ったのだろう。そして本人もあり得ないと思っているのか。しかし、そんな空想染みた話にも飛び付きたくなるほど、今回の事案は難解だ。しかし…
「バカにはしてねぇよ。むしろ実際にあるんだ。科学では証明できねぇ事件ってのが。」
鳶田の言葉に守山が勢いよく顔を上げる。
「鳶田さん、それって…」
コンコン
守山が椅子から立ち上がりかけた時、会議室の扉が控えめに叩かれた。
「どうぞ。」
鳶田が促すと、若い女性警察官がおずおずと入ってきた。
「あの、外部の方にこれを渡して欲しいと言われまして…」
差し出されたのは簡単に折り畳まれたメモ用紙だった。受付もとっくに終わり、夜の帳が降りはじめた非常識な時間帯に誰がこんなものを。
「誰にだ?」
「目黒探偵事務所と伺ってます。」
ヒュ
思わず息を飲んだ。なんてタイミングだ。
問題ないから下がって良いと伝え、扉が完全に閉まるのを見届けてから口を開いた。
「守山、今日まだ残れるか?」
「え、あ、はい。大丈夫です。」
「さっきの探偵事務所だよ。科学では証明できない事件を解決してくれんのは。」
手渡されたメモを、守山にも見えるように開く。
“海神様を知りたくありませんか?”
「これは…」
ごくり
守山の唾を飲み込む音がやけに大きく耳についた。
「特別な夜に、なりそうだな。」
「ね、聞いた?イタ子最近ヤバいって。」
「聞いた聞いた。徘徊?してるって。」
昼休み、いつもの友人達と、いつもとは違う会話。
「イタ子って?」
聞きなれない名前にぼんやりと見ていた端末から顔を上げる。
「知らない?駅前によくいるんだけどさ。」
曰く、ロリータファッションの小太りの女で、手鏡を見ながらぶつぶつ呟きながら歩いているらしい。
呟いている内容がおまじないのような、お祈りのような言葉らしく、痛い子とイタコを掛け合わせてイタ子と呼ばれているのだとか。
それだけなら害はないのだが、時折誰かをターゲットにしては後を追いかけるそうだ。
「イケメン追いかけてることが多いかな。女の子で追いかけられてるとしたら大抵その彼女。」
「うわぁ…結構怖いね。」
「でしょ。それが最近鏡も見ずに虚ろな顔で徘徊してるみたいでさ。噂ではちょっと前に変な行動してたみたい。コンビニのイケメンに執着してたから、ついに呪いでもかけたんじゃないかって言われてるよ。」
呪いってほら、穴二つ?自分にもかえってくるとか言うじゃん?
と言う友人の言葉が目の前を通りすぎる。なんとも信じられない話だ。
「そう言えば呪いって言えばさ…」
渋い顔で黙り込んでしまった私に気遣ってか、もう一人の友人が明るく話題を変える。
「黄昏時の誰もいない海で願いを書いた紙を流すと、海神様が願いを聞いてくれるらしいよ。」
呪いじゃないんだけど、実際に願いが叶ったとか、海神様の姿見たとか言う子もいてさ。
□□□
オレンジと紫が合わさったような、なんとも言えない色合いの空を、広大な水鏡が反射する。
キラキラとした水しぶきがどこか物悲しくて、なんだかノスタルジックな気分になる。
放課後私はまっすぐ海まで来ていた。噂に感化されたと言われれば、そう。女子高生なんて、好奇心と流行が大好きなんだから仕方ない。
噂を鵜呑みにしたわけじゃないけど、藁にもすがりたい願いごとというのは誰にでもあるものだと思う。
防波堤へ降りて、不安定なテトラポッドを進む。
ふと、海の中に一ヶ所だけ夕日を反射していない場所があった。障壁もないのに、不自然に波も立ててないソコは、不気味なのに何故か目を離せない。
それどころか、体はその暗闇に向けて腕を延ばしていた。
気づいたら腰まで海水に浸かり、腕も海の暗闇を捕らえていた。
腕はぐんぐん進み続ける。自分から向かってるのか、引っ張られているのかわからない。
これ以上は、駄目。
脳ミソがけたたましく警鐘を鳴らしている。
呑まれる、駄目、怖い、食われる、嫌、嫌、イヤ、イヤ、イヤイヤイヤイヤイヤイヤイ
イ
イトヲシイ
海の底の真っ暗闇がにやりと嗤った。
「今日はやけにキレイだね。」
「わかる?特別な今日の為にリップもワンピースも新調しちゃった。」
全身鏡の中で新品のスカートをくるくると翻すキミ。真っ白なシフォンがふわふわと、甘いキミによく似合う。
【本日未明、50代と思われる男性の遺体が発見されました。警察は事件性はないとしており…】
テレビの中では全く美しくないことばかり。でもそれですら今日を彩るノイズになるの。
だって君に会いに行くんですもの。
いつも買い物に行く私に優しく微笑んでくれる君。
きっといい日になるわ。
私と君を邪魔する悪魔もいなくなった。きっと神様の思し召し。
そっと鏡の中のキミに手を伸ばす。キミと君は運命だ。君にはキミが相応しい。
鏡の中のキミはにっこり微笑み返す。
あぁ…君に
アイタクテ