【目黒探偵事務所】
明朝体で象られた社名が表札に飾られたマンションの一室。そこが目黒探偵事務所のオフィスだった。
「こんな時間からわざわざすまん。」
検視官の鳶田さんが目黒探偵と軽く握手を交わすのを倣う。
「はじめまして、鑑識課の守山です。」
「来てもらえて嬉しいよ。連日のニュースで僕はもう気になって仕方がなくてね。」
黒縁のメガネを押し上げながら、踊るような所作で我々をソファへと勧める。想像していたよりかなり若く、32歳の自分とあまり変わらないように感じる。
連日起こっている、不審水死体引き揚げ事件。誰もが頭を悩ます担当に不幸にもなってしまった鑑識官の守山と、検視官の鳶田に事件の謎を解くカギを与えたのが、この目黒探偵だった。
「これがお出し出来る一連の事件の概要です。」
さすがに資料の全てを渡せるわけはなく、内容をまとめ直した資料を渡す。
10日間続いた不審な事件、被害者の誰もが誰かに執着されていたが、相手もまた、行方不明か故人。その事件の前後からSNSで話題になっている“海神様へのおまじない”。
資料をパラっと捲った目黒は得心がいったように軽く息を吐く。
「まあ……“人ならざるもの”の仕業だろうねぇ…」
深く頷きながらオフィスチェアにどさりと腰を下ろす。弾んだスプリングの音が耳に煩わしい。
「ひ、人ならざるものですか…」
思わずどもる守山に、目黒の眉がつり上がる。信じられないと言うことか?と言外に責められているように感じ、守山は革張りのソファで身を縮めた。
「たとえば、これ。」
目黒は人差し指を立てると、デスクにある車の模型を指した。
ミニカーと呼ぶには少し大ぶりなそれは、自分も子供の頃熱中した映画に出てくる、時をかける車だ。
「タイムマシーン…ですか。」
過去へも未来へも行ける魔法のような自動車。あの自動車に憧れて自分は理系の道に進んだのだ。尤も、最終的に選んだのは工学ではなく理学の方だったが。
「タイムマシーンを非科学的でファンタジーなものだと思っていないかい?」
心臓がどきりと跳ねた。
「アインシュタインの相対性理論をご存知かな?」
「時間と空間の理論体系…ですがそれは…。」
「現在の技術では不可能?それは単に我々が遅れているだけだ。一切が不可能なわけじゃない。」
目黒が両手を振り上げて大仰に力説する。
「光速を越えれば時間が止まる、光速で動けば未来に行ける、強すぎる重力では時空が歪む。どうだい、タイムマシーンですら現実になった。」
そうだ。理論上はタイムマシーンですら不可能ではないのだ。守山の中の少年が疼いていた。
「地球が平らだと思われてた時からヨーロッパと日本の両方で人魚がいると言われてきたんだ。空想だとして、こんな偶然あるかい?私は人魚はいると思ってる。人魚がいるなら、神様がいたって不思議じゃないさ。」
「つまり、海神様の呪いというのも可能性があると。」
それまで黙っていた鳶田さんが口を挟む。そうだ、つい映画でも見ているかのように聞き入ってしまったが、本題はここにあった。
「もっとも……“海神様”が本当に神様かはわからんけどね。」
眼鏡の奥で瞳をギラギラさせながら、目黒がニヤリと笑った。
1/23/2024, 6:29:42 AM