明確にいつそうなってしまったのか ずいぶんと前から?
思い出すことができないけれど、私にとってそんな存在は確かにいて
母のことがどうしても好きにも嫌いにもなれない
正確にいうなら、好きな時期も嫌いな時期もあったけれど、
今、好きでも嫌いでもない存在になってしまった
同じ空間にいると、息が詰まるような
あの人と出かけるなんて想像できないような
そんな存在
馬が合わないんだ 根本的な価値観が違うんだ
血は繋がっているけれど、他人なんだ
叩かれたりしたことないし、ごく普通の家庭だったと思うけど
あの人の投げかける言葉をうまく飲み込めなかった
受け付けられなかった
直接会話すると自然と涙が出るようになってしまったから
やり取りは基本メッセージアプリに頼ってるし、
家を出たり、電話を変えたら連絡はあんまり取りたくないなって
友人はおもしろいねと言った
何時か考えが変わるとか、仲良くしなきゃとか、
恋愛もそうだけど、そう言ってくる人は一定数いて
そういう話じゃないんだよなって、思いつつ
愛想よくしておく
ひとひらって何?
人が平べったいってこと?
な訳ないか。
花びらとかの数え方的な?
ってことは花占いってこと?
花占いってさ、結局花びらの枚数で結果が決まるじゃん。
だから、つまんないってことは無いんだけど、
こんなこと考えるなんて大人になったんだなーって。
ねぇ、花占いしようよ。
お互いこの年まで相手がいなかったら、
なんて言ったこともあるけど、
今どう思ってるかは分かんないし。
お互いに花買ってさ、
交換して、占おう?
それでさ、
おんなじ結果になったら、
そういうことで
君に初めて会ったのは、君がとっても小さくて、
おとうさんやおかあさんに大事に抱えられて、
どこかからやってきた時だったね。
最初はよく分からなかったけど、
おとうさんから、おまえはお兄ちゃんになったんだぞって言われて、
おかあさんから、この子のこと守ってあげてねって言われて、
お兄ちゃんってなんかカッコいいから頑張ろうって思ったんだ!
君はよく僕の耳をつかんで遊んでたね。
目がキラキラしてたから、悪い気はしなかったよ。
君が歩けるようになってからは、君ともさんぽをするようになったね。
君がコケてしまわないか、おとうさんと一緒にヒヤヒヤしてたよ。
君が学校に行くようになってから、
ずっと一緒にいる事はできなくなってしまったけど、
君が何かにぶつかって、悩んでしまったり、泣いてしまったときは
すぐ飛んでいけるように耳を澄ませていたよ。
君はドンドン大きくなって僕を抱っこできるようになったね。
それでも、僕は君のお兄ちゃんだからね!
ただ、最近。
耳が聞こえにくい気がするし、すぐ疲れちゃうんだ。
君も僕を見てると悲しい顔をしてるし。
僕は、君に直接話せないけど、
でも、大丈夫だよ!
僕は君のお兄ちゃんなんだから、
身体が動かなくなっても、
耳が聞こえなくても、
空に昇っても、
ずっと君と一緒にいるよ
だから、泣かないで。
はじめまして!
私はあなたの身の回りのサポートをするお手伝いのようなものです!
なにか不便があったら気軽に言ってください。
私は、母へ笑顔でそう言う。
母は聡明な人だった。
物心ついた頃には、父が居なかった私に不自由をさせないために
1日中ずっと働いて、いつでも笑顔を絶やさない人だった。
私が働きはじめても、生きがいだと言って仕事をしていたが、
母の職場から連絡があった。
最近物忘れが激しいように感じると。
母も実感はしていて対策をしているが、改善しているようには思えない。
私からも説得をして、一度検診を受けてみてほしいと。
何もなければそれでいい。試しに行ってみよう。
そう言って、病院に行った。
先生から、年齢によるものである可能性よりも、疾患によるものである可能性が高いと言われた。
簡単な検診だったので、今後詳しく調べないといけないと。
結論から言えば、年齢による物忘れではなかったのだ。
それからは、進行をできるだけ遅らせることしかできない治療をすることになり、母の希望で自宅療養を始めた。
実家に戻って、リモートでもできる職種に転職して、母との会話をたくさん増やすようにした。
症状として、私のことを忘れてしまうことは知っていた。でも、実感はあまり湧いていなかった。
だから、母から誰?と言われたとき、顔が強張って何も言えなかった。
段々と、私を思い出せなくなってしまった母に、説明をして、思い出させる気力がなくなってしまった。
はじめましてって言えば、少しは楽になれるかなって。
昨日も、今日も、明日も、その先も、これからも母の側にいたいから。
「さっちゃん、明日の朝には引っ越すんだって。」
夕飯を食べながら、母さんは世間話として私に言った。
私は、注いでいた麦茶をコップから溢れさせながら
「知らない。」
と答えた。
パジャマは濡れてしまったし、夕飯も食べかけだったけれど、
つめたさも味も何も感じられなかった。
さっちゃんは、生まれた頃からずっと一緒のお隣さんで、
幼稚園も、小学校もおんなじで、中学校もきっと一緒だと思ってた。
毎日一緒に登下校して、遊びに行ってたのに、
そんな素振りいっかいも見せてくれなかった。
今からピンポンする?おばさんやおじさんにメイワクか。
なんで教えてくれなかったの?嫌いになっちゃったのかな。
いろんな考えが頭の中をぐるぐる回って、
宿題もする気が起きないや。
ぼーっとなんとなく伸びをしていると、
視界の端で、窓の向こうがチカチカと光った。
「なっちゃん、お話しよ。」
窓を開けると、同じように窓を開けてニコニコしてるさっちゃんがいた。
手には懐中電灯をもっている。
お互い何か話したくなったときは、懐中電灯で知らせようって決めてたのだ。
「なっちゃん?」
中々話さない私をさっちゃんは不思議そうに見ている。
「 さっちゃん、引っ越すの?」
「うん」
「なんで、秘密にしてたの」
「だって、」
そう言って、さっちゃんは泣きそうな顔をする。私だって泣きたいのに
「私のこと嫌いになっ」
「違うよ!違うの。」
「だって、ものすごく遠いところに引っ越すんだもん。」
「いつもみたいに会えなくなるから。」
さっちゃんは俯いて、黙ってしまった。
「私、手紙書くよ。」
「いつもみたいに会えなくても、絶対会いに行くから。」
「だから、さっちゃん。大丈夫だよ。」
「明日見送るから。おやすみ。」
まだ薄暗くて肌寒い朝、さっちゃんはさっちゃんの両親と一緒に
家の前に出ていた。
私の両親はさっちゃんの両親と何か話しをしていた。
私は、何も言わないさっちゃんにレターセットと、メモを渡す。
「これで手紙書いて。知ってるかもしれないけど、うちの住所。」
「昨日も言ったけど、どんなに遠くても、会いに行くから。」
「夏休みとか、絶対に!」
一息にまくし立てた私の顔とレターセットを交互に見たさっちゃんは
じわじわと涙を浮かべながら、
「わかった。」
「またね!なっちゃん。」
と、言ってくれた。