【冬はいっしょに】
普段はひとりでもいいねんけど、今日は
いっしょに行かへん?
本屋さん行くねんけど。え?覗くだけ。そのあとコーヒー飲みに行こかなって。ほんで雑貨屋覗きたいし、時間あるなら行こや。
ひざ掛け見たいねんな、ほら、あるやんあったかいやつ。…そうそう、フリースになってて、アウトドア用みたいなんじゃなくて、、そうそう、それそれ。
柄?そやなぁ、やっぱ、チェックかな。えーー、なんか、あこがれ?チェックへのあこがれ。
冬って誰かと行くんが楽しくない?
さむいなーとか言いながら歩くん、楽しいやん。なんでやろなー?不思議やんなぁ
あぁ、それはあるかも。ちょっとさびしくなるんかも。年末感あるしな!
【風邪】
風邪をもらった。
あれだけぴったり寄り添って眠っていたのだから当然だ。
鼻づまり、喉の痛み、突然の高熱、一晩で解熱、あとからくる倦怠感、見事なまでにすべて同じ。ここまで同じなんてと、可笑しくて笑う。
息子はからだが大きくなったいまでも、不安なときには私に抱きつく。外出先では手をにぎる。就寝中なら布団にもぐりこんでくる。
幼い頃の私は母親に抱きつくことができなかった。気恥ずかしいから余計に不安で、ぎこちなく回した腕の細部にも気を遣った。そういう時代だったのだ。
だからなのか、いまの息子の様子を見ているとほっとする。甘えたいとき、頼りたいときに、戸惑うことなく触れることのできる大人になれたのだなぁなんて。
それと、小さな自分も抱きしめているみたいで、ふたり分の心を温めていることにやさしいきもちになる。
そしてひとりピンピンしている夫。
いや、助かるのだ、元気でいてくれて。本当に。
【愛を注いで】
私の叔父は一昨年亡くなった。
やさしくて、物腰がやわらかく、おだやかで、自由で、だけどすこし神経質。ふらりと同僚と旅行にいき、いつのまにか帰ってきていた叔父。
浮いた話のひとつもなく、職場をしょっちゅう変え、実家の猫には逃げられ、それを見た甥からは笑われる。
父をはじめとしてきょうだいたちから、掴みどころのない、頼りないやつとして愛されてきた。
そしていつもふふ、と笑っていた。
未婚の叔父に長い間パートナーがいたことを、彼の病床で知った。
私のなかに何十年も前から残っている叔父のすがたや言葉、笑顔、声色が思い出された。
看護師という資格をもちながらも住処を転々としていた叔父。
その時々、節目節目に、隣にいたであろう、誰か…。
救急で運ばれた理由はビルからの「転落」。
その後病気が見つかってもなお、処方薬よりも優先して飲もうとしていた「薬」。
極めて厳重に配慮の施された個室で医師から告げられた持病の「名前」。
目の前にならんだいくつかの事実を迷うことなく美しく繋げていくひと筋の光の行先に、自分たちの知らない叔父の姿が見えるようで、私も、兄である父も、誰もが言葉をのみこんだ。
昭和の時代を生きてきた叔父が、誰にも言わないと決めた秘密、守ろうとした尊厳。
その時はじめて、叔父の人生の外郭を知った気がした。まるで知らないひとのようだった。
誰にも真実はわからない。
そして真実にそれほどの罪があるとは思えない。
それでも、叔父は何も教えてくれないままで逝ってしまった。
大きな秘密をひとりで抱えたままで、ひとりで。
私たちは仲が良かったのに。
そうだ、私は叔父が大好きだったのに。
だけど、と思う。
転落するほどの愛があったのなら、それでいい。
愛されていたのなら、愛を知っていたのなら。
私たちが、わからなさの中にさえ叔父の愛を感じるなら、もうそれがあなたからの言葉ということでいいから、それを受け取るから、どうか、
どうか、今、しあわせであるように。
また、いつか、どこかで会えるように。
【ありがとう、ごめんね】
この言葉を連想させる笑顔には、何度も出会った。
力になれると思ってた。近くに寄り添えると思ってた。そしてあなたの心を軽くすることができるはずだと。寄りかかれる相手が見つかるまで、ここにいるよ。
けれど同時に、「この言葉」を敏感に感じ取る。
ごめんねと言わせることへの抵抗、罪悪感、違和感。
慌てて手を引いて、きゅうに恥ずかしくなる。自分が誰かの力になれるなんて、誰かのたすけになれるなんて、なんとおこがましいと。無力だ。
そんなことをくりかえしてここまで来たけど、近頃ではもう考えなくなった。
私よりももっとじょうずに寄り添える人がいる。近くも遠くもない適切な距離で接し、深くも浅くもない適切な言葉で、相手を笑顔にできるひとがいる。
私が下手に手をさし出すよりもずっと、安心できる方法で。
だから私は相変わらず、いつでも腕を伸ばせる距離で見守る。
それでもいいのだ、仕方ない、見つけてしまうのだから。
たった一言で相手を救えるのはいつだって主役だ。
影の努力に気づいてもらえるのも、主役の役割だ。
ただ、そういう努力に気づいてもらえないのもまた主役だ、なんて都合がいいだろうか。
【部屋の片隅で】
部屋の隅においたランプひとつで事足りるような
そんな時期を過ごしていた
テレビは床に直置きだったし、
暖房はちいさなストーブだけで、
シャワーは劣化でヘッドが取れていたし、
冷蔵庫は空っぽだった
牛乳と食パン、プルーン、チーズ…
今でいうとどんな感じに形容されるのだろう
不健康で、不摂生で、怠惰で、怠慢で
今みたいに、料理や家事を楽しんでできる、
そういう世の中じゃなかったから
21時までくたくたで仕事して、服の話や仕事の話、
新商品の話題、社内恋愛の話、…
店の同僚たちと駅の階段前でビール飲んで
電車で降りる駅をまちがえたり…
そんな毎日だったなぁ
だけど、楽しかったよ
床に寝転がってそのまま寝てしまったり、
先輩からかかってきた電話にタメ口で出たり、
家にいるのは自分だけという毎日が当たり前だったから、
いろんなものにひとりで立ち向かったし、
スマホはなかったから時間もあったし
自由で、束縛されず、休みの日は寝転んで…
孤独とのつきあいかたみたいなのも知った
でも画材屋さんが近くにないのは寂しかったな
ひとりぼっち、なんて考えなかった
みんなそうだったから、たくさん話したし
話さないこともたくさんあった
整った部屋をつくることができなかった
どこだって仮住まい、いつでも動けるように
それが二十代の真ん中くらい