【ふきぬける風】
部屋の窓をひとつ開けても、風は入ってこない。
今ある空気を出さないと、新しい空気は入らない。
うむ。
窓を開けると何もしなくても入れ替わるもんだ。
案外、あっさりと。
ふきぬける風に当たろう。
換気をしよう。身体も心も風邪をひかないように。
【記憶のランタン】
銀杏の木を見るとあなたを思い出す、と友人が言った
木を見て思い出してもらえるなんて光栄だ
一度だけ行った、おそらくもう行くことのない公園で
2人で撮った写真の印象が強かったのだとか
どんな場面が誰の記憶に残るのか、
自分でコントロールできないのも不思議
できることよりも、できないことにヒントがある気がする
【心の迷路】
ああ、まただ、と思う。
しあわせだなぁなんて思ったから。
あの時、晩夏の夕暮れ、
くっきりとした山の稜線とオレンジの空を見上げて
わたしの周りで今、泣いている人がいなくて、
依存されることもなくて、
卑下されることも、嘲笑されることも妬まれることもなくて、
寂しさに打ちのめされているひとも、
いのちの危機にあるひともいない、
大切な人たちが、とりあえず、
自分の力で立ち、自分の感情をたいせつに、
夕方まできっと穏やかに過ごせているだろうことが、
しあわせだなぁなんて思ったから。
押し寄せる安堵に涙があふれた。
止められないほど泣いた。
まさかこんなことになるなんて。
しあわせだなんて思わなければ。
思っちゃだめだって気づけばよかったのに。
【梨】
学生時代。
お人形みたいに綺麗な顔立ちの友だち夜ごはんを食べに行った。
電話がかかってきた時、私はひとりで部屋でなにかしらをしていて、とくに予定がなかったから気楽に指定されたその店に出向いた。
友だちは慣れた様子で店のカウンターに座っていた。
テーブルには、鮮やかなブルーのカクテル。
友だちは店長を気に入っていて、店長もまんざらではない雰囲気だった。
それはシンプルに、店を構えている大人と知り合いであることが誇らしい友だちと、そんな純粋な彼女をかわいく感じている大人の男性である店長、という位置関係で、互いにハイカウンターを挟んでそれ以上近づく気はないといったバランスだった。
それが、まだ幼かった私にもわかった。
私はそんなふたりのやりとりを画面で見ているような気分になって、すこし照れた。
安直に「すきなの?」なんて聞ける訳ない。
その時に友だちが「食べる?」と私のためにオーダーしてくれたのが「ナシゴレン」なる食べ物だった。
暗いバー、彼女の肩、よく知らない異国の、なんとなく居心地の悪い、あこがれの、ブルーハワイとナシゴレン。
【静寂の中で】
若いころには時々あった、夜中にひとりで考える時間。
みんながそうであるように夜中って大抵ろくなこと考えない。
感情的になりすぎて抒情詩になっちゃったり、言葉に情熱を引っ張り出されちゃったり、照れ臭いほど大作になっちゃったりするんだけど、
その時間に、たまった膿を存分に出して、出し切って、心をととのえてたんだろうと今では思う。
今は、体内の水がうねるのをぐっと抑えこみながら、静かに考える。
違和感には、かならず付箋をつけておくといいよ。パンくずを落として歩くみたいにね。帰る時に迷わないためにね。
わたしは「わたしは」で生きていく。
ちゃんと、譲れない理由がある。
ほら、付箋が役にたった。ここが分岐点だ。