誇らしさ
その男の子と出会ったのは真夏の熱帯夜で、もう崩れるんじゃないかってぐらいボロいアパートのベランダだった。
煙草を吸おうとベランダに出ると、20代前半、もしくは10代後半、それぐらいの男の子がベランダの柵に背中を預けて、ビールを飲むみたいに缶ジュースを煽っていた。
お隣さんと鉢合わせるってだけではなんの気も使わないので、私はお気に入りだった14タールの大人にしか許されない高タールな煙草の煙を心置きなく月に向かって吐き出す。
雲一つない空に私が吐き出した煙が雲のように空に散らばっていくこの瞬間は1日の中で一番好きな時間だ。
そんなふうに私が悦に浸っているとそれまで缶ジュースを煽っていた男の子が「未成年なんで」って呟くように吐き出した。
少しムッとしながらも煙草を灰皿に押し付けて火を消す。
「大人の大切な休憩時間奪ってんだからさ、あんたが家の中入ればいいでしょ。しかも未成年なんだったらこんな時間まで起きんな」
「家ん中ではゴリラが暴れてるもんでね。避難してんだわ」
「………そ」
ゴリラが暴れてる、それだけで瞬間的にDVか、と分かってしまう私は結構こっちの世界に染まってしまったんだろう。まぁ私自身、学生時代から身売って立派なトー横キッズやってたんだから当たり前か。
「……………大人のキスでも教えてやろうか」
「うわキモ……なに、急に」
私がそう言うと男の子は飲んでいた缶ジュースを吹き出しそうになりながらも顔をわかりやすく顰める。
「誰かに爪痕残したくなっただけ…」
「現代社会の闇の塊みたいなこと言ってんな」
「うるせぇよ…お前顔結構いいだろ、そんな奴に大人のキス教えたのは私だって誇らしくなりたいんだよ……」
「そんなクソみたいな誇らしさ持っても意味ないだろ」
お前にはわかんねぇだろうな、水商売ってほどやりがいも誇らしさも持てない仕事ないんだよ。
おっさんの相手してもなんも楽しくないし、気持ち悪いし、だからお前の相手させろって言ってんだよ。
「あのさ………、誇らしさってさ俺らみたいな人種じゃ絶対手に入らないものだと思うよ」
「知ってるっての」
「でもさ、おねーさんさ、誇らしさが欲しいわけじゃなくて、誰かの特別になりたいんだと思うわけ」
「…………」
「だから俺から一つだけ……、俺が家で親が暴れてるって言ってなにも言わなかったの、これまででおねーさんだけだよ。みんな上っ面だけの心配したり、怖がったり、珍しがったりで、めっちゃ色々口出してくんの」
「………あっそ」
それから男の子はまた缶ジュースを煽って、なにも喋らなかった。ボロアパートの熱帯夜で汗ばむ肌と、柵にもたれかかる男女の無言の空間。
普通だったらめっちゃ気まずい空間、その時はそれが何だか心地良かった。
繊細な花
彼は花みたいな人だった。
花と言っても、明るい色の活力があって、日向に咲くたんぽぽみたいな花じゃない。
日陰にひっそりと咲く、どちらかというと暗い色の、でも綺麗で夜月が似合いそうな、繊細で少し触れただけでも壊れてしまいそうな花だった。
そんな彼は、転校生だった。冬の雪の空によく似合う、濡れ羽色、とでも言おうか、そんな色のサラサラな髪が特徴的で、顔も整ってる方だったと思う。
それより印象的だったのは自己紹介だ。
「それとおれ、一年後には死ぬので。」
情を入れすぎないようにね、と彼はなんの変哲もない自己紹介の最後にぽつり、と呟くように爆弾を落としていった。
私の後ろの空いていた席にすわる彼。
正直、やばいやつだと思った。
だって自己紹介で死ぬことをサラッと言う奴、もしくは厨二病。
でもその最悪な第一印象かき消されることになったのだ。
ちょっとおかしいとこもあるけど、普通にいいやつだったし、私と同じ美術部で、よく私の作品を褒めてくれて、移動教室でも一緒にいてくれるし、なんなら休日も遊ぶほど仲良くなってた。
本当に、天然っぽい、普通な、普通な奴だったんだ。
だからかな、彼が最初に、自己紹介の時に落とした爆弾も彼なりのおふざけだったのかなって思っちゃったんだ。
だから、信じられなかった。
彼が、彼がいなくなるなんて。
初めに彼がいなくなるって本気で思いだしたのは彼の綺麗な濡れ羽色の髪が抜け始めた頃だった。
彼は抗がん剤でね、って笑ってたけど、内心は恐ろしかっただろうし、私だって怖かった。
それからはどんどんどんどん彼が私の知ってる彼じゃなくなっていった。
そして、今日は彼の葬式。
涙は出なかった。
涙は出なかったけど、隣にいた心地いい温もりがなくなってしまったのが、信じれなくて、また、「この作品は独創的で、儚くていいね。」とか、けなし半分、褒めるの半分ぐらいの部活で描いた絵の評価が聞けると思って。
本当に現実味がなくて、彼の死を受け入れられなかった。
綺麗な、薄い青色の絵の具で百合の花みたいなのを描いてた彼を思い出す。
「これ、おれみたいだろ?儚げ美少年って感じで!」
その時はたしかにね、と苦笑したけど、今ではあの花は本当に君みたいだったと思うよ。
繊細で、儚くて、綺麗で………
あぁ、無邪気に笑う君の姿が、まだ、まだ、瞼の裏にいてくれる。
泣けなくて、ごめんね。
「この前貸したあの小説読んだ?」
休日のガヤガヤとうるさい昼下がりのフードコートに少しハスキーなよく通る声が響く。
「読んだけど……」
「感想は?」
「あの……あれだ。最後、ハルが世界に色が戻ったみたいっていうところ、よかった。感動した。」
「だよね〜〜。あなたがいない世界は色褪せて見えるってハルが言ってるシーンあるから際立つよね〜。」
ハスキーな声の女が、シェイクのストローを弄びながら、ポテトを口に運ぶ。
「なんかありきたりなセリフとシチュエーションだったけど、面白かったよ。」
「でしょ?あの作家さん、そういうのが得意な人なんだよね。」
おれが言ったことがお気に召したのか、食べていいよ、というように自分の分のポテトの容器を俺の方に向けて女は喋り続ける。
「でさ、」
おれが食べようとすると女はポテトを自分の方に引き、まるで話を聞け、というふうに爪で机をこつ、とつつく。
「私はね、〝あなた〟がいない色褪せた世界の色じゃなくて、〝あなた〟がいる色鮮やかな世界の色が好きだよ。」
「……おれにあの小説貸したの、それ言いたかったから?」
「……さぁね。」
好きな色
岐路
人生で一番大きい岐路って何だったけ。
女の子なのに自分のこと僕っていうの変だよって言われて第一人称を私に変えた幼稚園の夏だっけ。
初めて学級代表を決めた時に立候補しても選ばれなくてもう立候補とか目立つことをするのをやめようと心に決めた小学3年生の春だっけ。
何となく人と話したくなくて会いたくなくて見られたくなくて学校を休みだした小学5年生の秋だっけ。
誰からも愛されてないって感じてただ単に愛してもらいたくて、頭を撫でてもらいたくて「愛してる」って誰でもいいから言ってほしいって思って親友だった女の子とおふざけ半分で付き合い始めた小学6年生の冬だっけ。
クラスの仲良くしてた男の子にLINEで好きだよって言われて好きって言ってくれるなら誰でもいいかって思って人生初めての浮気……というか二股をした中間テストが迫ってきてた中1の時だっけ。
中学校でも人と話すのとかに疲れて不登校気味になって成績が下がって結構気に入ってた美術部を辞めさせられて帰宅部になった自動販売機にあったかいコンポタージュとかが並びだした夏の暑さが残った中2のの秋だっけ。
小6の時から付き合ってた彼女が私と同じ人とかと付き合うことが苦手な人種だったってことを自白して、「心中しよ」って切り出してきた時に私に依存してる彼女が愚かで可哀想で可愛くて「安楽死ならいいよ」って言ってやんわり断った中2の春だっけ。
中間テストも迫ってるのに学校に全然行けてなくて学校に行ってない間、スマホいじってるだけで夜だって前眠れなかったのがすぐ眠れるようになってて前はやれなかった事がだんだんとやれるようになって本当に学校休んでもいいのかな、休めるぐらいちゃんと病んでるのかなって思って初めて自分の手首をカッターで切った中3の秋だっけ。
中1の時から付き合ってた男の子に家に呼ばれてそういう雰囲気になってものすごい嫌悪感を抱いて、私女の子が恋愛対象なんだって気づいた高1の冬だっけ。
小6から付き合ってた彼女が自殺で死んだって聞いて「心中しよ」とまでいうくらい私を心から依存してくれる愛してくれる人はもういないんだって思って私の〝女の子が恋愛対象〟っていう性癖を受け止めてくれる子がいなくなったんだなって思って辛くなった、高2の春だっけ。
その子の死から半年たっても自分を受け止めてくれる存在が見つからなくて夜遊びをしてみようか、と思って夜の街を歩いてみたけど怖くてそれっきり歩かなくなった高2の夏だっけ。
完全に病むこと、自殺することもできず、かと言って普通の人間らしく社会を楽しむ事ができない自分に嫌気がさして睡眠薬を大量に飲んで死のうとしたけどただただ苦しくて気持ち悪いだけだった高3の夏だっけ。
それとも……必死に自分を取り繕って好きでもない好きになれない男の人と付き合ってコンビニのバイトっていうかつてあった夢のかけらもない仕事についてる
今だっけ。
あの頃の私へ
望月先生っているじゃん。
イケメンのさ、色素が薄くて目とかがもう、外国人みたいに茶色の。
イケメンなのに、性格もチャラすぎず、真面目すぎずって感じでさ。
あの先生恋愛的な意味で好きでしょ。
でも、その気持ちは無視してね。
墓場まで持って行って。傷付きたくないでしょ。
その望月先生、もう直ぐ結婚するよ。
30000円、用意しててね。
なんちゃって。