二人は幸せだった。
男は女を守るために仕事をし、休みの日は女のために費やした。
女は男を支えるために家事をし、日々を彩ろうと努力した。
それはそれは長い年月を共にし、お互いに信頼していた。
だが、お互いに想いが合わないこともあった。
男は子どもが欲しかった。
女は早く死にたかった。
男は「子どもを産む勇気がない」という女をそれでも愛した。
女は「毎日、君を楽しませるから」という男の言葉を信じた。
お互いに努力していた。身を削り、心を壊し、それでも一緒に居ることしか選択肢はないと思っていた。
共依存だった。
男は女がいないと仕事をする意義を無くし、
女は男がいないと生活できなかった。
お互いに逃げ場などなかったのだ。
ある日、男が言った。
「別れよう」
その時、女は言った。
「そうやって捨てるのね」
それ以降この男女は再会することなく生涯を終える。
残った男は思った。
「彼女が生きてさえくれれば俺はいい。」
残された女は思った。
「あんな男と別れて正解だった」
お互いに深い傷が残ったが、これ以上その傷を掻きむしることは無かった。
男は女のために別れ、女は男のせいで別れたのだ。
傷を深く傷つけ合わないように。
『ハッピーエンド』
息を整える。
肩を上げて、天を見上げて、深呼吸。
本番では出来ないことを今のうちにしておく。
緊張はもちろんする。頭の中はテンポにピッチにアーティキュレーションでいっぱい。ひたすら指摘されたことを思い出しては指を動かし続ける。
失敗は許されない。いや、失敗は自分が許せない。
その想いが出来るまでは時間がかかったと思う。
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最初はできるわけが無いと文句を言いたかった。
上級生を差し置いてソロを吹くなんて、身の程知らずにも程度ってもんがある。
でも、誰も反対をしなかった。あれだけ信頼していた仲間も、尊敬している先輩も、だれも。私自身も出来なかった。
それからは本当に血反吐を吐いた。買い集めてやっと見つけたリードも割れるまで吹いた。そしてまた3半を買っては良いリードを探す。
それだけでも辛かった。
でも指が回らない。指が回らなければ縦も横もへったくれも無い。
まずはゆっくりでも吹けるようにならないと。想いは焦りとなり縛りとなり、合奏練習で悲惨なものに変わっていく。
(いまの私を見ないで…)
いつも私のソロで合奏を止めてしまう。私が原因であり迷惑になっている事実は、指を絡ませ呼吸を浅くさせる。
みんなが見つめてくる。心配と不安と怒りに満ちた目線。
怖い。でもやらないと。怖い。でもやめられない。
ただひたすら楽譜を見て、指を回し、ブレスの位置もスラーやスタッカートの表現も忘れず、指揮を見て、ピッチを整え、リードミスは絶対にしない。
ソロじゃなきゃ出来ることだらけなのに。
1人で吹くだけなのに。
恐怖が身体を支配する。
もう吹くことが辛い。
でも、、、辞められなかった、、、
いや、仲間が諦めなかった。
私が吹くことを心から望んでいた。
いくら弱音を吐いても肯定してくれ、合奏を止めても励ましてくれて、少しでも吹けるようになれば私よりも喜んでくれた。
怖い。けど吹いてもいい?怖い。けど私でもいいのかな?
恐怖は徐々に不安へと変わる。でも仲間は笑顔で言ってくれた。
「あなたに吹いて欲しい!!」
それから合奏が止まったとしても、みんなの目線が敵ではなくなった。
想いを知ったからみんなに見つめられても身体が強ばることはなく、必死に楽譜と向き合うことが出来た。
「部員全員で一丸となって」なんて口では簡単に言うけれど、吹奏楽部でまとまるのは難しいと思ってたし、なんなら出来ないとすら感じていた。
個々人の技術才能よりも、一人のミスが大きな減点となる吹奏楽。
だからこそ、私はみんなの為にミスをしたくなかった。
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息を整える。
お腹の下が少し膨らむぐらい。深く、でも素早く。
指はもう大丈夫。楽譜は覚えた。私に残された情報は指揮とみんなの伴奏だけ。
でもそれほど信頼のできるものはない。
本番。指定された席へと向かう。
審査員の目線が胸を刺す。緊張が身体を襲う。
でも恐怖は無い。
もう怖くない。
あとは自分が自分を許せる音楽を吹くだけだった。
後々、彼女はより音楽にハマり、クラリネットと共にヨーロッパを旅することになるのだが、それはまた別の話。
『みつめられると』
「君に届けと叫ぶ…さながら僕は道化師だ…」
声に出して読みながら顔に熱が帯びるのを感じる。
「ああ、どんなに笑われたってさ…愛を知れればいい…」
それでも読むのを辞めれない。いや辞めてしまいたいと気づいて貰えない。
そうして全文を読み切った上で、テーブル越しのマネージャーを軽く睨みつけた。
長年の付き合いだ。俺の気持ちは伝わってるだろう。
マネージャーは隣に座るプロデューサーに焦りながら伝えてくれた。
「だから言ったじゃないですか!彼はこのような歌詞で歌える人じゃないんですよ!」
その通りだマネージャー。よく言ってくれた。
俺は聴いてくれた人にビートを届けたくてミュージシャンをしている。
こんな小っ恥ずかしい歌詞で曲が作れるわけねぇだろ!
「いや〜すまないすまない。」
プロデューサーはさぞこの状況を楽しんでいるかのように笑いながら謝罪をする。
「実はこの歌詞はウチの新人が手がけたものでね。評判も良いんだが何より君に歌って欲しいと必死に売り込んできてね。」
そこまで言うと扉が開くと同時に気持ちのいい挨拶が耳に入る。
目を向けるとそこにはよく見知ってはいるがここにいるはずの無い人がいた。
「君は…路上の時からの…」
「はい!覚えてくださってたんですね!ありがとうございます!」
彼女は昔から、それこそインディーズデビューすらしていない時から応援してくれていたファンだった。その時も「いつか皆の心に届く曲を作りたい」とは言っていたが、まさかここで会うなんて…
「いや〜ウチの新人と顔見知りだったか!」
まるで今知ったかのような表情をして割腹よく笑っているが、多分ちゃんと下調べはついていただろうに。このタヌキ。
「今回の歌詞はぜひともあなたが歌うから価値があるのです!どうかお願いします!!」
熱心に頭を下げる彼女に根負けした俺は仕方なく曲を作ることにした。
いや本当は、自分の想いを曲げずに努力してここまで来てくれたことが素直に嬉しかったんだと思う。
それは俺の曲が人の夢を叶えた事実でもあるからだ。
結果、その曲は新しい作風となりチャート上位に入ると同時に映画のタイアップ曲の依頼が舞い込んでくることになるのだが、
それはまた別のお話。
『my heart 』
「誕生日プレゼントは本当にそれでいいの?」
祖母に聞かれながらも迷いもなく頷く自分。
今日は親戚一同で誕生日プレゼントを選んでいた。
兄弟や歳の近い従姉妹はゲームや洋服など各々の好きな物を選んでいた。
だけど僕の手の上には100円の消しゴム。
それも散々デパートの中を歩きまわり、探しに探してやっと見つけたものが消しゴム。
「物欲がないのかね。」「遠慮してるのかな?」「子どもなのに」
色んな声や視線が僕を刺す。
でも知ってたんだ。
本当に欲しいものはみんな持っていて僕にだけないことを。
歩き回って躍起になって探して、でも代わりになるものなんて見つけられなかったから、やけになって掴んだものが消しゴムだった。
今思えば、あの頃に本当に必要だったから消しゴムを見つけたのかもしれない。
数年後、親は離婚し自分の居場所が分からず、
ひとつの家に定住しない日々が続いたのだが、
それはまた別のお話。
『ないものねだり』