NoName

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4/16/2024, 5:12:49 AM

「結婚式を挙げることにしたの。よかったら来てね」

 そう言われて、職場の先輩から綺麗な白い封筒を受け取ったのは昼休みのことだった。先輩、彼氏いたのかとか、籍いつ入れたんだとか驚きつつ、絶対に行きますと微笑む。
 これ、あいつも受け取ったのだろうか。

 「あいつ」は、職場の同期であり、私の好きな人だ。そしてあいつが好きな人は、今しがた私に封筒を渡してくれた先輩だったはずだ。焦燥と僅かな歓喜が混ざった得体の知れない何かが、心の中に湧き出て踊り始める。そっとあいつの席の様子を伺うと、あいつは席に座って、茫然と私と同じ封筒を見ていた。
 こういうとき、何て声をかければいいのか分からないな。そっと近づいて、とりあえず思いついたことを言ってみる。

「ねえ」
「…………」
「今日、飲みに行こうよ。話くらいなら聞くからさ」
「…………いく」

 ちょっと涙声の返事が返ってきた。
 私たちは、何かあれば帰りに近くの居酒屋で愚痴り合うくらいには仲が良い。と思う。他にも同期はいるが、席があるフロアが違ったり、配属した部署が地方だったりであまり交流がない。私たちは運良く席が近かったのだ。配属された当時はすごく嬉しかった。
 仕事をさっさと片付けて、帰る準備をする。お先に失礼します! と、あいつが元気よく挨拶して部屋から出て行くのを見えた。……無理してるなぁ。
 カバンを持つと、今朝、例の封筒を渡してくれた先輩から声をかけられた。

「相変わらず仲いいね。今日も行くの?」
「へへ、まあ」
「そっか、いってらっしゃい」
「ありがとうございます。お先で〜す」

 先輩からの頑張れという視線をもらいつつ、会社を出る。先輩は私があいつのことが好きだと言うことを知っているのだ。というか、私が自分でバラした。恋愛に慣れない自分の精一杯の牽制のつもりだったのに、先輩には既に将来を誓った相手がいたなんて。ただ自分の好きな人を暴露しただけになってしまった。あーあ、馬鹿みたいだ。そういえば好きな人を告げた時も、なんともない様子で応援してるよ、って言ってくれた気がする。あの時からもう相手がいたのかもしれない。そう考えているうちに、いつもあいつと飲んでいる居酒屋についた。
 店員にテーブルに案内してもらうと、彼はビールを片手に、テーブルに突っ伏していた。

「おつかれ」
「…………マジ無理」
「だろうねー」

 私もとりあえず何か注文を……レモンサワーとかにしておこう。きっとこいつは限界まで飲むだろうから、私まで潰れるわけにはいかない。

「だってさ、結婚!?!? 彼氏いるんだ、とかもなかったのに!? 結婚ーーー!?」
「あれは私もびっくりした! でも最初から相手いたんだって、たぶん」
「俺、立ち直れないわ」

 頭を抱えるこいつに、なんとも言えない気持ちになる。この居酒屋では、愚痴の他にも、こいつが先輩をどのくらい好きかというのをさんざん聞かされた。他にもエレベーターで一緒になっただとか、頑張ってるねってお菓子を貰っただとかの他愛のない話まで。別に私だってお菓子貰ったしと言ってしまいそうなところを飲み込みながら話に付き合っていたっけ。
 想いに耽る私の目の前で、泣き言を言いながらビールを流し込むように飲んでは店員に注文し、またビールを流し込み、を繰り返し、だんだん呂律が回らなくなってきたこいつに、そして自分にも、なんだか哀れみを感じてきてしまった。こいつの顔は涙と鼻水とビールでぐちゃぐちゃだ。何で私はこいつのことを好きになってしまったんだろうか、とぐちゃぐちゃの顔を見ながら溜息をついた。

「届かぬ想い」
こいつの目には先輩しか映っていなかったから。

2/16/2024, 7:56:23 AM


拝啓 10年前の私へ
雨水の候、益々ご活躍のことと存じます。

今から10年前と言うと、「あー仕事無理ー、この仕事向いてなーい!」と思いつつ、変に転勤になっても嫌なので大人しくしている頃でしょうか。あの頃が懐かしいです。今では仕事にもなれてぼちぼちとこなしています。
 さて、過去の自分宛にせっかく手紙を書けるのですから、過去にやっておけばよかったことを書いておこうと思います。まず、部屋の片付けをしてください。引っ越す時に、退去費用がまずいことになります。私が掃除大嫌いということは分かっていますが、少しずつでいいのでやってください。
 掃除してと書いた時点で何も変わっていないということは、掃除してないよね? あなたは我儘だし、天邪鬼だし、硬く絞った雑巾と同じくらい性格が捻くれていますし、とても面倒くさがりですからね。今でも変わらないのですから、10年前の私が変わっているはずがないでしょうし。あーこの手紙すら書くのが面倒になってきた。てか今時、手紙って何? 10年前ってメールあったよね? アプリもあったよね? それでいいじゃん。まあでも仕方ないよね、手紙しか送れないってスタッフの人が言ってるし。あとはやってほしいことを書いておくので、よしなに頑張ってください

(箇条書きで要望が羅列しているので省略)

そんな感じでよろしくー

敬具


 差し出し名を書き忘れている。いや、忘れているわけではなく、わざと書いていないのかもしれない。なるほど、なんともテキトーな内容のこの手紙は、紛れもなく10年後の私からだろう。最初は丁寧に書かれた文字や言葉遣いも、下に行くにつれてだんだん雑になっていった。句読点もなくなってるし。面倒くさがりは10年経っても治ってないのか。「敬具」と書いているところだけ、成長しているのかな。
 返事は書かなくていいだろう。手書きとかめんどいし。それに10年後の私は、私の返事が分かっているのだから。


「10年後の私から届いた手紙」
でも、掃除だけはやっておこうかなぁ。

2/9/2024, 7:20:07 AM


 もう日が落ちた夜、某コーヒー店にて。
「あ、あ、あの、スマイルください!!」
「……ええと、申し訳ありません、当店ではそのようなサービスは提供しておりませんので……」
 羞恥を振り切ったような声で注文する俺の前で、俺と同年代だろう女の子が困った顔をしている。本当にごめん、君が悪いわけじゃないよ。俺が全て悪いよ。

 高校の部活が終わった後、仲のいいメンバー同士でちょっとした試合をしたのだ。負けたやつが罰ゲームをするという条件付きで。結果、負けた俺が「コーヒー店でスマイルを注文する」という、下手したらネットでネタにされそうな罰ゲームをやっている。ていうか、誰だよこの罰ゲーム考えたの。最近のニュースを見てないのか!?
 幸い、カウンターの女の子は困った顔をしただけだ。
「で、ですよね、すみません……。……その。オリジナルブレンドコーヒーのホット、Sサイズをひとつください。あっ、テイクアウトで」
「オリジナルブレンドコーヒーSサイズのホット、テイクアウトですね。そちらのカウンターでお待ちください」
 少しの罪滅ぼしにと、コーヒーを買って店を出る。流石に店内で飲む勇気はない。外に出ると、メンバーたちがニヤニヤしながら立っていた。
「お疲れー! どうだった?」「マジでやったのかよ!」「あの店員さん、可愛かったな」などなど、呑気に自由に楽しそうに俺に声をかけてきた。
「うるせーっ!」
 そりゃ外野は気楽だろうよ! 負け惜しみに大声を出して、ちょうどよい温度になってきたコーヒーを飲む。あ、美味いなこれ。また買いに来よう。……1ヶ月くらい後に。
 
「あ」
「ん?」
 次の日の朝、学校へ行く途中の信号待ちで、横に立っていた女の子がこっちを見て声を上げた。思わず振り返る。俺の高校の近くにある別の高校の制服だ。なんだかどこかでみたことあるような。
「昨日、うちの店に来てた人ですよね!」
「えっ……。…………ああ!」
 思い出した。昨日の出来事を無かったことにしたくて、全力で忘れたのに思い出してしまった。昨日、スマイルを注文した時にカウンターに立っていた女の子だ。俺は即頭を下げる。
「その節は大変申し訳ございませんでした」
「いえ、大丈夫ですよ。たまにそういう人いますし」
 たまにいるのか。俺は人のこと言えないが、世界終わってるな。
「それより、いいんですか?」
「え、何がですか?」
 ニヤリといたずらを考えた子供のように笑う彼女。
「今ならサービス出来ますけど?」
 驚いた顔をしている俺に、彼女はにっこりと微笑んだ。彼女は、意外とお茶目なようだ。

『スマイル』

2/6/2024, 7:51:04 AM


「お嬢様、お茶の時間ですよ」
「あら、もうそんな時間?」

 西洋風の屋敷の裏にあるお嬢様のお気に入りの庭園に、ティーポットとティーカップを持っていく。午後3時になると、お嬢様は必ずティータイムを取るため、彼女の専属執事である俺はその時間にお茶の準備をするのだ。公爵令嬢である彼女の屋敷はかなり広く、その一部である庭園もかなり広い。いつもは部屋で召し上がっているが、ここでお茶するのもいいのではないかと考えながら、金糸の髪を靡かせる女性を見つけ、声をかけた。
「今日は天気がいいですから、こちらの庭園で召し上がりませんか?」
「いいわね、そうしましょう! 今日のお茶はなあに?」
「この間、旦那様が仕入れた隣国の有名な茶葉ですよ」
「やった! それ、飲んでみたかったのよね」
 ふふ、と柔らかく微笑む彼女に、こちらまで嬉しくなる。公爵に頼み込んで、お茶を分けていただいた甲斐があった! 顔がにやけるのを抑えながら、ティーポットにお湯を入れる。椅子に座ったお嬢様が、興味深そうに俺の手元をみていた。
「いつ見ても手際がいいわね。あなたのお茶は何でも美味しいのよね」
「ふふ、ありがとうございます」
 頑張って練習したので! とは言えないが、褒められたことに舞い上がる。さっとお茶の準備が終わらせ、彼女の前にティーカップを置く。音を立てないように気をつけて。
「いい香りね」
「そうですね、こちらまでしっかり香るくらいです」
 お嬢様の横に立つ俺のところまで、ふわりとお茶の香りが漂う。あ、これお嬢様の好きなタイプの香りだ。ということは、きっと気に入ってくれるだろう。現に、彼女は菓子を摘みながら夢中でお茶を楽しんでいる。
「あら、もう無くなってしまったわ。……お代わり、もらえないかしら?」
「はい、少々お待ちくださいね」
 ティーポットを手に取ってお茶を淹れる。相変わらず、お嬢様は俺の手元をじっと見ている。少しの間そうしていたかと思うと、突然顔を上げ、ふわりと微笑みながら俺に言った。
「あなたが淹れるお茶、いつも私の舌に合うのよね。私、あなたのお茶無しでは生きていけないかもしれないわ」
「…………!?」
 お嬢様の爆弾発言を遅れて理解する。顔にじわじわと熱が集まるのを感じる。顔は赤くなってないだろうか。やっぱり俺の婚約者は可愛い。
 お嬢様はぽかんとする俺の顔をにこにこ見つめていたが、手元に視線を戻した途端に慌てたような表情をする。
「お茶! お茶が溢れちゃってるわよ!」
「え? ……ぅわ! 失礼致しました!」
 ティープレートどころかテーブルまで染みている紅茶を慌てて布巾で拭き取る。
「あなたもそんなミスするのね」
 カラカラと笑う彼女に、別の意味で顔が赤くなりそうだった。

 その日の夜、彼女の父である公爵に呼び出され、彼の執務室を訪れる。用事なんて予想ができる。執務室をノックし、中に入って豪華な皮のソファに力が抜けたようにどさりと腰掛ける。向かいに座る公爵はニヤニヤとした顔で話しかけてきた。
「昼間の庭園の件、見ておりましたぞ、王子殿下。あなたもそんなミスをするのですな」
「それは彼女にも言われた。いつもはそんなミスしない」
「はっはっは。仕方ない、私の娘は可愛いですからな」
「同感。俺の婚約者は可愛い」
「ちょっと! 私の娘ですぞ!」
 権力を振り翳して、彼女の執事になった甲斐があった。

『溢れる気持ち』
まるで紅茶のように。

2/2/2024, 6:14:43 AM

 家の後ろの方にある、木や草が生い茂る山に、1本の立派な木があった。子供どころか、大人ですら手を広げて囲っても何人も必要だ。そのくらい幹が太く、枝も大人の胴体くらいありそうな、樹齢百年は下らないだろう木だった。
 その木の枝や葉が日光を遮っているらしく、その木の下は薄らと緑があるだけで草が生えておらず、ちょっとした円状の広場のようになっていた。
 放課後、いつも連んでいる幼馴染たちに、今日は用事があるからと遊びの誘いを断られた俺は、ランドセルを部屋に放り投げると、家の後ろの山に探検に出かけた。親からは入ってはいけないと散々注意されているが、好奇心には勝てない。ダメだと言われれば尚更だ。
 そうして草を分けてまっすぐ進むと、大きな木があった。
「うわ……!」
 あまりの大きさに上を見上げると、空を覆うように広がった葉の間から少しの木漏れ日がキラキラとしていた。家の近くにこんな木があったなんて、とキョロキョロと見渡す。すると、俺がきた方向とは逆方向の木の枝に、ブランコが風に揺られているのを発見した。
 丸太を縦半分に切り、断面を削ったものを、大きな木からロープでぶら下げているだけのシンプルなものだった。ずっと使われていなかったのだろう、砂埃に塗れている。
 誰が作ったのだろう、乗れるのだろうか? 俺はブランコに近づき、砂埃を手で軽く払って、丸太に座ってみた。ギシィ! と盛大に軋む音がなるも、落ちる様子はない。恐る恐る、地面を蹴ってブランコを漕ぐ。老朽化でギシギシ音が鳴るが、まだ現役だった。ぐんと空中へ漕ぎ出すたびに木漏れ日が近くなり、それが面白くて夢中で漕ぎ続けた。
 しばらく漕ぎ続けていたが、不意に母の自分を呼ぶ声が聞こえ、途端にお腹の虫が鳴り出した。当たりを見回すと、少し薄暗い周囲が、さらに薄暗くなってきている。探検もここで終わりか、と家に向かって歩き出した。明日、学校でこの木とブランコのことを話そうと心に決めて。

「懐かしいな」
 くたびれた中年の俺は、またその木までやって来ていた。俺がきた方向とは逆、幹の裏を覗き込む。
「お、あったあった」
 そこには、記憶と変わらないシンプルなブランコが風に揺られていた。この木とブランコを見つけた次の日、幼馴染たちに自分の発見を自慢したくて、学校に着くと早速その話をした。得意げに、その木とブランコの場所まであいつらを案内し、あれよあれよという間に、俺とあいつらしかしらない秘密基地になっていた。
 社会の荒波に揉まれ、あの頃の気持ちを忘れていたが、この木を見るとあの頃のワクワク感が戻ってきたかのような感じがした。久しぶりにいい気分だ。
 長い間感じることのなかった、ブランコに乗りたいという気持ちが湧いてきた。
「よし、乗ってみるか!」
 あの頃より少し小さく感じる丸太に腰掛ける。ギシィ!と音が鳴るのは昔と一緒だ。しかし。
ブチブチっ!
「うわっ!」
 あの頃とは違い、老朽化と成長した俺の体重のせいで、丸太を支えているロープが引きちぎれた。痛めた尻をさすりながら起き上がる。
 ブランコのロープの片方は完全に引きちぎれ、もう片方も半分ほど千切れていた。もう乗れなさそうだ。

「はは、お前も歳を取ったな」
 俺が歳を取ってくたびれたように、ブランコも同じ時間を歩んでいた。
 
『ブランコ』
俺にとってはもう1人の幼馴染だった。

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