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「結婚式を挙げることにしたの。よかったら来てね」

 そう言われて、職場の先輩から綺麗な白い封筒を受け取ったのは昼休みのことだった。先輩、彼氏いたのかとか、籍いつ入れたんだとか驚きつつ、絶対に行きますと微笑む。
 これ、あいつも受け取ったのだろうか。

 「あいつ」は、職場の同期であり、私の好きな人だ。そしてあいつが好きな人は、今しがた私に封筒を渡してくれた先輩だったはずだ。焦燥と僅かな歓喜が混ざった得体の知れない何かが、心の中に湧き出て踊り始める。そっとあいつの席の様子を伺うと、あいつは席に座って、茫然と私と同じ封筒を見ていた。
 こういうとき、何て声をかければいいのか分からないな。そっと近づいて、とりあえず思いついたことを言ってみる。

「ねえ」
「…………」
「今日、飲みに行こうよ。話くらいなら聞くからさ」
「…………いく」

 ちょっと涙声の返事が返ってきた。
 私たちは、何かあれば帰りに近くの居酒屋で愚痴り合うくらいには仲が良い。と思う。他にも同期はいるが、席があるフロアが違ったり、配属した部署が地方だったりであまり交流がない。私たちは運良く席が近かったのだ。配属された当時はすごく嬉しかった。
 仕事をさっさと片付けて、帰る準備をする。お先に失礼します! と、あいつが元気よく挨拶して部屋から出て行くのを見えた。……無理してるなぁ。
 カバンを持つと、今朝、例の封筒を渡してくれた先輩から声をかけられた。

「相変わらず仲いいね。今日も行くの?」
「へへ、まあ」
「そっか、いってらっしゃい」
「ありがとうございます。お先で〜す」

 先輩からの頑張れという視線をもらいつつ、会社を出る。先輩は私があいつのことが好きだと言うことを知っているのだ。というか、私が自分でバラした。恋愛に慣れない自分の精一杯の牽制のつもりだったのに、先輩には既に将来を誓った相手がいたなんて。ただ自分の好きな人を暴露しただけになってしまった。あーあ、馬鹿みたいだ。そういえば好きな人を告げた時も、なんともない様子で応援してるよ、って言ってくれた気がする。あの時からもう相手がいたのかもしれない。そう考えているうちに、いつもあいつと飲んでいる居酒屋についた。
 店員にテーブルに案内してもらうと、彼はビールを片手に、テーブルに突っ伏していた。

「おつかれ」
「…………マジ無理」
「だろうねー」

 私もとりあえず何か注文を……レモンサワーとかにしておこう。きっとこいつは限界まで飲むだろうから、私まで潰れるわけにはいかない。

「だってさ、結婚!?!? 彼氏いるんだ、とかもなかったのに!? 結婚ーーー!?」
「あれは私もびっくりした! でも最初から相手いたんだって、たぶん」
「俺、立ち直れないわ」

 頭を抱えるこいつに、なんとも言えない気持ちになる。この居酒屋では、愚痴の他にも、こいつが先輩をどのくらい好きかというのをさんざん聞かされた。他にもエレベーターで一緒になっただとか、頑張ってるねってお菓子を貰っただとかの他愛のない話まで。別に私だってお菓子貰ったしと言ってしまいそうなところを飲み込みながら話に付き合っていたっけ。
 想いに耽る私の目の前で、泣き言を言いながらビールを流し込むように飲んでは店員に注文し、またビールを流し込み、を繰り返し、だんだん呂律が回らなくなってきたこいつに、そして自分にも、なんだか哀れみを感じてきてしまった。こいつの顔は涙と鼻水とビールでぐちゃぐちゃだ。何で私はこいつのことを好きになってしまったんだろうか、とぐちゃぐちゃの顔を見ながら溜息をついた。

「届かぬ想い」
こいつの目には先輩しか映っていなかったから。

4/16/2024, 5:12:49 AM