「おはよーございまー、なんやお前かい」
「なんやとはご挨拶な。そっちこそ早いやん」
「そら、急に隣が涼しなったからな。黙って帰ることないやんけ」
「昨日の格好のまま出社なんかできるかいな」
それもそうだ。昨日が休日ならまだしも週の真ん中で、それも
明らかによれたシャツなんか着てくれば、朝帰りですと言っているようなものだ。
でもなにか引っかかる。それが何かは分からないが。
「おはようございます〜、あー今日暑いわぁ」
そう言って入ってきたのは同期の大倉。もう既にネクタイは外されており、シャツの袖を捲りながら愚痴を吐く。
「起きた時寒かったからさ、長袖着てきたんやけど駅着いたらもう日出てきて暑いやん。満員電車地獄やったわ〜、ほんま着てくん失敗した」
「クールビズやからネクタイは付けんでよかったのにな」
「ほんまそれ………うっわ、何その格好。暑ないん?村上くん」
「……そうや」
それだ、俺が感じていた違和感は。身だしなみが整いすぎてるのだ。流石にジャケットは着てきてはいないが、シャツは第1ボタンまで閉められておりネクタイもキッチリと締めている。
腕捲りすらしていない。家では冬場でも半袖Tシャツの男が、だ。それもお天気お姉さんが夏日だと言っていた今日。
「それや、なんでお前長袖やねん。いつも半袖やのに、ネクタイまで」
「それは……」
「見てるだけで暑いねん、脱げ!」
「わっ、大胆!!」
「……れのせいで」
「あ?聞こえへん」
「誰のせいで半袖着られへんと思っとんねん!!!!」
うわ、ゴジラが火ぃ吹いた。長い付き合いやけどこいつの沸点未だに分かれへん。顔真っ赤で鬼みたいやな。
「ドアホ!!」
「どこ行くねん」
「頭冷やしに行くんじゃボケ付いてくんな!」
バタンと乱暴にドアが閉められる。
「こっわ……アイツなんやねん」
「んふふ、耳まで真っ赤やったね」
何故かニヤけている大隈。あいつキレてるんとちゃうんか?
「え、ニブニブやん。鈍感が可愛くて許されるのは真ちゃんだけやで」
「……もしかして、あいつ恥ずかしがってるん?」
「照れと怒りが半分半分ちゃう?原因が覚えてへんねんもん」
胸に手を当てて考えてご覧よ、と茶化す同期を一発しばいた後、昨日のことを思い出す。
……なんやねん、昨日は可愛かったのに。キスマつけるのへたくそやから全然つけれんで、俺も付けたい言うて駄々こねて…
あ、そうや。それで噛み跡やったら付けれるんちゃうかって。
つまり、あの下には俺の歯型が付いている。
そう考えただけで腰周りが重たくなった。
あかん、何考えてんねん職場やぞ。
「その様子やったら無事に思い出せたみたいやね、けだもの」
「返す言葉もございません……って、なんでお前が分かんねん!」
「昨日2人で帰ってたし?というかいつも半袖の人が長袖着てるだけで怪しいやろ。全然気づかずにデリカシーないこと言うた人もおるけど」
「ほんま面目ない……」
「それは信ちゃんに言うて。でもそのニヤケ面何とかしてからな」
「え、俺ニヤけてる?」
「めっちゃキショい」
薄々気づいてたけどお前って俺に厳しない?
作者の自我コーナー
いつものパロ。みんなオカン派だけどオカンはオトン派。
ガサツってよく言うけどそっちもそっちでデリカシーないとこあるよねっていうお小言
『すぐにどこかに行ってしまう星よりもずっとそこに在る月の方がよっぽど信用出来る』
いつも月に向かって手を合わせる彼に理由を聞いたらこんな謎の理論が返ってきた。そもそも願いが叶うなんて迷信に信用も何もあるのかと思ったが、やたらと真っ直ぐ目で言われてしまって何も言えなくなった。
『月の形によって願い方を変えるんだよ』
『新月ってのはこれから満ちるだろ?だからこうしたいからこう願うっていう、まあ言わば決意表明みたいなものだよ』
彼の願いは随分と具体的なものらしい。努力家の彼がそんなに神頼みならぬ月頼みしてまでも叶えたい願いとは一体なんだろうか。
『満月は満たされた前提なんだよ、つまりまもなく願いが叶う訳だ。だから願いが叶った前提で月に報告して感謝する』
胡散臭い話だ。
でもそう言って月に祈りを捧げる彼は月光に照らされて綺麗に見えた。色白な肌が透き通って見えるくらいに。
怖くなるくらいに美しかった。
朝目覚めると、彼がいなくなっていた。
ぐしゃぐしゃのシーツはすっかり冷たくなっている。
ベッドサイドには見覚えのない箱が置いてある。
中を開けるとメモとペアリングが入っていたようだった。ようだったというのは、その中の1つが消失していたからだ。
内側には彼と出会った日付が記されている。
メモにはへたくそな字で『君は僕の太陽』なんてらしくないことが書かれていて。
…そうだよ、だからずっとお前を傍で照らしてやりたかった。
だからお前は月なんかじゃなくてずっと隣にいる『お前の太陽』に願えば良かったんだ。そうしたら、毎日願わなくてもたった一言で一生分叶えてやれたのに。
夜になったって俺はあいつを返してくれなんて願わない。
もうそんなものは無いからだ。夜空にぽっかり空いた真白い穴を睨みつけた。
『月は永遠に失われた』
作者の自我コーナー
いつものだけどメルヘンチックな話。
月と太陽なんて言いますが、あの二人はどっちも月で太陽。
『君が太陽で僕が月とかそんな単純じゃない』って言ってますし。
部屋に彼の姿だけ見えなかった。
「あれ、横山さんは?」
「知らへん、トイレとちゃう?」
「にしては長いなぁ」
その場の人間に聞いても誰も行方を知らないらしい。
そうなると考えられることはひとつしかない。
「今、雨降ってるか?」
「降ってるよ、気づいてへんの?」
「ずっとブースに居たから」
「それはお疲れ」
労いの言葉を貰った後、部屋から出て彼を探しに行く。
確か空き部屋があったはずだ。
ドアノブを回そうとすると開かない。ビンゴだ。
「俺、おるんやろ」
しばらくするとカチャンと音がする。
ドアを開くとやっぱりそこには蹲った彼がいた。
基本的に健康優良児な彼だが、時々こうなる時がある。
いわゆる気象痛だが、毎度毎度なる訳ではない。
疲労やストレスが蓄積して低気圧によって爆発するのだ。
その前に休ませようとするのだが、『大丈夫』『これくらいどうとでもなる』なんて言って頑なに拒むのだ。
どうとでもなっていないじゃないないか、全く何度目だ。
「あんた、腹壊したことになってるけど?」
「お前……」
「雨降ってるもんなぁ。久しぶりのハードワークははしんどいですか」
「べ「俺相手にカッコつけんでええって」
カッコつけててカッコイイと思った試しがない。自然体の方がよっぽどカッコイイっていうのは調子に乗るから言わないが。
「……いっつもお前これをこなしてんの?化け物やん」
「ルーティンワークやなもはや、むしろこれない方が調子狂うわ」
「……うぅ…」
「熱は……ないな。薬は?」
「もってきてへん」
「やろな思て持ってきたったで。ほい、水も」
「……ありがとう」
「あんたの番、後にしてくれ言うてくるわ」
引き返そうとすると、ぐいと物凄い力で引っ張られる。
体調不良でも馬鹿力は健在なようだ。
「……れよ」
「は?」
「ここおれよ言うてんねん!」
顔真っ赤にして何を偉そうに。でも、照れてまで俺を引き止めたかったと考えると悪くない。
「でも連絡せえへんかったらあんたと俺が2人でいなくなったみたいになんで?」
「そんなん、別にええ」
「さよか」
本当は全然良くないけど。彼らだって暇じゃない。大迷惑をかけることになるのはプロ意識が足りないのではないかとお小言を言ってやりたくなるが、そこは弱っている病人なので大人しく後で一緒に怒られよう。
「ほな、失踪しよか。雨が止むまで」
隣にしゃがんで雨音を聴く。苦しんでいる彼には悪いけど、
俺はこの時間が好きなのだ。
(もうちょっと独占させて)
作者の自我コーナー
いつもの、ですがない話です。2人とも偏頭痛持ちというのは聞いたことがありません。でもお互いが弱みを見せれる相手だったらいいなと言う願望。甘えられるのが嬉しい人とこんなときにしか素直になれない人。逆転現象も起こります。対極だけどたまには寄り添ってね。
あいつの心が読めなくなったのはいつからだろう。
昔は分かりやすい奴だった。表情が万華鏡のようにコロコロ変わった。たった1つしか年の変わらない俺に子ども扱いされてむくれたり、かと思えば年下なことを全面的に出して奢らせたり、同い年になって喜んだり。一足先に歳を取る俺に「また置いていかれた…」と寂しそうにしたり。見ていて飽きない奴。
大人になっても我慢を覚えたとしてもそれは何も変わらなくて、お前のことならお前よりもわかると自負していた。
それが今分からなくなっている。
きっかけはハッキリしている。
一週間に一回合わなくなったからだ。むしろ十年それが続いていたのが奇跡だった。ずっと顔を合わせていたから微々たる変化にも気づけていたのに、今はタバコを辞めたことにすら気づけなくなってしまった。
今なら俺以外の奴の方があいつのことを知っている。
それが気に食わない、なんて。理由なんて分かりきっている。
俺が透明だった感情に色を付けてしまったから。だから、一緒にいられなくなって手放した。
それを今の今更後悔しているなんて、救えない莫迦だ。
もう表情すら分厚い下手くそな笑顔が張り付いていて読めない。鉄壁の形状記憶ならもうちょっと上手く作れや。
昔の俺だったら、その皮の中がどうなっているのか透視出来だんだろうか。今の俺にはその仮面を剥がすことすら出来ないのに。
お前の心をもう一度見るにはどうすればいいか、考えた。
阿呆なりに頭を捻って考えた。うんと考えた。
「なぁ、」
「………おれ?俺に話しかけてんの?」
「お前以外に誰が居るねん」
「まあそやな。で、どうしたん?俺に話なんて」
「飯行かへん?」
心が見えない、そう見えないだけなのだ。
つまりそこに『存在』はする。要は見えるようにすればいい。
無色透明な水に色水を垂らすように。
「え」
「予定あった?」
「いや、ないけど………あんたからなんて珍しなぁ」
そう言って変わらないあの頃の笑顔で顔を
くしゃりと歪ませた。
(ハートに火をつけて)
作者の自我コーナー
いつもの。分かってるようで分かってないところがありますよね彼ら。彼から動かないとこの2人はどうにもならないだろうなと思います。
作者の自我コーナー番外編
そいつは祖母の家に居ました。
私が生まれる前から居るそいつはでっぷりと鎮座していて、
さながら大御所のよう。いつも堂々としていて、機敏に動いているところなんて片手で数えられるくらいしか見てないのではないでしょうか。メロンとヨーグルトが好きな贅沢者でした。
いつからいるのかは定かじゃなくて、いつの間にか居着いたというのが正しい表現らしいです。だから過去のことは何も分かりません。野良、ではないでしょう。野良ではこんなに威厳のある姿を保てません。だとすれば、飼われていた?もううちの奴同然の振る舞いをしているのに?
でもだって、外に出れば色んな名前で呼ばれているんですよ。
『クロ』
『ジャック』
『あんず』
同一の存在を呼んでいるはずなのに、ここまでバラバラな事がありますか?全く謎でした。今だって、ずっと。
2時間前、そいつは普通に動いていました。いつものようにのしのしと緩慢な動きで歩いていました。もうご隠居の散歩です。とうに平均寿命は過ぎていて、ここまで来るとずっと生きてそうだなと思いました。思ったことありませんか、こいつは殺しても死ななさそうだなと。
そんな訳ないんですけどね。死は誰にだって平等です。
18時、インターフォンが鳴りました。
新聞の集金かと思いました。にしても遅いけれど。
でも血相を変えた人が立っていて、ねこが、と。その人の話を最後まで聞くことなく、私は祖母を呼び、自分は外に駆け出しました。
2時間前、私がそいつを見た場所で猫が伸びていました。
頭から血を流して。撥ねられたそうです。
何もそっくりその場所に居なくてもいいのに。
猫は死に際を見せないと言われています。
だとすれば、あいつは相当の間抜けです。
あんな自立しないぬいぐるみみたいな姿を晒して、逝くなんて。貴方がダンボール箱に大人しく入ってる姿なんて見たくなかった。
猫って意外とそそっかしいですね。みんな威風堂々としていると思ってました。動かない髪ゴムに興奮したりはしなかったから。
そのせいで猫にそんなイメージがない従兄弟が、機敏に動く猫にビックリして怖がるようになってしまいました。
私たちにとって猫は1匹しかいなかったから。
そんな機敏なヤツももう随分貫禄がついてきました。
貴方の歳(推定)を越しました。猫って本当に長生きですね。
本来なら貴方ももう少し生きてくれたんでしょうか。
たらればなんてらしくないけど、ふと考えてしまいます。
『突然の別れ』