『はなればなれ』
わたしたち、二人で一つ。
でも、いつかそれも終わる。
それだけは分かってるつもりよ。
あなたと別れないと、あの人を幸せにしてあげられないもの。
いいの、それで。
私とあなたの血のような赤い糸を、あの人が啜って。
新しい命をつないでくれる。
それってとても幸せじゃない?
啜って、飲み干して…
あの人の中で溶け合って生きていくの。
私とあなたは別々に捨てられて永遠にはなればなれになるけれど。
でもきっと、きっと役目を果たしたって誇り高く終わりに出来るわ、
インスタント激辛ラーメンのフタとカップだもの。
不老不死の鈴夜さん
「あなたとわたし」
「意味がないこと」
不老不死の鈴夜さんが言う事には、あなたとわたしは『違う』のだと、鈴夜さんの店で一番人気のソファーで寛ぎながら、ポツリポツリと語り始めた。
定休日の気怠い午後に、二人でお茶を飲みながらどうでもい事を語り合う、そんなユルい親睦会でのことだ。
「わたしとあなたは違うのだと、ちゃんと認識しておいて欲しいの」
「そんなの、当たり前じゃないですか。他人なのですから」
ううん、と鈴夜さんは首を振る。
「気遣いとか尊重とかの話ではなくてね、非時香果(ときじくのかぐのこのみ)を食べた者と食べていない人の話。不死者と生者の、そう──」
言いかけて黙る鈴夜さんを見て、わたしは首を傾げた。なんだか今更な話だ。
「不老不死とそうじゃない人の違いなんて、年老いて死ぬか死なないかでしょう?」
「──化け物と人間、よ。ちゃんとその認識は頭の片隅に置いていてほしいの」
ソファーで寛ぎながら話すには、少し真剣な声色だった。わたしは佇まいを直して話を聞く体制を整える。
「鈴夜さん、またネガティブモードですか? ハーブティーとか飲みますか?」
「そういう事ではないのよ……」
眉根を寄せてシワを刻む鈴夜さんに、わたしは嗚呼と一人で合点が行った。
わたしを拒絶して安心したいのだ。
不老不死だから、人との付き合いは長くとも60年ほど。それも正体をバラして受け入れてくれたらなので、普通なら長くとも10年で怪しまれて別れがくる。
私は鈴夜さんが不老不死という事実を知った上で友人となったので、そんな貴重な理解者を今後失うという恐怖感や不安に押し潰されそうになっているのだろうと思った。
「大丈夫ですよ、わたしは体は健康だし、事故や怪我に気をつけていれば、まだまだ一緒に居られますよ」
そう言えば安心するかと思って腕を上下に振って見せたが、鈴夜さんは悲しげに微笑むばかりだった。
「あなたのそう言う所、とても素敵よ。でも目の前にいる化物は900年も生きている、人の形をしているけれど、中身はもう化け物なんだって事を理解した方がいいわ」
鈴夜さんは少し呆れたように溜息をついた。わたしが楽観的すぎると思っているんだろう。ま、否定できないけども……。
「鈴夜さん、そんな事を言っても、わたしは友達をやめないし、離れたりしませんよ。そんな意味のない話より、もっと楽しい話をしましょう」
いい加減に面倒になって、わたしは鈴夜さんの気持ちも汲まずに窘めた。
彼女は苦笑すると、お茶を一口飲んでジッと水色を眺めてから「そう、ね……」と頷くと、いつもの穏やかな表情を浮かべた。
「じゃあ、いつものように昔話をしましょうか」
不老不死で全国を練り歩き、今はこの地域でひっそりと寂れたブックカフェを営んでいる彼女の生き字引に期待して、私は鞄から一冊の本を取り出した。
「あ、なら大学のレポートの為に読んだこの本にある、ここの処刑場についての話とか聞きたいです」
「あら、あそこねぇ……あ、とっても素敵な駈け落ち話があるのよ、女川飯田口説って言ってね、家臣と奥さんが──」
生き生きと話し始める鈴夜さんに安堵しながら、わたしはその話に聞き惚れた。
──私を人間だと、友達だと言うあなた。
私は、あなたを私と同じ者にしてしまいたい……と思い始めている化け物なのに。
不老不死の鈴夜さん
『柔らかい雨』
文字通りの柔らかい雨は本当にあるのよと、不老不死の鈴夜さんが言っていた。
「あれは大正の終わり頃、えっと下野国……今の栃木県のある村での事よ。秋の頃に雨が降り続いた夜更けに『狐の嫁入り』を見たの」
「夜に狐の嫁入り、ですか?」
僕は月夜の晩に降る雨を想像した。
「あら、狐の嫁入りは何も晴天の雨とは限らないのよ。でね、はるか遠くの林道に赤い灯が5か6つ、ポウッと灯ったら、次の瞬間には数えきれないほどの灯りがパッと灯って、増えたり減ったりしながらチカチカと明滅して電飾みたいに舞っていたの。蛍では無いのよ、動きがね……全然違うんですもの」
身振り手振りで、振り子のように揺れ動く灯りやグーパーで点滅を表しながら、鈴夜さんは説明してくれた。
「その時一緒に見たオババは『ホレ、鈴の音がシャーンシャンってするべ、狐の嫁入りだがら、余り見るんじゃねぇ、化かされる』と教えてくれたんだけど、自分には鈴の音は聞こえなかったのよね」
鈴夜さんはそういうと、ボンボ二エールからリキュールボンボンを一つ摘まむと口に放り込んだ。
「あの夜の雨は、白狐の毛並みみたい細くて、銀に輝く毛並みのように柔らかな雨だったわ。肌を刺すような冷たさも無くて、暖かいくらいだったの」
言い終えると、鈴夜さんは頬杖をついて窓の外を眺めた。
換気にと明けられた窓から、どこからか微かにシャンシャンと鈴の様な音がしている気がする。
「最近の雨は、人を打ってばかりで優しくないものね……」
そうぽつりと呟くと、彼女は何かを懐かしむように目を閉じた。
いつもハートをありがとうございます。
たそがれ 後日更新したいと思います。
【秋】
この歳になって、初めて季節によって雲の形状が移り変わることを実感した。
夏に聳え立つ入道雲が姿を見せなくなり、代わりに巻雲(けんうん)と言うすじ雲が空を筆で塗りつぶすように現れ、夕暮れ時にはイワシ雲が赤や金色に染まって郷愁を誘う。
そのイワシの大群を突っ切る飛行機の白い線が小気味よく、とても美しい。
「空、お好きなんですか」
土手沿いで会社帰りに空を眺めていたら、不意にそう声を掛けられた。
相手は女性だった。白いブラウスに黄色のフレアスカートを着た女性は、夕日を背にしているので顔がよく分からないが、とても優しい声だった。
「い、いえ。空なんて何十年かぶりに見上げましたよ」
そう、子供の頃は良く空を眺めた気がする。
明日は晴れるだろうか、夕方まであとどの位かと時計がわりに眺めて、友人達との時間を惜しんだものだ。
「そうなんですね。なんだかお詳しそうに見えたから、つい声を掛けちゃいました」
「あ、いやいや……詳しいとかは。さっきスマホで調べた位ですから、全く」
無教養でして……と、私は苦笑した。
女性はフフッと笑うと空を眺めた。
「今日はなんだか眺めたくなる空ですよね」
「そうですね」
「もう一度、ゆっくり空を眺められてよかったな、太陽もオレンジ色で綺麗」
「そうですね……」
そう言ってしみじみと空を眺めた。
しばらく黙って眺め続けると、夕焼けに紺色が混ざり始めて我に返る。
「……陽が、沈んでしまいましたね」
秋雲が姿を変えて、逢魔が時に同化していく。
私は返ってこない返事に隣を見やった。
そこには、力尽きて項垂れる向日葵が立ち尽くしているだけだった。