ピコン。
通知オンと共にスマホの画面を勢いよく見る。
ドキドキと叫ぶ心臓。
段々と紅潮していく頬にぶるぶると頭を振り、心を落ち着かせる。
しかし、いざ画面を見れば
【夏限定!今だけ特別割引!!】
と、先日入れたショッピングアプリの通知が来ているだけだった。
エベレストの頂上にいた心は一気にマリアナ海溝に沈んでいき、俺はイラつきを隠すかのように布団の中に潜り込む。
意味もなく彼女とのLINEを開き、
【今度遊びに行かない?二人で】
というメッセージに既読すらついていないことを確認してため息を吐いた。
人生で初めて、好きな子ができた。
勇気を振り絞って交換してもらったLINE。
ポツポツと続くやりとりにもどかしさを感じながらも、手には幸せを感じていた。
「すき」の二文字はいまだ送れない。
もしかしたら彼女は俺の気持ちにとっくに気づいているかもしれない。
それでも、ほんの少しの勇気がたりない。
彼女とのやりとりを遡って、なんの発展もしていない現状に再びため息が溢れる。
別に気にしてないんかない。
気にしてなんか……。
ピコン、と音が鳴った。
思わず驚いて落としそうになってしまったスマホをしっかり握りしめる。
今度はショッピングアプリの通知音じゃない。
緊張からか、手汗がドッと流れる。
珍しく神妙な顔をした俺に、「キモ」と妹が毒を吐いたが、それどころではない。
俺は震える指を必死に動かし、LINEを開いた。
【いいよ。どこ行こうか】
一時間越しの彼女からのLINEに、俺は密かにガッツポーズをしたのだった。
『君からのLINE』
大切な存在というのは、案外失ってから気づくものだ。
お気に入りの消しゴムがなくなった。
毎日使っていたコップが割れた。
靴を履こうとしたら、靴紐が千切れた。
ある日突然、貴方がこの世を去った。
本当に、突然のことだった。
酒に酔った運転手が、人を一人跳ねた。ただそれだけ。ありふれた日常の中でも、どこにでもあるような悲劇だった。
まだ、一緒にやりたいことが沢山あった。
何がやりたかったの?と聞かれれば、すぐには答えられないけど、段々と話していくうちに見えてくる未来が輝かしかった。
スイカ割り、バーベキュー、イルミネーション、山登り、カフェ巡り。
貴方は、やりたいことの一つも叶えることはなく、私を置いてどこかへ行ってしまった。
失ってからじゃ遅い。
後悔してからじゃ遅い。
貴方という存在がいなくなって、私の心にはすっかり大きな穴が空いてしまった。
他のどんなもので埋めようとしても、崩れてしまう。
時間が解決してくれるだろうか。
この大きな穴が埋まる日は来るのだろうか。
いや、多分きっと来ない。
来なくていい。
貴方との記憶を、他の適当なもので埋めるくらいだったら、一生この喪失感を抱えたまま、死んでしまいたい。
『喪失感』
世界に一つだけの、貴方の愛が欲しい。
友愛でも、親愛でもなく、
貴方の愛が、貴方の恋が欲しい。
出会った瞬間の衝撃と、貴方という人間を知るたび感じる「好き」という感情は今でも消えることなく燃え続けている。
貴方の眼中に、私なんか入らないかもしれない。
一方的な気持ちを押し付けるつもりはない。
一生私の気持ちに気づかなくてもいい。
それでも、貴方のちょっとした特別になりたい。貴方の辿る歴史の中に、一瞬でも私が映ればそれでいい。
その一瞬こそが、世界で一つだけの愛を感じることが出来る唯一の一瞬なのだ。
『世界に一つだけ』
おぎゃあ。んぎゃあ。
分娩室に響く泣き声。
ドクドクとうるさかった心臓が、次第にゆったりとしたいつもの速さに落ち着いていく。
「おめでとうございます!元気な男の子ですよ!」
助産師さんの声に、私は一気に夢から現実に引っ張られたような感覚を感じた。
産まれた。
何ヶ月もお腹を痛めて、心も、体も無茶苦茶になってしまった原因である我が子が。
大好きだった唐揚げも食べれなくなって、必要以上に音に敏感になってしまって、今までの生活が送れなくなってしまった原因である我が子が。
なんて子だ。
産まれる前から母親を苦しめやがって。挙句の果てには産まれる瞬間すら苦しめやがって。なんなら今だって体中が悲鳴をあげてるんだぞ。
「本当におめでとうございます。お母さん」
そっと、まだ目も開けられていない、ふやふやの我が子を渡される。
私は震える手で我が子を抱きしめた。
本当、なんて子だ。
どうしてこんなに涙が出てくるんだ。
どうしてこんなに嬉しいんだ。
どうしてこんなにも愛おしいんだ。
とく、とく、と規則正しく動いている胸の鼓動に、あぁ、この子も生きているんだと、ようやっと産まれてきたんだと思った。
どうせ、これからも私を困らせるんだろう?
きっと我が子が憎いと思う日が来るかもしれない。子育てって多分そうゆうものだ。
誰にだって限界がある。
でも、この日のこの感動と、我が子を想う愛おしさを超える日は、多分この先、一生来ないのだろう。
産まれてきてくれて、ありがとう。
『胸の鼓動』
久しぶりに水族館に来た。
勿論一人で。
薄暗い館内は巨大な水槽の淡い光が差し込み、キラキラと揺れている。
俺は、中を踊るように泳ぐ魚達をただひたすら、それこそ取り憑かれたように見つめていた。
失恋した。
好きだった子がいた。
大好きだった。
あの子の為なら、何でもできると思ったし、あの子のことを想うと胸が締め付けられる。そんなベタな恋心を抱いていた。
本当はこの水族館も、あの子と行きたかった。
だが、勇気をだして誘って返ってきた答えは、
「私、彼氏がいるから」。
呆然と立ち尽くす俺に、彼女は「ごめんね」と言い、一世一代の告白は、好きの一言すら言えずに終わったのだ。
なんて惨めなんだろう。
なんて浅ましかったんだろう。
恋なんて大嫌いだ。
こんな、こんなにも人間を狂わしてしまう。
無理だと分かっているのに、可能性の一ミリすらないのに、まだ俺は彼女を諦めきれない。
確かに恋をしていた。
好きだった。
多分、この先一生忘れることの出来ない想いだ。
目の前で泳ぐ魚達は、そんな惨めな俺を嘲笑うかのように泳ぎ続ける。
尾鰭を広げて、水の中を自由に踊る。
泳いで、泳いで、泳いで。
その先に何かある訳でもないのに、泳ぎ続ける。
「いいなぁ……」
俺も、この水槽の中に入ってしまえば、こんな惨めな想いをしなくて済んだだろうか。
いや、そうなってしまったら、あの子の事を好きになった気持ちまでなくなってしまう。
それは、なんか嫌だ。
でもやっぱり苦しい。
せめて、好きの二文字だけでいいから、伝えたかった。
あぁ、恋なんて大嫌いだ。
『踊るように』