永遠の花束なんて僕は望まない。
花も人生も終わりがあるから、美しいのである。
そして、美しさも比類なきものである必要がある。
花も人生もいずれ菖蒲か杜若。どれかひとつだけなんてことは無いんだ。
胸を張って生きるといいさ。
その終わりを意識的に無意識に封じ込め、表面的な今を味がしなくなるほど咀嚼する。良い生き方だ。
いや、いいんだ。初めから、理解して欲しいなんて思っていない。そもそも、他人に本当の意味で理解されるなんてことは起こりえないんだよ。イソギンチャクの見ている世界とアメフラシが見ている世界が違うように、僕が見ている世界と他人が見ている世界は違う。仕方ないことなんだ。今さらそれに文句を言うつもりは無い。僕は、この20年間で自分の考え方や生き方が大方の人間とは相容れないということが分かったんだ。やっと、20年かけてそれだけが分かってきたんだ。だから、もう放っておいてくれ。
亡くなった姉の家に遺物の整理や部屋の片付けをしに向かった。姉は都内の駅近くにあるアパートに住んでおり、家からの徒歩数分の美容院で働いていた。昔から、色んな人の髪型に興味を抱き、よく僕をマネキン代わりにして色々な髪型を試していた。
アパートは密集した住宅街の隙間にあり、3階建ての細長い形をしていた。姉の部屋は2階にあり、壁に同化してるみたいにドアはくぼんでいた。
中に入ると、ムッとした独特な香りが押し寄せた。散らかった服と片付けられていない容器、やけに強いディフューザーが混じった匂いだった。少しすると、外気と混じり薄くなっていった。
早速部屋の整理を行い、必要そうなものは用意していた袋に入れていった。服を手に取るたびに、その服を来ている姉の姿を想像した。姉が上京してから、一度も会っていなかったため、僕の想像する姉は実際より5.6歳若かった。
部屋は1LDKだったため、そこまで時間はかからなかった。
一段落して、テーブルに座り持参した水を飲んだ。泥水を薄めたような味だった。こうやって、部屋を見渡してみると先程まであった生活感は綺麗さっぱり無くなっていた。どこか僕は彼女の存在の足跡を消しているかのような、そんな場違いなことをしているのでは無いかという一抹の不安に駆られた。
休憩を終えると、洋室のデスク周りに取り掛かった。ヘアカタログ雑誌があらゆる場所に置かれ、挟まれていた。それらを1枚ずつ丁寧に引っ張りだしていると、その間からひとつの封筒が床に落ちた。
拾って見てみると、「5年後の私へ」と書かれていた。本当は今開いてしまうのは良くないが、その時には正常な判断は出来なかった。
封筒を開けると、丸みを帯びた幼い文字で埋め尽くされた便箋が1枚入っていた。恐らく、中学三年生の頃に授業で書いた成人の自分への手紙だろう。
「5年後の私へ
なんか、授業で書けって言われたから書くけど、あんま書くことないかも。まあでも、一応みんなは夢とか書いてるらしいし、私も夢を書くね。
改まって書くことでもないけど、私は美容師になりたい。いや、なる。なれるだけの努力は誰よりもしてる。そして、誰よりも好きな自信がある。だから、仮にこれを読んでいる時に美容師の専門学校とか、もしかしたら美容師になってたりしたら、今の私に感謝して欲しい。
私がんばってるから。
もしかしたら、美容師なんて興味がなくなったりして、全く違うことをしてるかもしれないけど、きっと私なら違う何かにも頑張ってるはず。そう信じてる。頑張ってなかったら、今の私を、5年前の私を思い出してね。何かを目指して努力するって、辛いけど結構楽しいものだよ。
追伸 よく人の話を聞いてなくて怒られるから、そこが治ってると嬉しいかも。
」
それを読み終えると、硬く白い紙は灰色の斑を増やしていった。頑張っていたんだよ、彼女は。本当によくやってたんだ。終わりがあるのなら、初めからそれを教えてやってくれよ。どうしてこんなにも唐突なんだ。
溢れる涙は悲しみを知らせる楽器のように、音を鳴らして紙や床に落ちていった。しんと静まった部屋は、その音だけが不確かに響いていた。
「バイバイ」と彼女は言った。
「バイバイ」と僕は繰り返した。
彼女は背を向けて、バスの扉に乗り込んでいった。僕はその姿を朧気に眺めていた。まるで、違う世界へ行って、もう一生帰ってこないような、そんな気がした。そしてそれは、実際にそうだった。
バスが行ってしまうのを見送ると、あてもなく道を低回した。倦まず弛まず骨材を結合させるアスファルトの表面を削るように歩いた。
これで終わりなんだ。僕と彼女との蜿蜿と続いた日々も、あの一言でスパンと切れてしまったのだ。ああ、一体どこを間違えたのだろう。どこから、間違ってしまっていたのだろう。
ひとしきり悩んでも、浮かぶものはなかった。心当たりがあると思えば、あらゆることが予兆だったようにも思えるし、ないと思えば、僕たちはそれなりに上手くやってきてた気がした。そんな漠然とした理解しかしていないから、別れてしまったという考え方もできるかもしれない。
右手をズボンのポケットに入れて、中身をまさぐった。飴かなにかが欲しかったが、入っているのはパスモの入ったカードケースだけだった。視線を上げてみると、そこには空全体の重しとしての役割を果たそうとする雲に満ちていた。もう15.00だと言うのに、僕は初めて今日の天気を知覚した。
悵然たる思いを抱えつつ、頭の中はあらゆる思考で埋め尽くされていた。どこか近くの店に入って、思考を外に向けようと考えた。
道を歩いて、初めに目に付いた料理屋に入った。店内は落ち着いた雰囲気があり、奥には和室のようなものが見えた。店員は和食店でよく見るような法被式の白衣を来ていた。小さな個室に案内され、そこで初めてここが懐石料理を出す店だと気づいた。
この失意の中に食べるには、あまりにも高尚だったが、来てしまったからには仕方ない。こうなれば、一口ごとに口内の全細胞を総動員して食べてやろうと思った。
初めに一汁三菜を食し、次に強肴、箸洗、香の物と少量の食事をいつもの数倍多く咀嚼して食した。量自体はそこまで多くはなかったが、その1食ずつの間の時間で腹はある程度溜まっていった。
満足して店を出ると、空から雲の重しを突き破るような陽光が差し込んだ。光の筋は地上のあちこちに降り立ち、それは幻想的な景色だった。快晴の伸び伸びとした光よりもずっと魅力的だった。
20歳を迎えた僕はどこにも発散できないような閉塞感を感じていた。それ以前から予感のようなものはあったが、それは20歳に近づくにつれ徐々に輪郭を帯びて迫ってきた。特に日常に不満があったわけでは無い。夏の砂場で水をまくような意味の無い講義を受け、誰の頭を使っているのか分からないようなレポートを毎週書くだけの日々だ。
20歳になるというのは、社会の中で新たな印を付与されたような気分だった。その年齢は大人の記号として植え付けられているのだ。
僕は、学生という身分と20歳としての自分とを上手く擦り合わせることが出来なかった。同じ極の磁石を必死に擦り寄せているかのように、それぞれが違った方向を譲らない。それでも、その甘えと責任を上手く使い分けようと努力した。
20歳を迎えて数ヶ月が経つと、渦巻いていた閉塞感は一旦の落ち着きが見えた。しかし、それは世界に馴染んだというよりは、体の奥底にしまい込んだというだけで、いつそれが再び現れるかは分からなかった。自分でも、そんな見かけの安定は一時的なものに過ぎないと理解していた。そこで僕は、内的思索を強制的に遮断するために旅に出ようと思った。自分の凝り固まった頭を内側からひっくり返すような体験が必要だと思った。
行き先はとにかく広大なところが良かった。海でも、砂丘でも、山でも、あるいは宇宙でも。とにかく、自然に対しての自分の存在が、如何に無意味であるかを痛感したかった。僕は砂丘を選び、手っ取り早く鳥取砂丘に行くことにした。
アルバイトをしてなかったため、なるべく節約しなかったが、深夜バスで何時間もかけて行きたいとも思わなかった。新幹線で姫路まで行き、そこから電車で1時間ほど揺られ鳥取駅に着いた。驚く程に電車は空いていて、どこか別の場所に連れ去られるのではないかと恐怖した。
駅も東京のそれと比べると空いていたが、正しい場所にいると安心出来る程には賑わっていた。
北口に行き、鳥取砂丘行きの路線バスに乗り込んだ。他の乗客に僕のような若い人は居なかった。年寄りや中国かインドネシアかの観光客が多かった。20分ほどうたた寝をすると、予想していたより早く到着した。
バスから降り、外の空気を存分に取り込み、凝り固まった肩や首を十分にほぐした。太陽は出し惜しみなくその光を降り注ぎ、風はこちらの気を伺うかのように程よい強さだった。
近くの看板を頼りに歩いていくと、そこには1面の砂山と、奥には濃い青の海が広がっていた。砂丘はトリックアートのように急な傾斜があちこちにあり、そこを登る人達の姿はどこか現実離れしていた。海は太陽の光を全面に受け止めて、波に連なる独自のリズムで輝いていた。
僕は、辿り着いたんだという達成感とこれから待っている未知への期待で胸がいっぱいだった。体の奥底にしまい込まれた感情もその輝きには抵抗できず、外側に引っ張りだされているような感覚があった。体が内側から裏返されているような感覚だ。
衝動的にここまで来たものの、ある意味でここは1つのポイントになりうるかもしれない。20歳という新しい自分とこれからの未知に溢れた人生への。