「バイバイ」と彼女は言った。
「バイバイ」と僕は繰り返した。
彼女は背を向けて、バスの扉に乗り込んでいった。僕はその姿を朧気に眺めていた。まるで、違う世界へ行って、もう一生帰ってこないような、そんな気がした。そしてそれは、実際にそうだった。
バスが行ってしまうのを見送ると、あてもなく道を低回した。倦まず弛まず骨材を結合させるアスファルトの表面を削るように歩いた。
これで終わりなんだ。僕と彼女との蜿蜿と続いた日々も、あの一言でスパンと切れてしまったのだ。ああ、一体どこを間違えたのだろう。どこから、間違ってしまっていたのだろう。
ひとしきり悩んでも、浮かぶものはなかった。心当たりがあると思えば、あらゆることが予兆だったようにも思えるし、ないと思えば、僕たちはそれなりに上手くやってきてた気がした。そんな漠然とした理解しかしていないから、別れてしまったという考え方もできるかもしれない。
右手をズボンのポケットに入れて、中身をまさぐった。飴かなにかが欲しかったが、入っているのはパスモの入ったカードケースだけだった。視線を上げてみると、そこには空全体の重しとしての役割を果たそうとする雲に満ちていた。もう15.00だと言うのに、僕は初めて今日の天気を知覚した。
悵然たる思いを抱えつつ、頭の中はあらゆる思考で埋め尽くされていた。どこか近くの店に入って、思考を外に向けようと考えた。
道を歩いて、初めに目に付いた料理屋に入った。店内は落ち着いた雰囲気があり、奥には和室のようなものが見えた。店員は和食店でよく見るような法被式の白衣を来ていた。小さな個室に案内され、そこで初めてここが懐石料理を出す店だと気づいた。
この失意の中に食べるには、あまりにも高尚だったが、来てしまったからには仕方ない。こうなれば、一口ごとに口内の全細胞を総動員して食べてやろうと思った。
初めに一汁三菜を食し、次に強肴、箸洗、香の物と少量の食事をいつもの数倍多く咀嚼して食した。量自体はそこまで多くはなかったが、その1食ずつの間の時間で腹はある程度溜まっていった。
満足して店を出ると、空から雲の重しを突き破るような陽光が差し込んだ。光の筋は地上のあちこちに降り立ち、それは幻想的な景色だった。快晴の伸び伸びとした光よりもずっと魅力的だった。
2/1/2025, 3:12:12 PM