後で書きますズルいな
子供の頃、飼い猫のニャーコが病気になりまして。
相当危険な状態になり、幼い私は愛猫との別れを覚悟して涙を流しました。
これでお別れだと、そう思ったのです。
今まで過ごしてきたニャーコとの楽しい楽しい日々を思うと、悲しくなって堪らないのです。
結局どうなったのかと言うと、ニャーコは死にませんでした。
奇跡的に息を吹き返して、病気も完治して、元気に家の中を走り回ることも出来るようになったのです。
正しく奇跡。
嗚呼、もう一度その奇跡が起こってくれと、私は願うことしか出来ません。
幼かった私は成長して、大人と呼ばれる年齢になりました。
もともと大人の猫だったニャーコも、年を重ねて、今や立派な老猫でした。
老いとは怖いものです。あんなにやんちゃだったニャーコは老いて、自分の意思で寝床から身体を起こすことすら叶わないのですから。
奇跡よ、どうか。
愛しのニャーコが若返るなんて、そんな願いは叶う訳がないのに、私は願わずにはいられないのです。
『奇跡をもう一度』
甘酸っぱさは、儚いもので。
あなたとの蜜月の時間は、きっともう終わりを告げたのでしょう。
素っ気なくなったメールの返信も、断られるようになったデートの誘いも、あなたが他の誰かと仲睦まじそうに話しているその光景も、その全てが私の心をしんと冷たくするのでした。
あなたは大嘘つき。
それとも、ずっとずっと愛してるなんて、そんな浮わついた言葉を、信じた私が馬鹿なのでしょうか。
二人を繋ぐ“糸”が冷えきっていたことは、互いに理解しているはずですが、それでも、そんな糸でも完全に切ってしまうのは惜しくて、宙ぶらりんのままグズグズと繋がっているのでした。
「好きだよ」
黄昏の町の中を、手も繋がずに二人で歩いている時でした。
突然だったので虚を突かれましたが、しかし、その言葉が紙のように薄くて脆いもので出来たハリボテだと分かっていたので、私の心は少しも明るくなりませんでした。
あなたが昨日、幸せそうに笑いかけていたあの人の顔を、私は忘れていませんでした。
ここが境界線だと、私はそう思いました。
今、あなたを拒絶してしまえば、この黄昏のような私達の関係は、遂に切れてしまう。
それが、一番潔いと思いました。
なので、私は。
「嬉しいよ」
日が沈み行く。
太陽のかわりに昇る月は、まるで未練がましい私のようでした。
『たそがれ』
明日はきっといい日になる。
痣だらけで痛む身体を、薄い布団の中にうずめながら、目を瞑るのです。
明日はきっといい日になる。
くうくうと腹から、切なく鳴る虫の声に気付かないふりをして、目を瞑るのです。
明日はきっといい日になる。
そうやって自分に言い聞かせて、笑顔で、目を瞑るのです。
『きっと明日も』
チクタク、チクタク。
ただただ床に寝そべって、壁にかかった時計をぼんやり眺めていると、不思議な気持ちになるのです。
秒針の動きは、確かにこの空間に“音”という物を発生させていて、明らかに静寂を乱す存在。
だというのに、この秒針の音が無いよりはある方が、より強く静寂という物を感じるのです。
秒針が無ければ、窓の外から雑音が部屋にひょいと入り込んで来ます。
そうすると車のエンジン音やら、人の話し声やら、そういったいろいろで煩わしいと感じるのです。
チクタク、チクタク。
ぼんやりと、静寂に包まれた部屋の中で、秒針を眺めているのです。
『静寂に包まれた部屋』