ひんやりと湿った風だった。
水の匂いのする曇天に、遠雷が聞こえる。
飛び立つなら、こんな日がいい。
翼も箒もない。それでも飛べると信じるには、逆巻くような嵐の予感が要る。
雨粒を蹴り、稲妻を足がかりに、逆風に乗る。
だから、今日。
わたしは空をぐっと睨みながら、待っている。
わたしの乗るべき風を。嵐を。その訪れを。
#風に乗って
夢の中にだけある、音のない声がある。
その色と響きを、どうしても覚えておけない声が。
どこにもない、誰でもない。
なのに、それはどこか、過去を思い出させる。
あの日、届かなかった一瞬を。
わたしの前を刹那に駆け抜けていった、恋の面影を。
どうしてか。どうしてか。
#刹那
あなたのお葬式の様子が見たい。
たくさんの人に囲まれた式でもいい。家族だけを集めた、ささやかなものでもいい。
ただ、もしも。
もしもその時、あなたの死を悲しむ人が、誰もいなかったら。
そうしたら、わたしは意地でもその時まで生きて、あなたの棺の前でわんわん泣こう。たとえ百歳の婆さんになっていてもそうしよう。
今、そしてこの先に、わたしがあなたの隣にいなくても、ずっと、ずっと、あなたのために泣けるわたしでいると約束しよう。これは、未来が見えなくても。
#もしも未来を見れるなら
世界から色が失われた後、音はかつてなく鮮やかになった。
C♯の音につややかな青を、Eの音に華やかな赤を。
kの子音に涼やかな白を、uの母音に深い緑を。
そうして、そんな幻を「見せる」ために、人は歌を、演奏を、音楽を磨き上げた。
いまやその目で色を知らない子供たちは、その感覚だけを頼りに色を語る。
世界は変わらず美しかった。美しさの質は変われど。
いつか、今度は音がなくなったとき、次は何が、もっと美しくなるだろう。損なわれていく世界で、美しさはいつまで在り続けるだろう。
#無色の世界
花筏が流れていく。
三枚、四枚、寄り集まった薄紅色。
あんな小さく儚い舟に、わたしは乗れない。
だからただ、そうっと祈る。
わたしのこの気持ちを連れていって。
散った想いと、未練の種を乗せていって。
それとも、涙のひと粒くらいなら、一緒に旅立てる?
#桜散る