夏の菫が咲いていた。
炎天下に焼けつく瓦礫の中で、トレニア・サマーウェーブが見頃を迎えている。赤、青、黄色の花弁が崩れた城を彩っている姿は、まるで死者への手向けか、平和の象徴のようだ。彼の消えた世界が、こんなにも美しく輝き続けている。そんな事実に、目の奥がツンとなる。
思えばそれは、どうしようもないほどに運命だったのだろう。出会いから別れまでの全てが、よく出来た物語かのように過ぎていた。きっと何か、ほんの少しでも違ったのなら、出会うことすらなかっただろう。
嗚呼、終ぞ気付く事の出来なかった愛しい人よ。その骸も、収まる棺もないけれど、ただ花の咲くこの場所で、静かに眠っていて欲しい。
太陽のように光り輝く君へ、きっと焦がれる事しか出来ないけれど。君の望んだ未来の先で、私という花は、今日も咲くのだ。
空に向かって大きく羽ばたいた君の、誇らしげで、それなのに何故か悔しそうなあの瞳が、瞼の裏に貼り付いて離れない。大きく開かれたあの小さな口が紡いだ言葉を、きっと生涯忘れることはないだろう。
時間というものは酷く残酷だと、そう思ったのはこれで何度目だろう。薄れた記憶は、君の声のほんの一欠片ですら再生できなくなっているのに、あの日の君だけが異様に鮮明だ。薄ぼけて褪せた思い出のワンシーンに、真っ赤な夕焼けに染まる窓際の君が、極彩色を纏って僕を見ていた。その唇の揺れる様に、きっと囚われている。
君の最期の言葉が、今も、ずっと僕を呪っているんだ。嗚呼、それはなんて……。
この行動に意味があるのかと言われたら、きっと答えられない。けれど、動かずにはいられなかった。
君と喧嘩をしたあの日と同じ色をした空を否定するみたいに、いつもは着ない真っ赤なスカートを翻す。息が切れて、喉に焼けるような痛みが走る。足は、止まらない。
「はあ、はあ、はあ……」
苦しさに視界が揺れる。君が行ってしまうまで、あと10分。きっと今の私は、メロスなんかよりもずっと速い。
君が引っ越してしまうことが嫌だった。直前まで教えてもらえなかったのが嫌だった。でも、それを許せなくて当たってしまった自分が、何よりも嫌で、許せない。
「まに……あえっ」
いつもの公園を曲がり、部活で賑わう学校を通り抜け、大通りの商店街を駆け抜けると、駅が見えてきた。ホームに駆け込み、君の姿を探す。東京行きの1番ホームは、今日に限って人で溢れている。
―間もなく、1番線列車が参ります―
アナウンスが鳴り響き、車輪の音が聞こえ始めた。間に合わない。絶望にも似た感情が胸に広がる。このまま、離ればなれになってしまうのか。
ぽたり、頬を伝う感触に、無性に悔しくなった。いっそこの電車に飛び乗ってしまおうか。そう、頭では思うものの、体はてんで動く気配がない。酷く、惨めだ。
「――?」
名を呼ぶ声に顔をあげると、心配そうな、驚いたような微妙な表情の君と目が合った。
それは、例えるなら絶望の先に見た希望だとか、伸ばした手にわずかに触れるものだとか、突然現れた活路だとか、そんなどこにでもあるようで、どこにもない夢物語。
灰色に染まる世界に取り残された身体を持ち上げて、暗い思考を叩き落とす。ただ決められた道を歩き続ける自分がどうしようもなく惨めで、だからといって道を外れる度胸も気力もない。きっと自分は、単なる歯車としてこの世に生を受けたに違いない。
色のない桜が舞って、ノリのきいた制服を撫ぜる。ぼやけた辺りの喧噪がやけに大きく響いている。忙しなく動き回る人混みが、酷く鬱陶しい。
舌を打つ。瞬間、背中に届く衝撃。バランスを崩して倒れ込んだ身体に、小さな影が落ちる。
そこにいたのは、天使のような少女だった。柔らかな髪が、暖かな色を纏って揺れている。煌めく宝石の瞳に、墨を溢したみたいな自分の姿が反射した。
それは、例えるなら暗闇に一筋の光が差し込むような、夢物語の一幕みたいな瞬間。
たった一滴の色と共に、高校生活の幕が開けた。