いつまで経っても、赤から変わらない横断歩道の信号。
他の皆の信号は青になっていて、横断歩道を渡っている。
試しに一歩踏み出してみると、車にクラクションを鳴らされた。
一歩下がり、元の位置へ戻る。
……私は、これからどういう人生を歩んでいこうか悩んでいた。
今まで適当に生き過ぎて、多分、危険を感じた心の信号が私を止めたのだろう。
友達に相談しようとしたが、私の相手をしている暇がないのか、早足で横断歩道を渡っていってしまった。
誰か……相談に乗ってくれる人は……。
赤信号の前で呆然としていると、鞄の中から着信音が鳴った。
鞄からスマホを取り出す。
着信相手は……母さんからだ。
「もしもし?悩み事があるんでしょ?一人で悩んでないで、家に帰っておいで。相談に乗ってあげるから」
母さんの優しい声を聞いて、涙腺が緩む。
「お父さんも待ってるぞー」
父さんの声を聞いたら、涙が引っ込んだ。
「母さん、ついでに父さんもありがとう。今から帰るね」
私は赤信号に背を向け、実家へ向かって歩く。
次はきっと、この赤信号は青信号に変わっていると思う。
だって私には、家族という強い味方がいるから。
言い出せなかった「右の鼻の穴からゴツい鼻毛が一本出てるよ」って。
今日は雲一つない快晴で、絶好のデート日和なのに。
彼氏のゴツい鼻毛が……気になる。
「昨日は雨予報だったけど、今日は晴れてよかったな!」
太陽の光を浴びて、キラキラで元気一杯な彼氏。
だけど、風が吹くたびに、ゴツい鼻毛がカーテンのように揺れる。
手を繋いで歩いている時も。
レストランで向かい合ってランチを食べている時も。
買い物している時も。
彼氏のゴツい鼻毛一本が、気になって仕方がない。
言おうか悩んだけど、言ったらデートが台無しになる気がして言えなかった。
「今日は俺の顔ばっか見てるけど、そんなにイケメン度が上がったか?化粧水変えたからなぁ。はっはっはっ!」
顔じゃなくて、ゴツい鼻毛を見てるんだよ!!!
と、彼氏の鼻にツッコミをしてやりたかった。
夕方になり、人が少なくなった公園のベンチで休む私達。
今日は、ゴツい鼻毛が気になり過ぎて、あまりデートが楽しめなかった気がする。
「なぁ……」
そんなことはお構い無く、彼氏は今は良いムードと勘違いし、目を閉じてキス顔をしながら迫ってきた。
……今しかない!
私は親指と人差し指を、彼氏の右の鼻の穴に突っ込み、思いっきり鼻毛を引き抜いた。
「いてぇ!」
彼氏は鼻を押さえながら痛がる。
「ごめん!でもこうするしかなくて!」
指には、抜けた鼻毛が数本。
しかし、ゴツい鼻毛は抜けておらず、彼氏の鼻のから涼しげになびいていた。
ベンチに座り、スマホを耳に当てている愛しい君。
時折、風で長い黒髪がなびいて美しい。
でも、一体誰と喋っているのだろうか?
まさか……彼氏か?
いや、そんなはずはない。
一ヶ月ほど彼女を見ているが、男を連れて歩いている姿は見なかった。
多分、女友達とかだろう。
彼女を観察していると、肩をトントンと叩かれる。
「ちょっと、いいですか?」
振り返ると、警察官が立っていた。
「遠くから双眼鏡でずっと見られていると通報がありまして。あなたですね?」
「えっ、あっ、えっと……こ、これは恋であり、愛です」
「交番で詳しい話を聞きましょうか」
「そ、そんな……遠くから彼女を愛してただけなのに」
双眼鏡で再び彼女を見ると、彼女はこっちに向かって中指を立てていた。
父さんの遺品を整理していたら、数冊のアルバムが出てきた。
いつ頃のアルバムだろう?
アルバムの一冊を開くと、幼稚園時代の俺の写真が何枚も貼られていた。
ページをめくる度に、当時の思い出が甦ってくる。
父さんはアルバムを捨てずに残していたんだ……。
昔はこんなに写真を撮っていたのに、今では家族で写真を撮ることはなくなった。
今の時代はスマホで簡単に撮れるけど、俺のスマホ内には家族の写真は一枚もない。
そういえば、遺影で使う父さんの写真探しには苦労したな……。
結局、運転免許証の写真を使うことになった。
普段から写真を撮っておけば、あんなに苦労しなくて済んだだろう。
アルバムを一通り見て、本棚へ戻す。
これはここに置いておくのが正解だと思う。
さて……。
リビングへ行くと、母さんと弟が居たので声をかける。
「なぁ、写真撮らないか?」
突然の写真撮影に、唖然とする二人。
俺はそんな二人のことはお構い無く、スマホを撮影モードにし、カメラを内側に切り替え、俺と母さんと弟の三人が画面に入るように位置を合わせる。
「はい、チーズ」
親指で、撮影ボタンを押す。
三人共ぎこちない顔だったけど、今の俺達にぴったりな写真だった。
山に囲まれ、田んぼに挟まれた田舎道。
あちこちで、蝉達が合唱していた。
目に見えるもの全てが緑で、すごく癒される。
都会とは違い、涼しくて快適だ。
母さんの実家である田舎へ久しぶりに来たけど、こんなにも落ち着くとは。
小さい頃はつまんない所だと思っていたが、大人になると見え方が変わる。
なぜ、ここに来たかというと……。
俺はこの夏、夏らしいことを一つもしていない。
なので、数日間の休みを利用し、夏を満喫しようと考えた。
拠点は母さんの実家。
じいちゃんとばあちゃんには連絡済みだ。
この田舎で、童心に戻って色々やってみよう。
スマホの電源をオフにし、夏を求めて長い田舎道を歩き始めた。