世界がモノクロにしか見えない私の目。
色が見えるように、私は目の手術をすることにした。
成功率が極めて低く、失敗すると失明する手術。
次に気がついた時には、手術はもう終わっていた。
目を開けると、目の前が真っ暗。
もしかして……失敗したのだろうか?
「安心して。手術は無事成功したよ」
近くから、男の人の優しい声が聞こえた。
手術を担当してくれた先生だそうだ。
成功という言葉を聞いて、ほっとする。
「見せたいものがあるから、ちょっと移動するね」
身体が浮き、何かに座らされる。
車椅子だろうか?
キコ……キコ……と音を鳴らしながら移動している。
「よし、包帯を取っていくから、そのまま動かないように」
目に巻かれているものが取れていき、少しずつ、光が開かれていく。
「わぁ……」
目の前の景色を見て、思わず声が出た。
「さっきまで雨が降ってたけど、すっごく良い天気になってね。まるで君が起きるのを待ってたみたいだ」
先生の優しい声が、心に染みる。
私が初めて見た色の付いた世界は、空に大きく架かった七色の虹だった。
テープ跡のように、いつまでもしつこく残っている嫌な記憶。
楽しい記憶で埋め尽くしても、ふとした瞬間に嫌な記憶が這い上がってくる。
俺は嫌な記憶を消してもらうために、記憶屋に来た。
偶然ネットで見つけた店だが、一部でしか知られていない店らしい。
中に入ると、すぐに奥の薄暗い部屋へ案内され、ベッドに寝かされた。
「本当に、消していいのか?」
店長と名乗る男に、記憶を消していいか確認される。
部屋が暗くて、店長の顔が見えない。
「ああ、頼む」
「本当に……だな?」
どうして何度も聞いてくるのだろう?
「何か問題があるのか?」
「一部の記憶だけ消すと、性格が変わるかもしれない」
「嫌な記憶を消したぐらいで変わる訳が……」
「その記憶があるから、今の自分がいるんだ。大袈裟に言えば、記憶を消すということは自分を否定することになる。あと……」
「小言はいいから早く消してくれ!」
「……分かった」
俺はただ、嫌な記憶を消したいだけなんだ。
そうすれば、きっと……。
「そのまま動かないように」
頭に、何か被される。
しばらくすると、頭の中の何かが……スーっと抜けていく。
「消し終わったが、どうだ?気分は」
「あ……あ?」
嫌な記憶を消して良い気分のはずなのに、なぜか、不安で、すごくイライラする。
「記憶の一部が無くなって、不安になってるんじゃないか?」
「んなこと……ねぇよ」
「今ならまだ戻せるぞ」
「……」
「どうする?」
「……戻してくれ」
「分かった」
結局、俺は嫌な記憶を戻してもらい、店から出た。
嫌な記憶でも、消えるとあんなに不安になるとは……。
どんな記憶でも、俺にはかけがえのないものなんだと感じた。
霊柩車へ運ばれていく、親父が入った柩。
ムカつく野郎で、口を開けば喧嘩ばかりしていた記憶しかない。
そんな親父が大病にかかり、日に日に弱っていく姿を見て、ざまぁみろと思っていた。
柩が霊柩車の中に入り、後ろのドアがパタンと閉まる。
今日で、親父とはお別れだ。
もう親父は、家に帰ってくることはない。もう二度と。
……。
最後ぐらい、優しくしてあげればよかったな……。
後悔の気持ちを抱きながら、火葬場へ向かった。
黒板に書いた、雲りと曇りのチョーク文字。
放課後、クラスメイトが帰った誰もいない教室で、俺は女子と二人で個人授業をしていた。
「はーい、先生!」
一番前に座っている女子が手をあげた。
「なんだね、ダメ子くん」
「ダメ子じゃないよ!咲恵子だもん!」
頬を膨らませ、子供のように怒る咲恵子。
俺の幼馴染みだ。
「じゃあ咲恵子、なんだね?」
「どっちも同じくもりだけど、何が違うの?」
「うむ、科学的に言うと……」
俺は眼鏡をかけていないが、くいくいっと眼鏡を動かす動作をする。
「先生、鼻がかゆいの?」
……かっこつけて損した。
「まぁ、咲恵子に分かりやすく言うと、空にポツポツと雲があるのが雲りで、空に雲が覆われているのが曇りだ」
「どっちがどっちのこと?」
「……」
口だけで説明したから、伝わらなかったか。
俺は教卓に肘をつき、頭を抱える。
「……ごめんね。和輝」
咲恵子は申し訳なさそうな雲り顔をした。
「なんで謝るんだよ」
「私が学校に行きたいって言ったから」
「お前は悪くないよ」
「授業受けたいって無茶振りしたから……」
咲恵子は身体が弱く、学校にあまり通えていない。
そのせいか、学校へ行くこと自体が怖くなってしまったようだ。
でも、今日は学校に行きたいって言ったから、俺は咲恵子を誰もいない放課後に連れて来て、俺が先生役をしている。
「だから、ごめんね。和輝」
雲り顔から、雨の顔になりそうな咲恵子。
俺は咲恵子をそんな顔にするために、学校へ連れてきたんじゃない。
「よーし!今日の授業は自習だ!」
俺は教卓から離れ、咲恵子の隣の席に座った。
「和輝?」
「先生は用事でいなくなったから。今から俺も咲恵子と同じ生徒だ」
「う、うん」
「よーし、咲恵子。遊ぼうぜ!」
「だ、駄目だよ和輝。ちゃんと勉強しないと」
「咲恵子は優等生だな。こうしてクラスメイトと交流するのも大事なんだぞ」
「うん……」
今、咲恵子に必要なのは授業よりも……。
「俺がここのクラスメイトの役をしてやろう」
クラスメイトと交流することだと思う。
俺はクラスメイトの特徴を思い出しながら、席を移動して真似をする。
咲恵子が、また学校へ来たいって思ってくれるように。
咲恵子が、友達が欲しいと思ってくれるように。
「和輝、本当にそんな子いるの?」
咲恵子は笑いながら俺に言った。
「ああ、実在するぞ。そいつは面白い奴なんだ」
学校の楽しい思い出を、咲恵子の記憶に残してやりたい。
「俺のクラスはいい奴ばかりだ。まぁ、担任は少し癖があるけどな」
「ふふ、毎日楽しそう。でも……」
「でも?」
「和輝もいるから、もっと楽しいだろうね」
「そ、そうかな」
「うん!」
咲恵子は、雲り顔から晴れた太陽の顔になっていた。
「俺もさ……」
「うん?」
「いや!なんでもない!暗くなってきたから、そろそろ帰るぞ!」
「えー!なにを言おうとしたの?」
「なんでもねぇよ!」
咲恵子がクラスに居たら、きっと、もっと毎日楽しいだろうなと思った。
スマホの画面に映る、別れ話のやりとりメッセージ。
彼女と付き合って三年経つ。
だが、小さなすれ違いが、だんだんと大きくなっていき、俺達は別れることになった。
「じゃあね」
彼女からの別れメッセージを見て、俺も別れメッセージを打つ。
「bye bye……」
これで、俺達の関係は終わりだ。
「……はぁ」
スマホの画面を消し、ベッドの上へ放り投げた。
ピローン♪
スマホから通知音が鳴る。
誰からだろうと思い、スマホの画面をつけると、元カノからメッセージが届いていた。
……なんで?
今さっき、別れたはずなのに。
「なんで英語なのよ」
「いや、英語のほうがかっこいいからさ」
「かっこつけずに普通にバイバイしなさいよ」
「じゃあ……バイバイ」
「もう遅ーい」
「そんなこと言われても、じゃあどうしろと」
「んー、どうしてもらおっかな」
「あのな……」
メッセージのやり直しが何度も続き、俺達は再び付き合うことになった。
彼女は、本当は別れるのが嫌だったらしい。
実はというと、俺もだ。
別れたくなかったけど、お互い意地を張っていたのだろう。
これからは変な意地を張らず、大切な人にはちゃんと向き合おうと思った。