目の前に広がる果てしない海。
俺は彼女と一緒に海に来ていた。
やっぱり、海はいいな。
見ていると落ち着くし、潮の香りと波の音が心海良い。
「俺、海がすごく好きでさ。昔からよく来てるんだよ」
「ふぅ~ん……ねぇねぇ」
彼女は、俺の目の前に立つ。
海が見えなくなり、視界に彼女だけが映る。
「私のこと、好き?」
海に負けじと、俺にアピールしてきた。
「ああ、好きだよ」
「私はね……大好きっ♪」
照れながら言う彼女の姿がすごく可愛くて、胸がドキドキする。
しばらく見つめ合い、互いに吸い込まれるように顔が近づき、そのまま唇を重ねた。
俺の前で走り続ける理想の自分。
手を伸ばしても、届かない。
追いつこうと速度を上げるが、追いつけない。
それどころか、距離がどんどん離れていく。
「くそっ……!うわぁ!」
なにかに躓き、豪快に転ける。
理想の自分は俺を置いたまま走り続け、姿が見えなくなってしまった。
理想が高すぎたのだろうか?
いつかなれると思っていたけど、やっぱり……。
いや、まだやり直せるはずだ。
来た道を少し戻れば……。
立ち上がって、振り返ると、何もない真っ暗な闇で、道なんてなかった。
窓から太陽の光が射し込み、ポカポカしている昼休憩の廊下。
俺はトイレへ向かって歩いていると、どこからか甘い香りがした。
廊下の窓は開いてないから、外からではない。
教室で誰かがバームクーヘンを焼いて……いや、そんなことを学校でする奴はいないだろう。
じゃあ、一体どこから?
よく匂いを嗅ぐと、俺がトイレへ向かう方向から段々と甘い香りが近づいてくる。
……前から、女の子が歩いてきた。
流れるような黒い髪、顔が小さくて、可愛らしい女の子。
スカートをひらひらさせながら、こっちへ歩いてくる。
「こんにちは」
女の子は俺に挨拶してきた。
「あ、ああ。こんにちは」
近くで見ると可愛らしさが増して、思わず胸が高鳴る。
「ふふ……」
女の子は微笑みながら、俺の横を通過する。
甘い香りを纏った女の子を、目で追ってしまう。
女の子の後ろには、数人の男子達が続いていた。
まるで、甘い花の香りに誘われたミツバチのように。
俺もついていきそうになったが、トイレに行く途中だったことを思い出し、急いで向かった。
用を達した後、教室に戻り、さっきのことを友達に話すと、驚きの事実を聞かされる。
「その子は男だぞ」
「えっ」
「女装が趣味で、男共に見られるのが快感らしく、たまに女装して廊下を歩いているそうだ」
「マ、マジかよ」
「ああ、一部の生徒からは歩くスズランと呼ばれている」
「なんでスズランなんだ?」
「スズランは甘い香りがする可愛らしい花だが、毒があるからだ。彼にぴったりだろ?」
「そ、そうだな……」
俺ももう少しで、あの男子達のようになるところだった。
「これからは甘い香りがする女の子には気をつけないとな」
「いや、女じゃなくて男にな?」
でも、あの甘い香りを思い出すと、また会いたいなと思ってしまった。
疲れた身体を優しく支えてくれるベッド。
どうしてあんなメッセージを送ってしまったんだろう……。
友達に返信したメッセージが、今になって後悔の波が押し寄せてくる。
友達は真剣な悩みで私に相談してくれたのに、私は仕事でヘトヘトになっていてイライラしていたから、何も悪くない友達に強い言葉で怒りをぶつけてしまった。
それから、友達から返信はない。
あの時の私はまるで沸騰したお湯だったのに、今は冷めきった冷水だ。
……やっぱり、謝るべきだよね。
そして、もう一度きちんと相談にのって力になってあげよう。
スマホを手に取り、文字を打ち、メッセージを送ろうとしたら”ブロックされました”と表示された。
「……はぁ」
なんともいえない気分になり、スマホを放り投げ、天井を見る。
部屋を照らす照明が、あまりにも眩しすぎた。
細い根のようにいくつもある世界線。
俺が居た世界線では、彼女は事故で亡くなった。
彼女が事故に遭わず、生きている世界線を探し続けているが、どの世界線でも彼女は亡くなっている。
……本当に、生きている世界線はあるのだろうか?
いや、諦めちゃ駄目だ。
自分の世界線を捨てて旅に出たんだ、ここで諦めてたまるかよ。
……見つけた。見つけたぞ!
遂に、彼女が生きている世界線を発見した。
長かった……あまりにも長過ぎた旅。
ようやく、彼女と……あっ。
俺が、彼女と一緒にいる。
当然だ。別の世界線にも、俺はいる。
楽しそうな顔で、彼女と手を繋いで歩いている。
「……」
なにを躊躇しているんだ?俺。
ああいうことをしたかったんだろう?
彼女と一緒に居たいんだろう?
だったら……やるしか、ないんだよ。
俺は二人の後をついていった。
誰もいない公園へやってきた二人。
別の世界線の俺は飲み物を買いに行くと言い、彼女から離れて自販機へと向かった。
俺は、俺についていき、自販機のボタンを押そうとしている背後から、持っていたサバイバルナイフで刺した。
何度も、何度も、何度も、動かなくなるまで、何度も。
動かなくなった俺を、近くの茂みの中に隠した。
「うっ……ぉえ……」
自分を殺すのは、なんともいえない気分になる。
自販機で水を買い、一気に飲み干す。
「はぁ……はぁ……はぁ」
呼吸を整え、なんとか落ち着く。
これで、彼女は俺の物だ。
俺は急いで、彼女の元へ向かった。
「お、お待たせ」
「遅かったね。あれ?飲み物は?」
「あっ…」
買ってくるのを忘れてしまった。
「顔色悪いけど大丈夫?」
「ああ、大丈夫。俺はいつも通りの俺だよ。はは……」
「……」
彼女は、俺の顔をじーっと見ている。
ようやく見つけた生きている彼女。
これからは、俺が彼女と一緒に……。
「……あなた、誰?」
「えっ?俺は俺だよ。なに言ってるんだよ」
「ううん。違う。見た目は同じだけど、違う」
「なんだよそれ……俺は、俺だぞ」
「違う……。ねぇ、あなた誰なの?彼はどこへ行ったの?」
なんだこれは。別の世界線でも、俺は俺のはずなのに。
これじゃまるで……。
「ねぇ!あなた誰だの!?きゃっ!」
詰め寄ってきた彼女を、思わず突き飛ばしてしまった。
そうか、この世界線も……違ったんだな。
サバイバルナイフを取り出し、逃げようとしている彼女を刺した。
そうだよ。これは彼女じゃない。彼女に似た女性だったんだ。
「は……はは……」
動かなくなった彼女を見ていると、涙が止まらない。
……また探しに行こう、本当の彼女を。
俺は今居る世界線を抜け出し、再び旅に出た。