あなたが振り返る。
満面の笑顔で、トランポリンの上を飛び跳ねている。
体重が軽いからか、トランポリンはたいして沈まず、ぼんぼん飛び跳ねるというよりはぴょこぴょこと一瞬浮いているだけに等しい。
子供のトランポリンは、危ないかと思いきや意外と迫力がないのだなと知った。
ぴょこぴょこしながら腕の中へ飛び込んでくる娘。無邪気で、愛嬌のあるこの娘を見ていると、いつまでも子供のままでいて欲しい、と思ってしまう。
かわいいままでいて欲しいからではない。
世の中の悪や苦を知らぬまま、愛にだけ包まれて生きていけたらどんなにいいか。この子を汚すものが表れたら、たまらない、と思う。
私の両親もきっと同じようなことを思っていたのだろう。そう思うと涙が出てきそうになるのだ。
〜今日は母の日〜
『子供のままで』
忘れられない、というと過去の恋人や片想いの相手なんかが発想されるが、そんな想い人はいない。
当時、自分を見失う程好きだったとしても、何年もの月日が流れればちゃんと過去になるものだ。
本気で忘れたいのに忘れられないのは、良い思い出ではなく、嫌な思い出の方だ。
あの時言われた傷つく言葉。
否定や誤解。
馬鹿にした態度。
自分の失敗。至らなさ。
犯した過ち。
そういったものが、例えばシャワーを浴びている時、スマホを見ている時、ふとしたキッカケでフラッシュバックするように蘇る。
穴があったら入りたい、この場から消えたい、そんな感情に襲われる。誰にも責められていないのに、誰かに言い訳したいような気持ちになる。もしくは、あの時のあいつに一言も二言も言い返してやりたい衝動に駆られる。
どろどろとした部分。忘れられるなら忘れたいもの。
忘れられないのだろうか、いつまでも。こうした記憶を思い出さないようにすることはできるのだろうか。
ある本で、PTSDの治療に、記憶を思い出す回路を書き替えることでフラッシュバックを軽減する研究がある、というようなことを読んだ。
もしも回路を書き替えられるなら、私は書き替えるだろうか。そこまで考えて、ふと思う。いや、自分の失敗の記憶は、また同じ失敗をしない為にも覚えておきたい。嫌なことを言われたことも、また同じような状況に陥らない為に覚えておく必要がある。何かを消せるのなら、自分の記憶ではなく、そういうことがあったという事実を消したい。相手の記憶から消えたらいいのにと思う。けれどそれはむりだ。忘れられないなら、自分で癒し、乗り越えていくしかないのだろう。
本当に忘れたい記憶は、なんだろうか。それがないのなら、幸せなことなのかもしれない。
『忘れられない、いつまでも。』
一年前の日記を開いてみる。
そこには今と同じ悩みが書いてある。
朝早く起きられない。
食べ過ぎを止められない。
毎日のように飲み歩いて、時間もお金も無駄にしている。
もうやめよう。
もっと意義のあることをしよう。
同じことを今も書いている。
今日。
一年後の私が、「あの日があったから今がある」と、そう思うような日にしたい。
『一年後』
映画のエンドロールが流れ始めた。
張り詰めた緊張がどっと解放されて、俺は、はぁとため息を吐いた。隣を向くと案の定、いつもクールな幼馴染みは何事もなかったようにお茶を飲んでいる。
とんでもない映画を選んでくれたもんだ、と思う。俺はもっと平和で穏やかな映画が観たかったのに。こいつが選んできたのは、地球に隕石が衝突して世界が滅亡する、そんな映画だった。
迫り来る大津波から人々は逃げ惑い、たくさんの人がのまれていった。自分たちの最期を覚悟し、大切な人ときつく抱き合ってそのままのまれた登場人物たちもいた。
片時も目が離せず面白かったけど、何度も観たい映画ではない。心臓に悪い。そして、悲しい。
唯一の救いは、最期に彼らが愛を確かめ合えたことだろうか。ふと考えを巡らせてみる。俺は明日世界が終わるなら、誰に会いに行くだろう。
「おまえ、世界が終わるって知ったら、どうする?」
隣から、幼馴染みが聞いてきた。飄々とした顔して、同じことを考えていたみたいだ。
「どうかな、普通に家族といるんじゃないかな」
「マキに告白しないのかよ」
幼馴染みはフッと意地悪く笑う。俺は即答する。
「いやぁ、しないだろ。最後の大事な時間を費やす程じゃない。告白したってどうせ付き合えないんだぞ?」
「だな」
幼馴染みはつまらなそうにあくびをして、俺の肩に背を預けてずるずるとソファに沈んでいった。
「おまえは?」
俺は聞き返す。
「うーん…」
伸びをするように幼馴染みは唸って、
「多分こうしてるかな」
と答えた。全くもってつまらない答えだ。だけど俺も同じだって思って「だな」と相槌を打った。
「俺ら寂しい男子たちだな」
「まったくだ」
ははは! 俺たちは二人して声をあげて笑った。
『明日世界が終わるなら』
僕はひとりぼっちだったから、はじめはただ、寂しさが埋まればいいと思っていた。
君と出会った日、恐る恐る僕に近づいてきた君を見て、僕は急に怖くなった。その責任の重さ、重大さに。
はじめての夜、寂しそうに震える君の泣き声に、僕は胸が痛み、苦しくなった。そしてその痛みの分だけ、必ず君を守り抜くと誓った。
君が幸せかは僕にはわからない。けれど、君が安心して暮らせる場所を作ることはできる。僕は君を最期まで守り抜く。
あの日、君が旅立った日。
もう今年は蕾をつけないだろうと思っていた庭の植物がはじめて蕾をつけた。僕らが一緒に食べた野菜の種から育った蕾だった。
その蕾に僕が気付いた頃、君は眠ったまま旅立っていた。
僕は君と出逢ってよかったと思うよ。
別れが来ても。寂しくても。
君と出逢ったことで、たくさんの出会いがあった。ひとりぼっちだった僕の世界が広がった。夢ができた。仲間ができた。
全部、君がくれたものだ。
天寿を全うした君を誇りに思う。
また会おう。いつか。
『君と出逢って』