皆月いく

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10/27/2023, 10:35:16 AM

短大時代の図書委員の仕事終わり、司書の先生が紅茶とビスコを出してくれる。
私はこの時間が、特別で大好きだった。
友達がいるときはくだらないことを話したり、ひとりでいるときは創作活動にふけたりしていた。
窓から入ってくる午後の光は、とても暖かくてやわらかい。作業部屋の匂いは、紅茶とコーヒーの香りが混ざりあって、とても落ち着く。
暖かいこの時間に、終わりがくるのが嫌で、一年の後期からは、講義が早く終わる日に当番を入れていた。
そうすることで、離れ難いあの時間が少しでも長く続くから。
短大時代からもう、何年か経って、ファストフード店でアルバイトをしている私は、時々、ドリンクの紅茶の香りを嗅ぐと、あの時間に戻ってきたと錯覚することがある。
紅茶とビスコと楽しい会話と創作。
今はもう、遠くなりつつある暖かい日々は、私にとって、確かにあった尊くも愛おしい青春の日々だった。

10/25/2023, 12:26:17 PM

彼女は、いつも母親に追い出されていた。
私は、彼女の存在しない友達。どうやって生まれたのかわからないけど、気づいたら彼女のそばにいた。
なんのために生まれたのか、どうして生きているのか――そもそも、私は生きているといえるのか。
私は、わからない。ずっとわからない。
「友達」という関係は、とても都合がよすぎると思う。彼女もそう感じているようだった。
「友達」というだけで、なにかを押し付けられたり、利用して、挙句の果てに裏切ってくる。
あれを都合いい関係じゃないというなら「友達」なんていないほうがいい。
それをいうなら私と彼女の関係もかなり都合がよすぎる関係なんじゃないかと感じたりする。
私は、彼女の“何“だったんだろう。
「友達」よりも深いけど、「家族」よりも心許ない。
存在しないしない私に生きる理由があるのなら、きっと彼女にとっての生きる意味だ。
全ての答えを知ることができたら、この関係にきっと名前をつけることができるだろう。
そのときは、私は彼女のそばにいるのだろうか。
例え、別れがくるとしても、私は彼女の幸せを願うだろう。

だって、彼女と私は同じだから。

10/24/2023, 12:23:25 PM

彼女は気がついたら、あたしのそばにいた。
どんな辛いことがあっても、どんなに嬉しいことがあっても、笑ってあたしの話を聞いてくれた。
「友達」なんて都合のいい呼び方なんてしたくないし、「家族」なんかよりも上っ面な関係じゃない。
あたしにはそんな人達はいないし、信じたことないからわからない。
彼女と一緒にいるときは、本当のあたしでいれる気がするから。
でも、本当は知ってる。
あたしがいつまでも子どもでいられないのと同じように、彼女との別れがいずれ来てしまうことに。
手離したくない。いや、手放さなければいけない。
あたしが、前に進むために。
いつか、あたしは彼女を忘れてしまうだろう。
それでも、あたしの全ては、寒くも暖かかったあの日にあったことを、絶対に忘れないから。
だから、せめて思い出の中では生きていてよ。
存在しない彼女に、あたしから都合がよすぎる最期の言葉を残そう。

「行かないでよ。」

10/12/2023, 1:11:52 PM

教室の喧騒を抜ければ、本当の私になれる。
部活で小説やイラストを描いたり、クラスでは絶対にできない黒板にらくがきをしたりするのが、くだらないけど楽しかった。
帰り道は、わざと遠回りなんかして、楽しい時間を延ばしていた。
今になって気づいた。放課後の楽しい時間なんかよりも、息苦しかった教室での時間の方が何倍も愛おしかったことに。
なんで、もっと早くに気づかなかったんだろうね。

10/10/2023, 2:02:11 PM


どうしてだろう。
いつからだったんだろう。
私が、「死」について考えてしまうのは。
夜が来る度に、眠る度に考えては泣いているのは、どうしてだろうか。
記憶の中の私はずっと泣いていて、昔住んでいたアパートの外に追い出されていて、息が苦しくなるまで泣いていて―――でも、どうしたら家に入れてもらえたのかあまり覚えてなくて、私はずっとわからないまま生きている。
私を苦しめていた母親は、私や妹になんの謝罪をすることもなくこの世を去って、私の中には、ずっと泣いていたときの息の苦しさが残ってる。
でも、父親にとっては、あの母親は「愛する妻」であることに気づいた。
葬式の日、私の隣で静かに泣いていたから。
できるだけ、見なかったことにしたかったけど、私が 母親の死を少しでも願わなければ、父親が泣くことはなかったんじゃないかな―――と後悔してる。
母親は、ずっと昔話ばかりしていて、今の私や妹のことなんて全然見ていないんじゃないかとすら思う。
母親曰く、生まれたばかりの私は、ずっと大声で泣いていたと言っていた。
今考えてみれば、私は「あの人の子どもになんて生まれたくなかった。」って訴えていたのかもしれない。

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