※この物語はフィクションです。登場する人物および団体は、実在のものとは一切関係ありません。
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タイトル『二度目の二十歳』
とうとう二度目の二十歳を迎えてしまった。
思えばあっという間の四十年だった。
大学を卒業してから何度かの転職を経験し、今の専門商社で営業職に就いてから今年で十年が経とうとしている。
北風が冷たく吹き抜ける一月の昼下がり。
営業周りの途中、真新しいスーツに身を包んだ若者の集団が歩いているのを見かけて思わず立ち止まる。
「そうか、今日は成人式だったな……」
独り言が、白く濁って空気に溶けた。
彼らの胸元できつく結ばれたネクタイと比べると、俺のネクタイはくたびれたように形が崩れていた。
二十歳の自分は、今の俺の姿を見て何を思うんだろうか。あの頃思い描いていた四十歳の俺は、まさしく絵に描いたようなステレオタイプだった。
優しく穏やかなマイホームに、妻と小さな子供が二人くらいいて、週末には家族でドライブに出かけて、円満な家庭を持っている。
会社でも『長』とつくようなポジションで部下をまとめ上げ、会社でも一目置かれる存在。
俺がそんな四十歳になれているとは到底思えなかった。
生まれてこのかた結婚には恵まれず、独身の賃貸アパート暮らし。新人に毛の生えたような部下と数字にしか興味のない上司に挟まれ、毎日のように叱られ、尻拭いをする毎日。
「すみません」がいつしか口癖になり、夜はコンビニの弁当を片手に、SNSや動画サイトをぼんやりと眺めている内に気づけば一日が終わっている。
「……こんなはずじゃなかったんだけどな」
理想と現実のギャップを埋めるエネルギーさえ、今の自分には残っていない気がした。
道の向こうで笑いながら大人への道を進もうとしている若者たちからすれば、希望からはほど遠い『つまらない大人』に見えるのかもしれない。
記念写真を撮ろうと歩道の真ん中で盛り上がる若者たち。一人がふざけてバランスを崩し、仲間にぶつかって笑い転げた。そんな無邪気な頃が俺にもあったのだろうか。今となっては思い出すことも難しい。
その時、俺のポケットでスマホが震え、嫌な予感が頭をよぎる。後輩から届いたメッセージ通知の冒頭を読んだだけで、その予感は確信に変わる。
『お疲れ様です』
『やらかしちゃいました』
『見積金額が間違っていたみたいです』
短い言葉で断続的に届く通知。どこか他人事のような文面に多少の苛立ちを覚えつつ、後輩に電話をかける。
数コールの後、スマホの向こうから後輩の震えるような細い声。詳しい状況を聞けば、俺も新人の頃には何度かやらかしたような些細なミスだった。
「とりあえず先方にアポ取っておいて。後の責任は俺が取る。今からそっちに向かう」
電話を切ったあと、小さくため息をついて背広の襟を正す。
街頭の窓ガラスに映った自分の姿を眺める。
目尻には皺が増え、髪にも白いものが混じり始めている。理想としていた『輝かしい四十歳』とはほど遠い。けれど、そこには理不尽に耐え、誰かのミスを肩代わりし、泥臭く毎日を繋いできた男の顔があった。
マイホームや幸せな家庭のような大それたものは持っていないが、守るべき部下がいて、任されている仕事がある。責任と役割のなかに俺はいる。
あの頃は知らなかった。『大人になる』ということは、すべてを忘れることでも、すべてを手に入れることでもない。
大人になればなるほど、自分の無力さに直面することになる。社会における自分の責任と役割のなかに立たされながら、時に誰かの助けを借り、時に誰かに手を差し伸べて、一歩ずつ前に進んでいくしかない。
俺は悴む手でネクタイをきつく結び直す。
「さて、行くか」
踏み出した一歩の重たさは、これまでの経験と責任の蓄積。誇るべき重さだ。
若者たちの歓声が遠ざかり、冷たい風が頬を切る。
四〇歳、二度目の二十歳。漠然とした未来を描いていた二十歳の頃の自分に、こんな人生も悪くはないぞと伝えたい。
理想とは違う形をしているかもしれないが、この地面に残る『大人』の足跡は、あの頃想像していたよりもはっきりとした輪郭を持っている。
俺はこれからも一歩ずつ前に進んでいく。この足跡はこの先ももっと深く力強い形に変わっていくに違いないと心に留めながら。
#20歳
※お題ガン無視です🙏
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詩のようなもの『ボクの冒険』
いつかママが教えてくれた
目の前に二つの道があったら
通ったことのない道を選ぶのが冒険で
どちらも通ったことがなければ
より難しそうな道を選ぶのが冒険なんだって
だからボクは勇気を出したんだ
お皿に乗ったブロッコリーをパクッ
苦いけどこれは冒険だ!
ママがとっても喜んでくれたから
もう一度冒険してみたくなった
ママが教えてくれた
キミが自分で選んだ道なら
それはもう冒険なんだよって
誰かに押されて進む道は
とっても大変な道に見えちゃうんだって
だからボクは自分で進むんだ
お皿に残ったニンジンをパクッ
ブロッコリーよりはまだ平気!
ママが笑顔で笑ってくれたから
ボクは冒険が大好きになった
#詩のようなもの
詩のようなもの
タイトル『君と一緒に』
冬の晴れた日を
君と一緒に歩きたい
見える景色が白いのも
悴んだこの手が赤いのも
君の隣にいる今は
特別な意味を持つから
昨晩まで降り続いた涙も
いつしか冬の寒空に乾いて
透き通るような高い空は
雲ひとつない澄まし顔
君の歩幅に合わせながら
ポケットの中で指が迷う
君のぶら下がる手を
僕の視線が追いかける
過ぎていく冬を
君と一緒に歩きたい
君の吐く息が白いのも
風に当たる頬が赤いのも
君が隣にいる今は
特別な意味を持つから
「寒いね」と言おうとして
君が「寒いね」と囁く
気まずく返した「そうだね」は
君に見透かされたかな
ようやく這い出た僕の手が
ぶら下がった温かさに触れる
迎えてくれる小さな指先は
ポケットよりも優しく温かい
やがて来る春も
君と一緒に歩きたい
流れる雲が白いのも
野に咲く花が赤いのも
君と一緒にいられれば
特別な意味を持つから
無言で俯く君の横顔に
「待ってるよ」と声をかける
この寒い冬が終わる頃
君は遠い海の向こう
それでも君の隣に僕はいるから
空はどこまでも繋がっていて
影は同じ方向に伸びている
だから顔を上げて笑って見せて
こうしていつまでも
君の隣を歩きたい
君の存在そのものが
特別な意味を持つから
#冬晴れ
#君と一緒に
※この物語はフィクションです。登場する人物および団体は、実在のものとは一切関係ありません。
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タイトル『幸せの基準が壊れた日』
『今日も一日、幸福な生活を心がけましょう』
手首につけられたデバイスが、高らかな人工音声とともに朝を告げる。国が掲げる『幸福度向上政策』の一環だ。
デバイスが示す幸福度は53%とやや良好。実感はともかくとして、今日も平均より少しだけ幸せな僕の生活。
朝の日課は軽いジョギングから始まる。癒やしの音楽を聴きながら栄養バランスの取れた朝食をとる。
政府が推奨する幸福度を上げる朝のルーティン。たったこれだけのことで、僕の幸福度は3%も上がる。
朝の電車内はとても平和だった。幸福度を上げるために徒歩や自転車での通勤者が増えたからか、政府が実施した分散出勤政策が功を奏したのか、立っている乗客はいるが、人の群れに押し潰されることはなくなった。
車内で二人のサラリーマンの話している声が耳に入ってくる。
「今朝は80%いってて気分がいいよ」
「俺なんか60%切っちゃったよ」
男がため息をつくと、もう一人の顔に同情の色が浮かぶ。僕は思わず手首を隠すように腕を組んで身を縮める。
僕の数値は世間的に見れば幸せとは言えない。ただ、衣食住には困らず、仕事もあり、体もいたって健康。これを不幸だと呼ぶのも何だか居心地が悪かった。
車両の端では若者が老人に席を譲り、デバイスの数値を見て笑みを浮かべている。僕もああやって善行でもすれば、数値をもう少し上げられるのかな。
会社に着いてすぐ慌ただしい時間が始まり、あっという間に午前中が終わる。社食の掲示板に張り出された幸福度別のお薦めメニューと、デバイスの数値を見比べようと顔を落とした時だった――。
「あれ……?」
何も表示されていない画面に目を疑う。いつからだろう、全然気が付かなかった。再起動してみても表示は変わらない。
「故障かな……」
周りを見渡してみても、他の社員はいつも通り手首を見て一喜一憂している。こんなことは初めてだったが、僕はとりあえず、今朝の数値をもとに大豆ハンバーグ定食を注文し、食後はいつものように読書と仮眠に充てた。これで数値はいくらか上がっているはずだ。
しかし、いまの僕にそれを確かめる術はない。基準がなくなるだけでこんなにも不安になるものなのか。
特に急ぎの仕事も無かったので、午後は半休をとって、デバイスの修理依頼のために役場へ出向いた。
役場の待合所では数人が整理券を手に座っている。
僕の番号が呼ばれたのは10分ほど経った頃だった。窓口の担当者にデバイスを手渡し、状態を確認する。いくつかの質問をされ、修理は半日で終わり、明日の朝には受け取れると告げられた。半日ならと代用デバイスは受け取らなかった。
「計測されていない間、幸福度は下がり続けますから、明日はなるべくお早めに来てくださいね」
担当者は最後にそう一言付け加えた。
思いのほか早い手続きに、予定のない午後が訪れる。
空は晴れ渡り、冬にしては暖かい気候だった。
何をしようかと考えながら、近くの公園のベンチに腰をかける。目の前の芝生でボール遊びをする少年と、その姿を微笑みながら見つめる母親の姿。
――僕は何をしているときが幸せなんだろう。
そんな思考がふと頭をよぎる。今朝まで幸せの基準は僕の手元にあった。平均より少し上の幸せ。それがどんな幸せなのかは、正直よく分からない。幸福度が高い人が何に喜び、低い人がどれほど苦しんでいるのかも。
鞄から本を取り出し、昼休みの続きを読み始める。文字を追っていく内に、まぶたが重たくなってくる。コクリと首が落ちるたびに、ページの頭を何度も読み直す。
足元に何かが当たる感触がしてふっと顔を上げる。僕は足元に転がるボールを手に取って、こちらに駆けてきた少年に手渡す。
「ありがとうございます!」
少年はボールを小脇に抱えて頭を下げると、照れくさそうに母親のもとへと戻っていった。
「そろそろ帰ろっか」
母親と並んで公園を去っていく少年が、途中こちらを振り返り小さく手を振る。
手を振り返した時、ふと母親と目が合い、笑顔で軽く会釈をされる。たったそれだけのやりとりに、何故か心が温かくなった。
呼吸を整えてベンチから腰を上げる。夕暮れの街を歩けば、人々の優しい笑い声が聞こえてくる。どこからか漂う焙煎の香り。気持ちよさそうに眠る猫。朱く染まった夕焼けの空。
街に流れるゆったりとした時間が、僕の心に微かな熱を持って触れる。
空席の多い電車の座席は、柔らかくて温かかった。吊り革が小さく揺れると、床に落ちた影も同じリズムを刻む。窓の外に目をやると、ミニチュアのように見える街の中を車や人の影が忙しなく動いている。
ふと心に落ちる温かさを、すべて『幸せ』と呼びたくなる。でも、明日の朝にはこの幸せも数値になってしまうのか。そもそも数値にすらならないのかと思うと心の奥がぐっと切なくなる。
僕は今ここにある幸せを忘れたくなくて、軽くなった左手をいつもより大きく振ってみた。それだけで、少し幸せが大きくなった気がした。
#幸せとは……
タイトル『影は光の中で』
人々は何故これほどまでに夜の闇へと惹かれるのだろうか。
夜の闇という名の魔女が、この世界に溢れる罪悪の境界をぼんやりと覆い隠してくれるからだろうか。
不安、恐怖、憎悪。そうした負の感情は夜が更けるほどに色濃く世界に滲み出してくる。
夜の闇はすべてを飲み込んで個の輪郭を奪っていく。夜を前にして私は世界の一部に飲み込まれそうになる。個々の影は世界に溶けていき、その境界を曖昧にしたまま夜の闇へと人々の罪悪が流れ込んでいく。
私は闇の中を逃げ惑っていた。
蠢く深い影の波に何度も足首を掴まれそうになりながら、誰かを責める声、奪えと囁く声、正義を装った暴力の気配に抗うように、ただひたすら逃げた。
夜の街は息苦しく、歩くほどに足元が沈む。罪が溢れる世界の中で、壊れそうになる自分自身の輪郭を闇の中から見出そうとする。闇に溶けた自分の姿を、もはや私自身も知り得なかった。
闇は思考すらもあやふやにする。
そもそも影が見えないことは恐怖なのだろうか。もしや世界と溶け合っている方が幸せなのではないか。怒りも恐怖も、悲しみも、起源はおろか終着点すら曖昧なのだ。私が感じているこの重さは世界の淀みであり、私が犯した過ちも世界の歪みの一部に過ぎない。きっとそうだ。そうであってくれなければ。
私の背後で、空がかすかに白み始める。地の底から這い上がった気配が骨の髄を蠢いていくように、私の胸の奥でざわざわと音を立てる。反して世界は静寂に包まれる。影たちは声を潜め、無関心という名の檻に閉じこもる。世界が明るくなるほどに、私の内側はますます騒がしくなっていく。説明のつかない焦燥が、喉元までせり上がってくる。
この光は果たして救いなのだろうか。
否。私はこの光からも逃げなければならない。直感がそう告げている。
太陽が昇るにつれて、背中がじりじりと熱を帯びる。私の目前に伸びる長い影が濃くなっていく。
それはゆっくりと、確実に、逃げ道を塞ぐ侵略であった。
光が地面を舐めるように這い、世界を照らし、行く手を遮るものの輪郭をことごとく顕にする。私の足元へと届く光も、紛れもなくはっきりとした私自身の輪郭を浮かび上がらせる。
影は私を世界から切り離す冷酷な線。
世界と個人たる私の明確な境界。
夜の闇の中で、世界の罪だと思っていたものが、次々と私の中へ引き戻されていく。世界の怒りは私の怒りであり、世界の不安は私の不安であった。正義を口実に誰かを傷つけた記憶も、見ないふりをした選択も、すべて私の影に吸い寄せられる。
太陽は何も告げることはない。
裁くことも、赦すことも。
ただ、私の足元に輪郭としての影を残すのみ。
逃げ場はない。地面に突き立てられたナイフが影をとらえて離さないように、私はまるで身動きを取ることができなくなっていた。世界はもう私の代わりに闇を背負ってはくれない。平和な朝の光の中で、個としての私はひとり立ち尽くす。夜の闇の中で極限まで追い詰められた心に、朝の光は最後の審判を告げる。
夜の闇が世界の罪を覆い隠す魔女であるならば、この光は――魔王だ。
世界を清く浄化するために、影に囚われた個の姿をありありと晒す存在。太陽は、罪を焼き払うことはない。罪の持ち主を露わにするだけだ。
罪から解放された朝の街の中を、罪にまみれた数多の影が動き出す。
光に晒された人々は、自らの罪をその内に覆い隠す。悲鳴もあげず、怒りも抑え、苦しみのすべてを己の中に閉じ込める。そこでようやく私は個としての私を知る。私を形作る輪郭を知る。
夜のあいだ、私は世界とひとつであった。
そして朝になり、ようやく私は世界でひとつになった。
#日の出