結城斗永

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タイトル『影は光の中で』

 人々は何故これほどまでに夜の闇へと惹かれるのだろうか。
 夜の闇という名の魔女が、この世界に溢れる罪悪の境界をぼんやりと覆い隠してくれるからだろうか。

 不安、恐怖、憎悪。そうした負の感情は夜が更けるほどに色濃く世界に滲み出してくる。
 夜の闇はすべてを飲み込んで個の輪郭を奪っていく。夜を前にして私は世界の一部に飲み込まれそうになる。個々の影は世界に溶けていき、その境界を曖昧にしたまま夜の闇へと人々の罪悪が流れ込んでいく。

 私は闇の中を逃げ惑っていた。
 蠢く深い影の波に何度も足首を掴まれそうになりながら、誰かを責める声、奪えと囁く声、正義を装った暴力の気配に抗うように、ただひたすら逃げた。
 夜の街は息苦しく、歩くほどに足元が沈む。罪が溢れる世界の中で、壊れそうになる自分自身の輪郭を闇の中から見出そうとする。闇に溶けた自分の姿を、もはや私自身も知り得なかった。

 闇は思考すらもあやふやにする。
 そもそも影が見えないことは恐怖なのだろうか。もしや世界と溶け合っている方が幸せなのではないか。怒りも恐怖も、悲しみも、起源はおろか終着点すら曖昧なのだ。私が感じているこの重さは世界の淀みであり、私が犯した過ちも世界の歪みの一部に過ぎない。きっとそうだ。そうであってくれなければ。

 私の背後で、空がかすかに白み始める。地の底から這い上がった気配が骨の髄を蠢いていくように、私の胸の奥でざわざわと音を立てる。反して世界は静寂に包まれる。影たちは声を潜め、無関心という名の檻に閉じこもる。世界が明るくなるほどに、私の内側はますます騒がしくなっていく。説明のつかない焦燥が、喉元までせり上がってくる。

 この光は果たして救いなのだろうか。
 否。私はこの光からも逃げなければならない。直感がそう告げている。

 太陽が昇るにつれて、背中がじりじりと熱を帯びる。私の目前に伸びる長い影が濃くなっていく。
 それはゆっくりと、確実に、逃げ道を塞ぐ侵略であった。
 光が地面を舐めるように這い、世界を照らし、行く手を遮るものの輪郭をことごとく顕にする。私の足元へと届く光も、紛れもなくはっきりとした私自身の輪郭を浮かび上がらせる。

 影は私を世界から切り離す冷酷な線。
 世界と個人たる私の明確な境界。

 夜の闇の中で、世界の罪だと思っていたものが、次々と私の中へ引き戻されていく。世界の怒りは私の怒りであり、世界の不安は私の不安であった。正義を口実に誰かを傷つけた記憶も、見ないふりをした選択も、すべて私の影に吸い寄せられる。

 太陽は何も告げることはない。
 裁くことも、赦すことも。
 ただ、私の足元に輪郭としての影を残すのみ。

 逃げ場はない。地面に突き立てられたナイフが影をとらえて離さないように、私はまるで身動きを取ることができなくなっていた。世界はもう私の代わりに闇を背負ってはくれない。平和な朝の光の中で、個としての私はひとり立ち尽くす。夜の闇の中で極限まで追い詰められた心に、朝の光は最後の審判を告げる。

 夜の闇が世界の罪を覆い隠す魔女であるならば、この光は――魔王だ。
 世界を清く浄化するために、影に囚われた個の姿をありありと晒す存在。太陽は、罪を焼き払うことはない。罪の持ち主を露わにするだけだ。

 罪から解放された朝の街の中を、罪にまみれた数多の影が動き出す。
 光に晒された人々は、自らの罪をその内に覆い隠す。悲鳴もあげず、怒りも抑え、苦しみのすべてを己の中に閉じ込める。そこでようやく私は個としての私を知る。私を形作る輪郭を知る。

 夜のあいだ、私は世界とひとつであった。
 そして朝になり、ようやく私は世界でひとつになった。

#日の出

1/4/2026, 6:17:40 AM