しい

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8/21/2024, 4:02:08 PM

「ままー 」
「んー?なあに?」

眠そうに目を擦っていたはずの奏介が起き上がり、何かを指さしていた。わたしは洗濯物を畳みながら、ちらりと奏介に目を向ける。奏介は窓を指さしていた。

「かあかあ!」
「ん?あ、ほんとだね。カアカア、カラスだね」
「からすだねぇ」
「うんうん。まっくろな鳥さんだね。鳥さん」
「とりさん…」

たくさんの言葉を教えたくて、カラスと関連する言葉を奏介に伝えてみる。頑張って私の言葉を真似する奏介が愛おしい。まだ三語文はたまにしか出ないけど、よちよちなこの喋り方がとても可愛くて、このままでもいいのかも、と思ってしまう。さかなをさたなと言ってしまう奏介に、毎度のように笑みがこぼれてしまう。毎日可愛いが更新される我が子に対し、随分と親バカになってしまったとしみじみと思う。

「あ!とりさん!」
「あっ鳥さんどっか行っちゃったねえ」
「いっちゃった…」
「うん。鳥さんまた来るといいね」
「とりさん、いっちゃった?」
「うん。お空飛んで行っちゃったね。パタパタパタ~って!」

飛んでいく鳥のジェスチャーをしてみると、奏介も小さく真似をしながら「とりさんパタパタした!」とにこやかに笑っていた。何が楽しいのか分からない年頃ではあるけれど、この子の笑顔はとても癒しになるから、いくらでも笑ってくれ~と親バカなわたしは思う。

「そうちゃんね、そうちゃんとりさんすき!」
「お、そうちゃん鳥さん好き?」
「うん!そうちゃんもパタパタしたい!」
「え~?そうちゃんもパタパタしたいの?」
「うん!ままもいく?」

お空に一緒に飛びに行こう、なんて純粋無垢な誘いに「ママも一緒に行こうかなぁ」と幸せな笑みを返した。

ママはあなたの行きたいところ、見たいもの、何でも見せてあげるよ。鳥さんのようにいろんな素敵な景色をどんどん見に行って欲しいな、なんて奏介が大きくなっていく未来を思いながら洗濯物を畳んでいると、「あ」と声が漏れた。


「ん~~でもね、そうちゃん…」
「?」
「そうちゃん、遠くには飛んで行かないでほしいなぁ…」


鳥に憧れる我が息子
/鳥のように

8/3/2024, 4:05:43 PM

「うう……」

耐えよう、耐えようと堪えた嗚咽は、悲しみに溢れた声に変わってしまっていた。我が子の頬へと落ちる水の雫は決して綺麗なものではなく、色は透明であるが、実質はドブ川のように荒んだものであった。

「ごめんね…」

頭の中は情景を映さず、ただただグレーな靄がかかっているのに、我が子の愛らしい寝顔を見る度に胸がずきずきと痛くなる。どうしてこの子は私の元で産まれて来てしまったのだろう。蔑ろにするわけではないが、今日に至るまでに何十日とそう思った。きっと、私以外のお腹に宿れば、きっと幸せな女の子になったのだろう。大好きな服や、靴、夜ご飯、お出かけ。あなたがやりたいこと全部叶えてくれるお母さんの元に出会ったのならば、どれほどあなたは幸せだっただろう。どれほどあなたは素敵な五歳の歳を迎えたのだろう。

苦しくなるだけの未来の想像を何度もしながら、震える手のひらで少し茶色の我が子の頭を撫でる。

「ごめんね、ママの元で産まれてきてしまって、ごめんね」

私の懺悔を、何もなかったように。ぴゅう、と網戸から強い風が差し込み、古びたカーテンがすうっと揺れた。茶色い我が子の髪も、無邪気に、一緒になって揺れる。

今日は快晴だ。とても。腹が立つくらいに。雲一つない、私たちを何も助けてくれない晴れやかな空。


「……ママ?」

空に送っていた視線を我が子に向けると、眠たそうに目を擦りながら、我が子は私の顔を見上げていた。

あれ、ママなんで泣いてるの。そんなふうに今日もまた言われないように、さっと下を向いて目尻の水を拭って、さん、はい。

「しおり、おはよう」



あなたの目に映る母は、優しいママでありたい。
/目が覚めるまでに

7/21/2024, 3:42:55 PM

手を伸ばせば、届きそうなところに彼はいる。
美しい彼の笑顔は、すぐ近くに見える。
とても大好きだった笑顔。今はちょっと嫌いになりそうだ。

あなたに、言いたいことがある。謝りたいことも。だから今、苦手な食堂に仕方なくいる。最後だからありがとうとも言いたい。いっぱい、言い出したらキリがないくらい伝えたいことがある。けれど、目の前では話せないと思うから、遠回しにありがとうだけは言いたいな。できれば、目の前で…。最後だから、絶対言いたいのに、なぁ。

大好きな人に別れを告げる資格もないと、言われてるみたいだ。

下唇をきゅっと噛み締めて、弱い証拠である大嫌いな涙を堪える。苦し紛れに、スマホを開いて時刻を確認する。時刻は四時二十分だ。人生最後の四時二十分だ。最後までどの日も情けない私の時間。神様が余り物で作った私の命。捨てるのも、見てみるのも興味がない、神からも、親からも、先生からも、同じ大学の子達からも、誰からも見られていない私の存在。命がなくなってしまった時は、さすがに泣いてくれるのだろうか。彼くらいは、少し後悔してくれるだろうか。話をもっと聞いてあげれば良かったって。そんなふうに思えてもらえるといいなぁ。

諦め、席を立つ。周りの人達から気付かれる存在感はやはりなかったが、彼だけは、気付いてくれた。

「あれ、中村さんもう行くの?」
「……うん」
「そっか。また明日ね」

にっこり笑顔も、愛想笑いも、笑みと呼べれるものは何もできず、最後に見る彼の笑顔に圧倒されてしまった。

みんなが大好きな彼の笑顔。脆弱で、一人ぼっちな私にさえ向けてくれる、彼の笑顔は、見なきゃ良かったと思うくらい綺麗だった。


「今日も素敵だったな」

家まで向かう道で、ひとりで呟く。ありがとうや、ごめんね、など、何も言えなかった自分はもう責めないことにした。かわいそうな自分は、もうかわいそうにしない方がいい。したくない。最後は、大好きだった彼のことを思いながら、気楽に、死に向かうことが一番だと、そう思うことにしよう。

今日はやけに夕焼けがきれいだった。ほんのり紫で、ピンクで、青で、こんなにもきれいに混ざれるのかと、少し羨ましかった。
ぴゅう、と強めの風が私の髪を揺らした。脳裏によぎる、彼と夕焼けの時刻に一回だけ、一緒にこの道を歩いたことを思い出した。

「中村さん、見て、今日の夕焼け綺麗」

うん、そうだね、なんて。
ありもしない大好きな彼の幻想を思いながら、家に着くまで、さあ、あと五分だ。


「一緒に、この夕焼け、見たかったなぁ…」



明日/今一番欲しいもの