しい

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手を伸ばせば、届きそうなところに彼はいる。
美しい彼の笑顔は、すぐ近くに見える。
とても大好きだった笑顔。今はちょっと嫌いになりそうだ。

あなたに、言いたいことがある。謝りたいことも。だから今、苦手な食堂に仕方なくいる。最後だからありがとうとも言いたい。いっぱい、言い出したらキリがないくらい伝えたいことがある。けれど、目の前では話せないと思うから、遠回しにありがとうだけは言いたいな。できれば、目の前で…。最後だから、絶対言いたいのに、なぁ。

大好きな人に別れを告げる資格もないと、言われてるみたいだ。

下唇をきゅっと噛み締めて、弱い証拠である大嫌いな涙を堪える。苦し紛れに、スマホを開いて時刻を確認する。時刻は四時二十分だ。人生最後の四時二十分だ。最後までどの日も情けない私の時間。神様が余り物で作った私の命。捨てるのも、見てみるのも興味がない、神からも、親からも、先生からも、同じ大学の子達からも、誰からも見られていない私の存在。命がなくなってしまった時は、さすがに泣いてくれるのだろうか。彼くらいは、少し後悔してくれるだろうか。話をもっと聞いてあげれば良かったって。そんなふうに思えてもらえるといいなぁ。

諦め、席を立つ。周りの人達から気付かれる存在感はやはりなかったが、彼だけは、気付いてくれた。

「あれ、中村さんもう行くの?」
「……うん」
「そっか。また明日ね」

にっこり笑顔も、愛想笑いも、笑みと呼べれるものは何もできず、最後に見る彼の笑顔に圧倒されてしまった。

みんなが大好きな彼の笑顔。脆弱で、一人ぼっちな私にさえ向けてくれる、彼の笑顔は、見なきゃ良かったと思うくらい綺麗だった。


「今日も素敵だったな」

家まで向かう道で、ひとりで呟く。ありがとうや、ごめんね、など、何も言えなかった自分はもう責めないことにした。かわいそうな自分は、もうかわいそうにしない方がいい。したくない。最後は、大好きだった彼のことを思いながら、気楽に、死に向かうことが一番だと、そう思うことにしよう。

今日はやけに夕焼けがきれいだった。ほんのり紫で、ピンクで、青で、こんなにもきれいに混ざれるのかと、少し羨ましかった。
ぴゅう、と強めの風が私の髪を揺らした。脳裏によぎる、彼と夕焼けの時刻に一回だけ、一緒にこの道を歩いたことを思い出した。

「中村さん、見て、今日の夕焼け綺麗」

うん、そうだね、なんて。
ありもしない大好きな彼の幻想を思いながら、家に着くまで、さあ、あと五分だ。


「一緒に、この夕焼け、見たかったなぁ…」



明日/今一番欲しいもの

7/21/2024, 3:42:55 PM