通りすがりの空想好き@作品に繋がりあり

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9/27/2025, 8:53:58 PM

──【涙の理由】──

──息子の仕草に僕は、目を見開いた。




『おとー、おとー……どーしたの?』

マンションの、ベランダに置かれたパイプ椅子。 そこに座って、飴(本来ならタバコを咥えたかったが、息子も風呂上がりで、ベランダで涼んでる為)を口の中で転がしていた。

目の前の息子、7歳の柚希が夏休みの自由研究で作った【おとーさんとベランダですわるおいす】と貼り付けられたタイトルのままな、木の椅子にちょこんと座っている。そんな仕草を何気なく見つめていたのだが……。

冒頭の通り、息子が妙に首を傾げて、僕の頬をまだまだ小さな両手で掴んでから自分のタオルでパタパタと顔をたたいてきた。 どうやら、僕が泣いているようだ。

「おとー、どこか、いたいいたいの?」

幼稚園の頃よりも、語彙が増えてきた柚希に目尻が緩んだ。それでもまだ、他の子よりものんびりしているのは、おそらく、多分、僕に似ているのだと思う。

「んーん、ありがとうな。柚希」

僕の顔を未だに一生懸命ぽんぽんしていた息子の背中に手を回してギュッと抱き寄せるように近づける。 そして、額と額を付き合わせて、スリスリと。 目と目の距離が近い。 似たような目をした僕たちは同時に目を細めた。

「んもー、おとー、なあにー」

ケタケタとどこかくすぐったそうに笑って、軽い抵抗をする柚希の愛らしさに、また涙が出てきた。さっきとは違う、嬉し泣き?癒し泣き?だ。

「おとーったら、泣き虫さんですねー」

……ほら、まただ。どこか落ち着いた声のトーンで、小学校の先生の口調をなぞるような声色で。 僕から数歩離れた柚希が腰に小さな手を当てて困った顔をして、言ってきた。その言葉がどうしても、妻の、里奈の『樹くんは泣き虫さんですね~まったく』を想起せざるを得なかった。

さっきも、目の前に座ってた柚希が肌寒かったとき、ちょっと両手をさすさすと擦り合わせてから自分のほっぺにあてて顔を温める、(本当に温まっているかは不明だが)そんな仕草もまるで妻のようで。

目の前に居るのは息子なのだと、ちゃんと理解しないと、今すぐにでも里奈、里奈、なんて呼びながら抱きしめてしまいそうだった。

それ故に、僕は高ぶった感情をきっかけに、些細なことでも泣きそうになる……いや、もう泣いている。

それからスッと、片腕で思い切って両目の涙を拭い去り、少し重くなった柚希を抱っこするように立ち上がって、部屋の中に戻る。

「あぁ……」

ふと、冷蔵庫にある今日買っていたものを思い出す。 お風呂上がりのデザートタイムもたまにはいいかもな、と。

「柚希、今日はブドウを買ってきたから、おとーと一緒にたべよう」
「ぶどう!!? うん!あのね!うん!たべる!」
「ははっ……うん。たべようか」

そう言いながらソファーに、柚希を降ろして部屋を見回す。 これでもかというほどの散らかった空間を作り上げていた。 時間が無いとこうなるのはもう、仕方がない。

付けっぱなしだったテレビを消して、それから出しっぱなしのおもちゃを適当に箱にしまう。 正直、散らかした本人にやるのが教育のためだと叱られたら肩を竦めて言い返す事もできない。 だけど一つ言い訳をするのなら、大人が片付けた方が早い時もあるぞって事だろう。
ため息を軽くついてから机を見ると、柚希が冷蔵庫からブドウを取り出して準備をしているのを見て「ふっ」と思わず笑ってしまった。

ゆっくりと近づいて、ゆっくりとブドウを受け取る。手招きしてキッチンへ。 食べる前に洗うことを教えると、そんな些細な事も面白いのか目をキラキラしてる。

……あぁ、そういえばさっきの柚希からの、泣き虫さんですねーに答えてなかった。

「しらなかったか? おとーは泣き虫さんだぞ?」
「えーしってるー」
「あははは……しってたかぁ」

今日もまた、なんてことの無い日常にあたらしい色が塗り重なっていく。




【僕の涙の理由の大体は家族に起因されているな】

9/26/2025, 12:40:54 PM

──【コーヒーが冷めないうちに】──

静かな午後3時。 リビングの机に座りながらアルバムの整理をしていた。 細く煙をたてるマグカップのコーヒーをお供に。

僕はメガネの真ん中を人差し指でカチャと支えなおしてため息。 どれもこれも、沢山の可愛い柚希で溢れている、故のため息だった。園から購入した質のいい写真と、僕が撮ったブレが多い写真の数々。

写真の主役は目と鼻の先のソファーにコロンっと横になって、すやすやと眠っている訳だが。

「あ……これも懐かしいな」

場所が足りなくて、単にアルバムの中に差し込んでいただけの写真が机の上に落ちてきたから、拾ってみる。 その写真の中の柚希はまだ1歳半かそこら辺。

マンションの共用廊下から、柚希を抱っこしていた僕は、共用廊下の大きな窓の近くで外の景色を楽しんでいた。 「いまとりさんきたぞ!」とか「雲が笑っているよー」だとか、そんな他愛もない事を喋っていた……ような気がする。

その時に、確か買い物帰りのご近所さんに声をかけられて、振り向いた。 その時の写真。まさか撮られるなんて思わずに、ちょっと変な顔をした僕と、親指を口にくわえて、まんまるの瞳で不思議そうにカメラ目線の柚希。

それから少し会話をして、せっかくだからとその時の写真を貰ったのを覚えている。中身はあまり覚えてないけど、多分、柚希の事を可愛い可愛いと言ってくれたのは確かだろう――前を見るとニコニコと笑っている妻も次から次へと写真をとりはじめた



懐かしいね、樹
「あぁ、懐かしい」

……それから、一緒に里奈とも遊んで、家族3人で自撮りしてみたり、他愛もない会話をしたり、

「ねぇ、おとー」
「里奈も覚えてるよね」

僕も満面の笑みでわらって……それでほかの写真もみていく。

どれもこれも、家族3人の写真で”僕と柚希が二人で”ピースをしている。たくさんの写真をみて──〈〈おとーー!!!!!!!!ってばぁぁぁぁ〉〉


ガコンッ……へんな音と痛みで、変なところにぶつけたのか脇腹を慌てて、かるく撫でた。いったい、いまの爆音は……あれ。 ポヤポヤとした目を手のひらの拳でゴシゴシとすると、段々と視界も開けてきた。

……あぁ、そうか。 アルバムを整理している途中で、恐らく、たぶん寝落ちしてしまったのだろう。僕の膝にいつの間にか乗っかって、僕を起こしていたであろう柚希。 その頭に僕の頭をぼふっと軽く預けた。

「おとー、ねちゃってたね」
「ん! ねごといっぱい! かぁかぁのじかん」
「嘘だろぉ……」

息子の言葉に目を剥いて……恐る恐るスマホの電源をいれる。 思わずすぐに消した。確かにさっきまで15:00だと思っていたのに、もう17:30を過ぎようとしている。 せっかくの日曜日、まさかこんなところで寝落ちをしてしまうとは。

アルバムの整理はまた今度か、と少しだけ重いため息をついて、ガサゴソと適当に並べ直してダンボールの箱にしまい込む。

それから、手元に置いていた、コーヒーのはいったマグカップ。 半分以上残っていたそれを、思いきって飲み干した。

「……にがっ」

アイスとはまた別の、冷たさと、美味しくない苦味のコラボに思わず、渋い顔をしながら舌を出していると、柚希はケタケタと笑って、僕の顔を真似してきた。

「おとー、おもしろい」
「水でも飲むかぁ……」

そしてゆっくりと、柚希の脇を掴んで隣の椅子にうつしてから、立ち上がって水を取りにキッチンへ向かった。


【次はコーヒーが冷めないうちにアルバムの整理でもしよう】

9/25/2025, 11:59:39 AM

──【パラレルワールド】──


ある日の、土曜日。午前7時。 敷布団で僕は頭まで毛布かぶって寝ていた。 せっかくの休日をゆっくりしようと……決意していたのに。

「おとぉーおきなさああい」
「ぐはっっ」

パタパタパタと忙しない足音が聞こえてきたと思った刹那――僕の腹に衝撃が走った。 人の腹に乗っかってケラケラと笑っているのは、紛れもない息子の柚希。先日、6歳になったばかりなのに無邪気さは健在だ。

渋々、毛布から顔を出すと目と鼻の先に柚希の顔。 満面の笑みで僕の鼻をつまんで、そんなに面白いのか笑いこけている。

「ふぁめなあい、ううき(やめなさい、ゆずき)」
「おきないと、あさごはんないって、おかーいってるもん」

その手札を出されたら負けだ。 無いと言ったら本当に無いのが僕の妻だから。

欠伸を噛み殺してから、柚希を胸の中に抱きしめるように起き上がった。 急な浮遊感に柚希も「わわぁっ」と情けない声をあげている。

「今日は、ホットケーキかな? 」
「あーーー!! おえかきするのわすれてた!おとーはなしてぇぇぇ」

さっきの仕返しとばかり、より一層、ギュッと柚希を捕まえる。どうやら、チョコペンでお絵描きする予定だったようだ。 喉をクツクツと鳴らして遊んでいると――ぺしんっっ

「いったぁぁ」
「いい加減におきなさい、樹 」
「いや、起きてた、それにしても酷くない里奈!?」

頭に星が散ったと錯覚してしまった。 いそいそと手のひらで、叩かれた頭を撫でながら見上げると、腰に手を当てた妻の里奈と、里奈の後ろに隠れた柚希が視界に入る。

「もう出来上がるから行こ」
「「はーい」」

柚希と僕で返事の声色もトーンも一緒すぎて、思わず吹き出して笑ってしまう。 里奈もその様子を見て目尻を下げている。

「樹はイチゴジャムでいいよね?」
「ん、ありがとう」

答えつつ、少しだけ甘えるように、片腕を上にあげると、呆れた笑いを浮かべながらも勢いよく僕の腕を引っ張ってくれた。 そして立ち上がる。

そして、今度はさっきまで見上げてた顔を上から見つめる形で頭をぽふっと撫でると、背中を強くバシンッと叩かれる。

「もう! はやくリビングにきて!着替えてからね……柚希もだからね!」

どうやら、少し照れたらしい妻が愛らしくて、無意識に口の端があがってしまった。それから、僕の布団の近くに雑に投げられていた柚希の着替えを先に掴む。

当の息子は準備満タンだったようで、既にバンザイをして待っていたから、そのままパジャマ裾を掴んで上にバフッと脱がせる。

そしてすぐに、パーカーを上から着させて、ズボンをちゃちゃっと履かせたら柚希の支度は完成だ。 着替えてすぐに柚希が「おかーちょこぺん」と走り出したのをみて、思わず「おとーを、おいてくなよ」と呟いた僕は悪くない。

そして僕も、適当に着替えてからリビングに顔を出すと既に何枚かホットケーキは焼きあがっていた。 椅子に座る。 向かい側に里奈。 その里奈の隣に座って、肩に頭を預けるようにニコニコ笑っている柚希。

今日もまた、家族3人の幸せな休日がやってくる。

「おとおみて!これ、おとー」
「ハハッ……なんだこれ……さて食べるか」
「そうねそうね!私もお腹すいちゃったわ!」

みんなで目を合わせて、両手をパンっと合わせて「いただきます」

……こんな幸せが続けばいいのに。
でも、だけどこれは。


「いつき!私のバターとって」
「はいはい」
「おとー!僕も!」
「はいよー」

こんな、どこの家庭にも有り得る、幸せな日常は、どれも全てが……。




【有り得たかもしれない、1つの世界線に過ぎないのだから】

9/24/2025, 1:30:40 PM

──【時計の針が重なって】──

僕は急いでいた。 6歳の息子の、最後のお遊戯会に向かうために。

前々から休みの予定を申請していたと言うのに、色々な要因が重なって、どうしても午前中は仕事に行かなくては行けなかった。何とか有給を午後でもぎ取ったものの、それでもギリギリ。

昼食も一緒に食べられないからと、お弁当を用意して、絶対に午後の息子の、柚希の出番は見るからな、と何とか説得して登園して行った息子を裏切る訳には行かなかった。

息子の出番は13:30分~50分。 シンデレラの王子様という何とも大きな役を演じるらしい。 ここで見なきゃ一生、後悔してもし切れないのは目に見えている。

信号待ちに、顔を歪めながら、腕時計を見ると既に13:20分になろうとしている。 この場所から早歩きでも15分はかかる。 開演にはもう間に合わないかもしれない。

ここに来るまでにも随分と走ったせいで、汗もダラダラと流れ、シャツもまるで濡れ鼠の様だったし、運動不足に加え、ただでさえ喫煙者の僕の肺はもう限界寸前だった。

太ももを何とか叩きつけて、青になったと同時に走り始める。


―間に合え、間に合えッ……間に合えッッッ!

一心不乱に僕は走る。

情けなく、途中で足がもつれてしまい、酷く転けてもろにぶつけたひざ、それからザザザッと手のひらを滑らせた時に掠らせた手のひらもジンジンと熱を持って痛い。 ズボンを捲れば恐らく、血だって流れてるだろう。

昔の僕なら、ここで音をあげて座り込んでたかもしれない。だけど、僕は1人の父親で、ヒーローだ。ヒーローを待っている子がいる。 だから頑張る。未熟だけど、それでも、僕は。ヒーローだから。

そして……ついに僕は園の前までたどり着く事が出来た。 いそいで受付のあるピロティに向かうと、年少組の親御さんが居た。 僕を見つけて酷く安堵した表情をしている。

「ゲホッゲホッ……ついた」
「清水さんッッッ!よかっ……その怪我どうし……」

駆けつけてきたその人は僕の怪我に目を見開いてたけど、状況を悟ってくれたのか、すぐに舞台に案内してくれる。 園の体育館。既にドアの前には園長先生がいて、顔パスで通してくれた。

中は薄暗く、舞台だけがライトアップされていて、静かだ。見覚えのある、柚希の同じ兎クラスの子ども達が覚えた演技を頑張っている。

時計は13:39分を示していた。 あと10分を必死に見届けようと、一番後ろの壁に背中を預ける……どうやらシンデレラは勘違いで、内容は白雪姫を下敷きとしたストーリーのようだった。

白雪姫役の女の子が、立ったまま両手を重ねて頬にあてて、眠りにつく。 その周りを小人役の子どもたちが、可愛らしい曲と歌でくるくると回っている。

そして40分。 馬の鳴き声の音と共に現れたのは、王子様の衣装を着ている柚希。 必死に柚希も覚えたであろう、動きと歌で白雪姫の正面で演技している……だけどその声が震えているのは、僕のせい。

「しろい、おはだ、ぼくのおひめさまに、」

そう言って、柚希が白雪姫役の子の両腕を握って、歌を歌うと女の子は徐々に目を覚まし、ゆっくりと踊り始めた。ここからフィナーレに入るのだろう。

45分、登場人物が全員揃い、フィナーレは開幕した。開幕と同時に一際大きな楽器の音が体育館全体に響き渡る。

(うん……柚希、がんばれ)

そしてそのフィナーレの最中に僕は柚希に見つかった。

目と目があったけど、僕は目だけ細めて応援をする。遠目からでも柚希の顔が真っ赤になって行くのがわかる。だけど、踏ん張っているようで必死に笑顔を保ちながら……今までで1番の笑顔、声量で歌を頑張っている。

それからゆっくりと、カーテンが幕を降りていくのをみながら、溜まっていた涙を指で拭う。

「……大きくなってるなぁ、柚希」

僕は拍手の先陣を切って、パチパチと大きな音を立てて叩いた。




【いくらズレたって、僕は柚希の秒針に追いつくよ】

9/23/2025, 11:55:41 AM

──【僕と一緒に】──

……僕の話をしようと思う。僕がまだ世間知らずな独りの坊ちゃんだった時の話を。

所謂、都会人として産まれ育ってきた。 海も山も縁のない、辺り一面はビル、ビル、ビルな場所。洗練された人たちが幼い頃から多かったし、両親も世間で言う所の高所得は立場だったのだと思う。

大人になってわかった事だが、毎朝バター塗って食べていた食パンがあれほど贅沢な事だなんて思った事が無かったし、小中高も似たような家庭環境で暮らしてきた人間ばかりだから、成長の過程で気付かされる事もないまま育ってきた。

そんな僕が本の虫だったって言ったら恐らく鼻で笑われてしまうだろう。 本を嗜むなかで低所得の暮らしだってたくさん触れてきた。なのに上記の通りの有様だったから。
食事を食べられない人も、高くて手をつけられない生活があることも、当時の僕はまるで魔法が使える世界と同等に現実離れした物語、としか思って居なかったから。

そんな僕が、世間の生活水準の平均を知るきっかけになったのが大学生になってから。 家の近くの大学に通っても良かったのだが、高校三年生の自分は思春期やら自立心やら、妙なプライドが相まって一人暮らしを経験させて貰えることになったのだ。

恥ずかしい話、その歳までお金なんてぼくは使った事なかった。値段なんて見ずにクレジットカードで生きていたから。 だから、適当にネットで「大学生、ひとり暮らし、毎月のお金」を調べて最初にでてきたリンクを印刷して……後はお手伝いさんに全て任せて高校生活を終えた事を覚えている。

……だからこそ、実家離れデビューには心底驚かされた。 小さな建物に続々と、同じ年頃の人間が入っていたから。 その流れに身を任せるまま受付と書かれた場所で鍵を受け取った。 それが、僕の寮暮らしのスタート。
とにかく、環境で本を読めない日が続いて、大学生活初日に音をあげそうになった。

壁は酷く薄いし、あちこちから大きな声が絶え間なく聞こえてくる。 エアコンのカビ臭さも最初はどこから漂ってきているのかも、分からなかったし。

しかも、虫が平然と僕の生活圏と同居している事が許せなかった。 許せないのは……今もだけど。

そんな環境に毎日、帰るのが嫌で、なにかと理由をつけては大学に残って、許される限り自習スペースや図書館で時間を過ごす事が多かった。
所謂、今までと変わらず一匹狼をしていた僕に友人といった存在は終ぞ出来なかった……たった一人を覗いて。

まぁ、結論を言えば僕の妻となった人だから、友人が終ぞ出来なかったは強ち間違っても居ないのだが。

彼女、里奈は僕より2つ年上だった。 初めての出会いは図書館の前。 いつも通り講義終わり、その足で図書館に向かうと、入口で誰かと電話している女性がいた。「聞いてない」だとか「もうきてる」とか「そんなぁ」など、落胆した口調だったから、楽しい話では無いのは一目瞭然。

そして僕は物理的にスルーして中に入ることが出来なかった。彼女が入口のど真ん中に立っていたから。 困り果てながら、仕方ないから寮に戻ろう、とした時に目があった。

「あー!ごめんじゃん!邪魔だったね!」

やけに響く声で謝られたあと、彼女が横にズレてくれたから、いつでも入れる状況に安堵したのもつかの間、僕のことをじっと見てくるものだからあまりにも居心地が悪い。

「ねー!あんたさ!1回生!?わたし3回生!よろしくね」
「あ……えっと、うん」

それで終わらないのが妻の性格だ。 いそいそと図書館に入って本を読み始めたものの、隣に座ってきた彼女。 暇さえあれば僕の読んでる本を盗み見て、それは何これは何と聞いてきたんだ。 先輩なのに、だ。

本来であれば僕が苦手なタイプだった。 なのに聞かれて悪い気がしなかったのは彼女が本へのリスペクトがあったからだと思う。 内容を教えるのが楽しかったし、真剣な目で僕の話を聞いてくれたのが楽しくて仕方なかった。

そして、その時間は半年に渡って続いた。 周りの友達が早めの就活だったりとかで暇を持て余していたらしい。 どうやら彼女は既に青田買いされているようで、残りの大学生活を遊ぶことに全振りする事にしていたのは後で聞いた。

とにかく僕が図書館に足を運ぶ頃には既に中に居ることの多かった彼女。彼女はだいたい、前日に僕がオススメした本を読んで僕を待ち構えていた。
この頃には既に僕はただ、彼女に話をするだけでなく、彼女の話を聞くことも多かった。離島出身な彼女から聞く話は全て新鮮で楽しかった。

……そんな、ある日のこと。 彼女は僕を見て、笑顔で駆け寄ってきた。 ダボッとした長ズボンをおもむろに捲りあげて、膝から溢れる血を見せてきたんだ。 無邪気な子どものように。

「みてー!大人になってひさしぶ「行きましょう」」

彼女とは反対に、顔を青くした僕は思わず、彼女の細い腕をバッと掴んで話を遮る。

「僕と一緒に行きましょう、医務室に」

彼女と会って、初めて声を張った瞬間だった。 図書館に響いた僕の声が恥ずかしくなって俯いてると、背中をバシバシ叩いて、「ありがとね」と感謝されたのは今でも覚えているし、彼女とも最期までこの時の話を繰り返していた。互いにとって、何気ない一瞬が思い出に切り取られた瞬間だったから。

彼女が僕への逆プロポーズでオマージュしてきたくらい、僕が王子様に見えたらしい。 本当に、いつでも恥ずかしげなく言ってくるから、いつも、いつも僕の方が先に恥ずかしさで胸がはち切れそうだった。

実家に縁を切られて良かったと思うほど、貴方が亡くなった今も、これからも、僕は貴方の運命に引っ張られた事を誇りに思っているよ。




『私と一緒に歩みましょう、2人のお家に』
『もちろん、僕で良ければ。2人で一緒に』
















【もちろん、その約束は現在進行形である】

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