──【cloudy】⠀──
6歳の息子、柚希を幼稚園に迎えに行った時には既に違和感があった。 いつもならニコニコと楽しそうに、今日の出来事を身振り手振りで教えてくれると言うのに、だ。
いま、なにか声をかけようにも切り口が見つけられずに様子を見ることにしている。 台所で料理をしながら、時々リビングの息子に目をやりながら。
子ども向けの番組を見ながら、ソファーで膝を抱えてころん、と横になっている。 いつもなら、テレビを見ながら踊ったり、歌ったりと騒がしい子が、ただ、ぼーっとテレビを見ている。
「よし……」
お鍋の中のシチューがコトコトと沸騰してきたのを確認してから、弱火にして蓋をする。 そして少し息を深く吸ってから、柚希の方に向かう。
柚希の前に立って、ゆっくりと膝を床につく。 すると柚希と目がぱちりとあった。……まったく、どうしてこの子は泣かない。
「泣くのを我慢してたんだね……」
「な、も、なッッッ」
顔をしわくちゃにして、顔が真っ赤になる。 鼻水は正直でソファーは既にビショビショだし、目からもとめどなく涙が溢れて仕方ない。
「柚希……ゆずくん。ほら、大丈夫、大丈夫だ。 幼稚園でなにかいやなこといわれたのかい?」
正直、こんなこと初めてで、内心は酷く焦りながらも、何とか落ち着きを維持しながら柚希を抱き上げる。 すぐに僕の肩はびしょびしょになった。
顔を僕の肩に押し付けながら、さっきの答えに対してか「ちがーの、ちがぅ、の」と否定してくる。さて、困った。 嫌な事をされて泣いていたのなら、色々ときいて幼稚園の先生に相談しようと、段取りを考えていたばかりなのだが。
「きょ、みんなのおとー、おかーきて……」
……みんな、の? 頭がなにか鈍器か何かで殴られたかのような衝撃を受ける。 予定としてもなにも聞いていない。
「おかー、いないのって、かわいそーなの?……みんな、いった」
内心で、一つだけ舌打ちをしてしまう。 一体何かを言ったのは子供ではなく、大人なのだろうと容易く想像ができてしまったから。
「……よっと」
ソファーに転がる幼稚園バックをなんとかとって、中身を開く。 いつも確認してたはずのバックを念入りにガサゴソする。
途中から息子が、やけにバックの小さなポケットの部分を触らせたくないように、手をさわさわしてきたから、確信が持てた。
そのポケットの中身を見れば、頑張ったな、としか言えないような小さく折りたたまれたA4のお知らせ。イベントの日は今日。
『親と一緒にパンを作ってみよう』といった内容だったらしい。
ひとつ、ため息をつくと柚希は唇を震わせながら、僕にこういってきた。
「おとー、じゃましたく、ないの……だから、だからぼく、それに、ひとりでもだいじょうぶだから」
「あほ、ばか。 柚希……。 おとーが行きたかったッッ!おとーパン好きなんだぞ」
頭を強く、わしゃわしゃしながらそう言うと、息子は「はっ」と声に出して、鼻声で「あわあわあわ」なんて、言っている。
「おとーのこと、今度からなんでもいいから。幼稚園におとーがきて、柚希となにか出来たり、柚希を見ていい日があったらさ、行っても、いいかな」
「あのね、あのね!うん!だよ!おとーいきたいならたくさん!いっしょに幼稚園しよう! おとー仲間はずれにしちゃった、ごめんなさい」
うん、うん。 身振り手振りで、目を大きく広げながらそんな事を言っているのがあまりにも可愛くて、僕の頬を柚希の頬にスリスリとした。
「それに、柚希。 おかーはいないのは本当の事だけど、可哀想じゃない。 だって柚希がおなかいっぱいになるまで、大好きっていったら、ほら。みてこのバケツ。可哀想なお水を入れるぶぶんあるか」
「ない!……ない! ぼく!おとーだいすきだもん」
その場限りを取り繕う為でしかないけど、上手く伝えられたか分からないけど、今はただ、息子がいつも通りの笑顔になってきた事が嬉しくてたまらない。
「I’ll Be the Hand to Clear Your Clouds」
……大学生の頃に、読んでいた本にかかれていた一説。やけに記憶に残っていた一説を、口に出す。
「あびはどとぅ?おとー、なあに?」
「なんでもない、なんでもないよ。おとーは柚希のヒーローだ」
「ぼくの、ヒーロー……へへ!」
もう一度、柚希の頭をわしゃわしゃと撫でる。柚希には僕がついている。それに亡くなった妻も天国から見守っているのは分かっている事だから。
……だから、僕は、
【柚希の曇りを追い払う手になるよ】
──【虹の架け橋🌈】──
ジワジワと洋服が肌にベタつく5月下旬頃だったか。 僕は産まれてまだ3ヶ月と少ししか経って居なかった、息子の柚希を抱っこしていた。 「あぶー、あぶー」と僕の肩は柚希のヨダレで濡れる。 そんな些細な事に、可愛いも、好きも、嫌もなにもなかったから。
「ありがとうございます、はい」
なぜなら、傘をさしながらやってきた僕と同じような黒いスーツを着てやってくる数少ない人物の対応で忙しかったから。 僕の髪の毛がボサボサなのに、誰にも咎められるわけがない状況だから。
妻の里奈が先日、病気に負けてこの世を旅立ってしまったばかりだから。 妻に親戚はいない。だけど、僕にはもったいないくらい社交的な妻だった。
今日、お通夜にやってきた人はみな、里奈に良くしてもらった事がある人達だろう。仕事の同僚、近所で井戸端会議をしていたであろう夫人たち、それからよく分からない数々のグループ。みんな、里奈が作り上げてきたコミニティの人たち。
「うぇっ、うぇっ……えーーーん」
ぼやっと周りを見ていると、突如耳元で鳴り響く爆音に思わず手にしていた封筒を落としてしまう。必死に揺らしても、揺らしても泣き止む気配のない柚希に段々とイライラが募ってきてしまう。
「泣きやめ、泣き止んでくれよ、柚希。ミルクか?なぁミルクなら飲めよ、なんで、飲まない」
……なにから手を出したら良いのかも、もう分からない。弱虫な僕が、弱虫な赤子の面倒を見れるわけがない。
里奈がいたら、すぐに電話して、どうしたらいいのか聞けたし、病院に行けば抱っこの仕方もゲップのさせ方も教えて貰えた、なのに。全てを思い出しながら色々と面倒をみてもみても、あの時のように上手くいかない。
「お父さん、お父さんがイライラしてるとお子さんにも伝わっちゃうものですよ」
唇も三角になって、顔も渋くなってしまっていた僕に声をかけてきたのは、たまにご近所で見かける女性だった。 会釈はした事あるけど、里奈と違ってお話はしたこと無かった。
「えっと……」
「ごめんなさいね。 里奈さんのお友達。いつも貴方の話は里奈さんから聞いてたわ。良い旦那だって」
淡々と、話してくれた目の前の女性の言葉に胸がドクンドクンと波打つ。ぼくは……里奈の良い旦那になれてたのだろうか?
女性が変顔などを、柚希にしているといつの間にか泣き止んでいる。 僕が何をしても、泣き止んでくれなかったのに。
「1人で追い詰めないのが大切です。 施設の知り合いがいて、頼ってみませんか」
引き続き、柚希に変顔して、ではあるが女性がそんなひとつの提案をしてきた。
「おとーさんが、限界になって倒れちゃったらこの……赤ちゃん」
「柚希、でふ」
「うん、柚希くんが可哀想よ……」
柚希は僕と里奈の最愛の子ども。2人で見守る予定だった男の子。 予定が狂ってしまって、大人1人で面倒を見ることになってしまった子ども。
「……僕でも父親になれると、思いますか?」
「そりゃもちろん。いつも”私の心の拠り所なんです!”って里奈さんに惚気られてたもの。そんなあなたなら、大丈夫。」
柚希をギュッと抱きしめ直して、ぼくは肩を震わせてしまう。 里奈……僕でも、この子の父親になれるか頑張ってみる。 だから、見守ってく……あれ。
「ふっ」
願いを考えながら、ふと空を見上げると、先程まで曇っていたはずの空が晴天。そのど真ん中に、大きな虹があって思わず笑ってしまった。
まるで、僕に言われなくても見守る気満々ですよ、と里奈が天国で胸を張って言ってくれてるかのような錯覚を抱いた。
「あぅぅ」
僕の顔を小さい手で、さわさわとさわってくる柚希の目を見た。ニコッと里奈と同じような目をした柚希が笑う。そこでぼくはハッとした。里奈が亡くなってから数日間、僕が柚希の目を見ていなかったことに。
……これは、まったく。本当に、本当になんて
【頼りになる虹の橋を架けてくれたんだろう】
──【既読がつかないメッセージ】──
20:00。
きょうの20:00はいつも以上に静かにその時刻を迎える。
普段は聞こえる足音も、声も、物音も何一つとして聞こえない。
全ては息子の柚希が、お泊まり保育の不在が理由なのだが。
本当に、柚希が居ないだけで僕の生活がまるでモノクロになってしまったかのように、活力のひとつも湧いてこない。
その証拠だとばかりに、僕の目の前のテーブルには冷たいお弁当が1つ。 妻を亡くしてからは、必死に手料理を作ってきたから本当に久しぶりのコンビニ弁当だ。
別に不味いわけではない。 不味いどころか下手したら僕の作る料理よりも美味しいかもしれない。 箸で鮭を一欠片、口に運ぶ。箸を吸い込むようにキュッと唇を閉じる。程良い塩気がゆっくりと口の中に溶けていく。
「……美味しい」
美味しいのに、美味しくない。 時計のチクタク音と、テレビから定期的に聞こえてくる笑い声をBGMに、ぼやっとした思考のまま暫く箸を進め続けた。
気付いたらあっというまにプラスチックゴミとなったそれを見て、両手を合わせてご馳走様でしたとと呟く。
――いまごろ、 息子は園のお友達として仲良くハンバーグでも作って楽しんでいるだろうか? 喧嘩とかもしてなければ、いいが。
そんな事を思いながら、ぼくは食後の一服をする為にいそいそとベランダの外に移動して、パイプ椅子に腰をおろす。
口でタバコを挟みながら片手を傍に添えて風を遮ってから、もう片方の手でライターをカチッカチッと鳴らす。ボっと火が見えたのを確認してから、僕の顔をライターに近づけてタバコを燃やし始める。
ゆっくりと、口の中に流れ込んでくる煙が今日は一段と上手く感じる。 息子が居なかったら、僕はもしかしたら早くに病気にでもなって死んでたかもしれない。タバコの吸いすぎでね。
少し自嘲気味な思考に耽りながら、煙を肺に飲み込んで……吐き出す。 もくもくと煙はベランダから外への流れ、消えていく。
不規則な煙を、何となく視界で追いかけつつポケットに入れていたスマートフォンを取り出す。 点滅してすぐに家族3人の写真。病室のベットで腰を起こして疲れきった顔をした妻と、その妻が胸に抱いている新生児の柚希。 その横の丸椅子に腰掛けて、妻の肩に腕を添えて、控えめにピースの形をしている僕。
「よりにもよって、これか」
スマホのロック画面はランダムで、毎回異なる写真が流れるように設定していたはずなのに、少しセンチメンタルになっている今日の僕に、この写真は眩しすぎる。
目がジワッと痛いのは、きっとタバコの煙のせいだと、1人で勝手に言い訳をあれこれと考えながら再度その写真に目をやる。
「もう一度……この時に戻れたら」
馬鹿げた事を、呟いても、ただ静かな空間と溶けて消えるだけ。こんな時にこそ、息子が傍にいたら何も言わずにギュッと抱きしめでもしたのに、それが出来ない。
そして頭を左右に何度か横に振って、思考を切り替えてから、そっと指紋でスマホのロック画面を解除した。 カレンダーやら、メールやら、シンプルなアプリばかりが並ぶホーム画面。
迷わず、ぼくは緑色のアイコンのトークアプリを開いて、1番上に固定している”妻”とのトーク履歴に入る。
遡っても遡っても、妻からの返信に辿り着くのは難しい。一方的な僕からの言葉が、未読のままの言葉が約六年近くに渡って毎日送られ続けているから。
何となく、直近で送信した言葉の数々をつぶやく。
「
―さっきまで曇っていて、残念だと思っていたはずの月が……いつの間にか暖かで、それでいて素敵なものに変わっていた
―だって、一生に一度と言えた恋を失った、泣き虫な僕の心には君の手がどんな形でも必要なのだから
―答えは、まだ
―それでも今日の靴紐ははなまるです
―家族3人で笑い合っての終止符が望ましい
―僕たち親子の生活に、秋が色を差し込み始めた
」
何の略脈もなにもない、まるでポエムに近い独り言。 その時その時に感じた気持ちの報告を、時には酔っていたり、泣いていたりしながら日課として続けている名残だ。
もし本当に、これに既読が付いたのならば、妻からは「ばかたれ」といったお叱り数々をいくつか受けてしまうことだろう。
……だけどぼくはこの日課を誰になんと言われてもサラサラ辞める気は無い。だってまだ、彼女から最後の頼み事にOKを貰えてないから。
『いつきくん~泣 もう少し入院長引きそうだから、柚希のことお願い』
『樹は不器用だから、毎日私に柚希のこと
報告してね!? 一言でもいいからさ、私が退院したら採点するから覚悟しとけ~』
そのセリフに僕が『里奈さん怖いよ笑笑 了解ですd(≧▽≦*)まってるね』と、返事したそれに既読がついたのが最期。
妻の容態はその日のうちに急降下して、あっという間に僕と柚希を置いて居なくなったから。
君には、今日までの数年分と、これからの数十年。まだまだ採点してもらう事が多くなりそうだ。
「採点地獄に覚悟しなきゃ行けないのは君の方かもな」
少し意地悪な笑顔になってるのを自覚しながら、ポチポチと指を動かして、今日もまた既読のつかないメッセージを”ピロン”と送信した。
【今日のぼくは、父親をおやすみです】
──【秋色】──
昨日まで真夏日だったのが嘘かのように、ひんやりとした時間が増えてきた9月下旬。 人間は上着を羽織始め、植物は脱ぎ始めている。
枯葉が踏まれ、シャラシャラ、パキパキと音を鳴らす。その音は左下から聞こえてくる。 6歳の息子、柚希である。
幼稚園の帰り道。 僕の手をキュッと掴んで、わざわざ山盛りにされた葉っぱを堂々と踏みしめて歩いている。
「はっぱさんっ、はっぱさん!」
「楽しいか……?」
大人になってしまったからなのか、正直なところぼくは純粋に楽しめそうになかった。 その下にいったいどれ程の虫の死骸があるのだろうかと考えただけで気が重い。
「おとーもほら!きてきて」
「いや、おとーさんは、その」
「ん~っ」
子ども、というのは時に残酷だ。 歩みを止めたかと思えばそう言って、力の限り僕の片手を両方の手で握りこんで葉っぱの山に踏み込ませようとしてくる。
……仕事帰りの、革靴で飛び込めというのか?君は。今頃、天国にいる妻は僕のことを酷く軽蔑した顔で見てくるのが容易く想像つく。
仕方ないだろう!ぼくは大人になってから云々……じゃない。そもそも、小さい頃から虫みたいな存在が大の苦手だったのだから。
「ねぇ~ぇー!おとーってばぁぁはやくー」
「お、おとーは……にげる!」
逃げるは恥? そんなの承知の上で逃げるに決まっている。 他ことならば精一杯うけとめてあげたいけど、これだけはいくら息子の願い事であっても僕は妥協出来なかった。
車が通らない道である事を知っていたから、そっと手を離して小走りで息子から離れる。すると何がそんなに面白いのか、キャラキャラと笑って追いかけたきた……よりにもよって、いつの間にか手にしていたダンゴムシと共に。
「柚ッッッ……それは置いていきなさい、柚ッッッ」
「へっへへ! おとぉー、まてまて~」
時折横目で息子の様子を伺いながら走り続ける。 程よい距離感を保ちつつ。何だか、そんな攻防が面白いおかしくて思わず「ふっ」と笑ってしまった。
だけどそろそろ先に僕の体力が尽きそうだった事もあり、立ち止まるか、なんて考えて柚希のほうを見ると……。
「ちょっと待って柚希。柚希くん。 それはなんのポーズですか、柚希くん!」
「んーっとねおとーになげる」
「や、、やめ、やめるんだ!柚希くん」
ニッコニコの笑顔の柚希が、まるでプロ投手さながらのポーズでダンゴムシを手にしたまま肩を振り上げているものだから、目をギョッと開いてしまう。 必死にその行動を止めるようにあの手この手で言葉をかける。
だが、子どもは時に残酷である。 その時は訪れた。
僕の中では「ブォンッッッ」と音が響いたのは間違いない。いや、あれは絶対響いた。 そして、やけに時間の進みが遅い。
小さな丸いツヤツヤの弾丸が僕目掛けて放たれた。
””ポトン””
情けない音と共に、それは見事に僕の頬に当てられた。その衝撃に僕は真っ赤な鼻を隠そうともせずにしゃがみ込む。
「ゆ、ゆずくん、やったなぁ」
「えっへ……え、おとー?」
グスングスンっと鼻を鳴らして屈んでいると、楽しそうだった息子の声が段々と小さくなる。 テトテトとゆっくり近付いてくる息子の気配。
「おとー、ほんとのほんとでいやだった?」
「……ん。嫌だ……いやにきまってるぞ!」
「ふわぁっ!?」
「つーかまえった」
「んもぉ~」
息子が僕の頭を小さな手で撫でたのを確認して、ぼくは勢いよく息子を抱っこしたのだ。 高い高いをするように。
「柚くん……嫌なことはあまり追いかけないこと……おとーちょっと泣いちゃった」
「んーっちょっと」
「そう、ちょっと」
ちょっと不貞腐れたような、なんとも言えない表情でオウム返する息子が面白くて、くつくつと喉を鳴らすと、頭をペチペチと叩かれてしまった。
「つぎは、ちゃんとおとーおいかける」
「それは、怖いなぁ」
【僕たち親子の生活に、秋が色を差し込み始めた】
──【もし世界が終わるなら】──
『もし世界が終わるなら、君はどうしたい?』
真夜中の1時。 リビングのソファーに腰を下ろして、音量を極限まで絞ったテレビを見ていた。とくに観たい番組がある訳でもなく、ぼんやりと眺めていた。 その中で突然、耳に残ったのが今のセリフ。
手にしていたお酒のグラスを何度か傾ける。ほろ酔いのいま、グラスの中をカラコロと転がる氷の音がやけに心地よく思えた。
「世界が、終わるならねぇ……」
僕は世界が終わる時、何をしているのだろうか、想像力の乏しい僕には極めて難しい自問だ。
こんなとき、妻が生きていたら、きっとニコニコの笑顔で、「ふふーん!そりゃあこの世の全ての地球を食べ尽くすに決まってるじゃない!」なんて言いそうだ。
自分の答えは分からないのに、大好きだった妻の答えそうな事ばかりスラスラと思い浮かんで口の端が上がってしまう。
「んっ……」
コトリと机にグラスを置いて、ゴソゴソとソファーに横になる。酔いに流されるがまま、寝転がると途端に瞼が重くなる。 それこそ、こんなダラダラとした姿を妻に見られでもしたら、腰に手を当てて「風邪ひくよ、布団に入りなさい」なんて怒られてしまいそうだ。
(怒られたいなぁ……)
なぁ、里奈。ぼく、がんばってるよ。 妻が……里奈が生きていたら僕は暖かな彼女の背中に頭を埋めていると思う。だけど君は居ない。 ぼく、泣かないで頑張ってるんだよ。 ぼくに似て甘えたさんな息子の柚希の手を引っ張って、褒めて、大好きって笑い合う……でもその世界に君はいない。
酔いのせいだと、軽く残った理性で理解はしているのに、気持ちのコントロールは効かない。 転がっていたクッションを抱き寄せて、ギュッとすると同時に目の中が熱くなってポロポロ涙が流れていく。
「ッッッ……ウァッ」
カチッと強く歯を噛み締めて、鼻をクッションに押し付ける。 頭の中もジンと痛くなってきた。手に力もあまり入らなくなっていたが、なんとか残された気力だけで立ち上がった。
気持ちが落ち着いた、とは言えないけどなんとなく寂しくなって、千鳥足になりながら柚希が寝ている部屋に向かう。
ゆっくりとドアノブを捻って中に入ると、息子は敷布団の上で大の字になって、毛布をはじっこに追いやって寝ていた。
床に足をつきながら、毛布を少し雑に広げて、毛布をバサッとかける勢いで僕も一緒に横になる。 ぎゅっと体を柚希に押し当てるように、守るように腕を伸ばした。
「んぅ……おとぉー……ん」
くすぐったそうに身じろいだ姿が愛おしくて仕方がない。息子のふわふわとした頭をすりすりとすると、シャンプーの甘い匂いが広がってくる。
「柚希……柚くんはいいこ、いいこ」
――僕も、もうそろそろ眠気に身を任せることとしようか。 スっとまぶたを閉じたら、あっという間に暗闇に吸い込まれる。
あぁ、そうだ。 最後に自答を返すこととしよう。
”もし、世界が終わるなら”なんてことの無い日常の延長戦で終わらせたい。
だけど、欲を言わせて貰えるのなら。
【家族3人で笑い合っての終止符が望ましい】