──【秋色】──
昨日まで真夏日だったのが嘘かのように、ひんやりとした時間が増えてきた9月下旬。 人間は上着を羽織始め、植物は脱ぎ始めている。
枯葉が踏まれ、シャラシャラ、パキパキと音を鳴らす。その音は左下から聞こえてくる。 6歳の息子、柚希である。
幼稚園の帰り道。 僕の手をキュッと掴んで、わざわざ山盛りにされた葉っぱを堂々と踏みしめて歩いている。
「はっぱさんっ、はっぱさん!」
「楽しいか……?」
大人になってしまったからなのか、正直なところぼくは純粋に楽しめそうになかった。 その下にいったいどれ程の虫の死骸があるのだろうかと考えただけで気が重い。
「おとーもほら!きてきて」
「いや、おとーさんは、その」
「ん~っ」
子ども、というのは時に残酷だ。 歩みを止めたかと思えばそう言って、力の限り僕の片手を両方の手で握りこんで葉っぱの山に踏み込ませようとしてくる。
……仕事帰りの、革靴で飛び込めというのか?君は。今頃、天国にいる妻は僕のことを酷く軽蔑した顔で見てくるのが容易く想像つく。
仕方ないだろう!ぼくは大人になってから云々……じゃない。そもそも、小さい頃から虫みたいな存在が大の苦手だったのだから。
「ねぇ~ぇー!おとーってばぁぁはやくー」
「お、おとーは……にげる!」
逃げるは恥? そんなの承知の上で逃げるに決まっている。 他ことならば精一杯うけとめてあげたいけど、これだけはいくら息子の願い事であっても僕は妥協出来なかった。
車が通らない道である事を知っていたから、そっと手を離して小走りで息子から離れる。すると何がそんなに面白いのか、キャラキャラと笑って追いかけたきた……よりにもよって、いつの間にか手にしていたダンゴムシと共に。
「柚ッッッ……それは置いていきなさい、柚ッッッ」
「へっへへ! おとぉー、まてまて~」
時折横目で息子の様子を伺いながら走り続ける。 程よい距離感を保ちつつ。何だか、そんな攻防が面白いおかしくて思わず「ふっ」と笑ってしまった。
だけどそろそろ先に僕の体力が尽きそうだった事もあり、立ち止まるか、なんて考えて柚希のほうを見ると……。
「ちょっと待って柚希。柚希くん。 それはなんのポーズですか、柚希くん!」
「んーっとねおとーになげる」
「や、、やめ、やめるんだ!柚希くん」
ニッコニコの笑顔の柚希が、まるでプロ投手さながらのポーズでダンゴムシを手にしたまま肩を振り上げているものだから、目をギョッと開いてしまう。 必死にその行動を止めるようにあの手この手で言葉をかける。
だが、子どもは時に残酷である。 その時は訪れた。
僕の中では「ブォンッッッ」と音が響いたのは間違いない。いや、あれは絶対響いた。 そして、やけに時間の進みが遅い。
小さな丸いツヤツヤの弾丸が僕目掛けて放たれた。
””ポトン””
情けない音と共に、それは見事に僕の頬に当てられた。その衝撃に僕は真っ赤な鼻を隠そうともせずにしゃがみ込む。
「ゆ、ゆずくん、やったなぁ」
「えっへ……え、おとー?」
グスングスンっと鼻を鳴らして屈んでいると、楽しそうだった息子の声が段々と小さくなる。 テトテトとゆっくり近付いてくる息子の気配。
「おとー、ほんとのほんとでいやだった?」
「……ん。嫌だ……いやにきまってるぞ!」
「ふわぁっ!?」
「つーかまえった」
「んもぉ~」
息子が僕の頭を小さな手で撫でたのを確認して、ぼくは勢いよく息子を抱っこしたのだ。 高い高いをするように。
「柚くん……嫌なことはあまり追いかけないこと……おとーちょっと泣いちゃった」
「んーっちょっと」
「そう、ちょっと」
ちょっと不貞腐れたような、なんとも言えない表情でオウム返する息子が面白くて、くつくつと喉を鳴らすと、頭をペチペチと叩かれてしまった。
「つぎは、ちゃんとおとーおいかける」
「それは、怖いなぁ」
【僕たち親子の生活に、秋が色を差し込み始めた】
9/19/2025, 12:52:46 PM