あい

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4/13/2023, 12:58:19 PM

足取りが軽い、さっきまで変な感じだった心臓の音も落ち着いた。うそ、落ち着いてない。違うリズムになっただけだ、逆に。でもさっきよりははるかにマシっーか、うん、いい感じ!
今日から、つい数分前から違う関係になった智加が隣を歩いている。緊張してるのか、興奮してるのか、相変わらずわかりにくい。バイトが同じで、俺の少し先輩で、軽薄に見えるけど実は面倒見がいいタイプだって、俺は知ってた。というか俺だけ知ってる!うんうん、こういうのってなんかいい。特別って感じだし、優越感。
こっそり持って帰ろうとした廃棄の弁当を「それ不味いけど」って、別のやつをすすめてくれた時から優しいって思ってた。だって弁当だぜ?別に不味くてもコンビニだからしかたねぇし、なによりタダだ。友達でもない俺にわざわざ教える理由もなくて、めんどうだろ。俺は自分で言うのもアレだけど、人から好かれる人間じゃない、もちろん、見た目のことだ。中身は良い!テレビのかわいそうなニュースで泣いちゃうし、揉めごとがあると仲裁したくなる。捨て猫なんて絶対に許せねぇ!死ね!だけど俺の中身なんて誰も見てないから、悲しいことに嫌われる。
だから智加だと思った。ぜってぇこいつだって。ドキドキしながらアパートを訪ねて、ダサいことに震える指でインターホンを押した。顔を見てちょっと後悔、なんて今まで縁のなかった文字が頭に浮かんだけど、男は度胸だから言った。裏返る俺の声に笑って、秒で「いいよ」って。実を言うと、そんなに簡単に返事すること?って思った。でもありがてぇし嬉しい。それから「車出すね」と、アパートから少し離れたところにあるらしい駐車場まで一緒に歩いている。
街灯の下、ちらりと智加の顔を見る。やっぱりなにを考えてるかわからない。でも嫌な気分じゃないはずだ。それならいいよとは言わないし、付き合ってくれるわけがない。それにわからなくても問題ない。智加は今俺の隣で歩いているし、これから俺の部屋まで来てくれるんだから。
「優希くん、あのさぁ」
羽虫のたかる嘘くさいライトの下で智加が口を開いた。おお、今さらナシってのは困るんだけどな。
「絞殺?撲殺?刺殺?」
「あ?えーっと、風呂場に、裸で」
「溺死殺人か〜。とりあえず早く引きあげないとね」
智加は「袋一枚三円です」って言うみたいにいつも通りだ。
やっぱりこいつに告白してよかった!

4/10/2023, 11:36:53 PM

いっせいに咲くから悪い
群れて咲くから悪い
絡まりあって咲くから悪い
とうぜんの顔で咲くから悪い
うつくしぶって咲くから悪い
貴賎なく咲くから悪い
鬱蒼と咲くから悪い
ひとりでも咲くから悪い
あちらにもこちらにも咲くから悪い
かぐわしく咲くから悪い

咲くから虫がたかり
咲くから枯れ落ちるのだ
お前たちは

4/8/2023, 11:13:03 AM

快晴。
しばらく降り続いた雨のせいで地面はぬかるんでいるが、ボロボロのスニーカーはこれ以上汚れる余白もない。そろそろ新しい靴や衣服が欲しい。俺の彼女は町で一番オシャレで、こんなよれよれのシャツをいつまでも着ていると別れを告げられかねない。コーディネートしてあげると言われ、雄の孔雀みたいにされた日が懐かしい。
ああそうだ、明日か明後日にでも、ショッピングモールに行かなくちゃ。愛想を尽かされる前に。ぬかるみを気にもせずに歩くから、ズボンまで泥で汚れる。俺だって普段は水溜まりや石ころをよけて歩くさ。でもそれができない日もある、そうだろ? びちゃびちゃと酷い音がして、いつの間にか破けていたスニーカーの側面から泥が入り込む。最悪だ。こんなのやっぱり嫌われてしまう。びちゃびちゃ。替えの靴も立ち止まる時間もないので前に進み続ける。びちゃびちゃ。そこらじゅうがぬかるんでいる。
やっと我が家だ。急いで階段をのぼる。小さいアパートの角の部屋を彼女は気に入っている。俺の家なのに、他の住人に勝手にあだ名をつけては、密かに会話のネタにした。ひょろくてノッポの教授は車で出て戻らず、いつでも騒がしいハリケーンはめずらしく沈黙している。ついでに言うと帽子かけとレジスターと汚れたテディベアも帰ってこないままだし、ストロベリーマフィンちゃんの部屋からはすごい匂いがする。馴染みの臭いの中を進み、彼女の待つ部屋に帰ってきた。
「今ごはんあげるから。ダイエットはよくないもんな」
両手に抱えていたものを床に置く。鎖の届かないギリギリの範囲で、俺はそれを見下ろす。彼女はまるで世界一のファッショニスタみたいに、まだらに染まっている。
勢いよく、彼女が肉にかぶりついた。

4/7/2023, 10:50:54 AM

やがて終わるのが嫌なら掬いなさいと、ささやいた声は悪意を孕んでいた気がする。だけどそれでいい。良い。
家の裏手から伸びる道は背の低い木々に挟まれていて、生ぬるい風に尖った葉を揺らす。時おりそれが影の笑い声か、四足の獣の唸り声に聞こえる。ひとりで歩く若い女を脅して遊ぶ質の悪さを纏う。前方から吹く風は、早くこっちへいらっしゃいと誘うしるべのようだ。彼女が好きだと言った、そうしたくて伸ばしているわけではない髪を柔らかくくすぐる。
好きだと、その指で耳にかけてくれたから、ハサミをいれるのをやめた。それなのに、わたしの気持ちを切るという。今さらどうにもならないくらいに伸びて、重くなって、視界をさえぎるこれを、家が決めたことだからと切るという。ひとしきり泣いて罵って、だから今は笑っている。ハミングしながら、両手をぶらつかせながら、調子の狂った下手くそな踊りみたいに、小道をゆく。
両側から木々が消えて、目の前がひらける。砂浜があらわれると、途端に波の音がうるさくなった。本当はもっと前から聞こえていたけれど、わたしの耳は彼女の最後の言葉でみっちり詰まっていた。
どうしても行くと言うのなら。
どうしても切るのなら。いい。
わたしも切ろう。あの囁きの悪意に身を投げて。
沈む太陽を掬った海水は、明晩、彼女の人生を没す。
夕日のように激しいこの髪に、似合の末路だろう。

4/7/2023, 2:47:33 AM

どんよりしている。
降り始めてもおかしくないのに、まだ窓は濡れていない。もしかしたら雨粒が見えていないだけで、手を差し出せば不愉快に湿る可能性もある。わざわざ移動して確かめるつもりもなく、中途半端に開いたカーテンの隙間から空を眺める。
これで今日の外出はキャンセルだ。頭が痛いとか、服が汚れるだとか、本当は気分が乗らないだけのことを、今にもぐずぐずと言い出すだろう。淹れて数分経ったコーヒーが冷めていくのは、すぐれない天気のせいか。
ベッドのすぐそばにある窓、いや、窓のすぐそばにあるベッド、だ。家具の配置は家主が決めるもので、狭い寝具が外気を感じやすい場所にあるのには意図がある。どうせ空気や風景や季節を憂うための、自慰行為に似た理由でしかないだろうが、とにかくそこに座って煙草を吸っている男。その言葉をただ待つ。
キッチンの換気扇を回すのはいつも人任せ。自分の部屋ではないので気にする必要もない。けれど火が点くと立ち上がってしまう。換気扇を回して、キッチンに留まる理由を探す。自分だって煙草を吸うのに、一緒に並んで吸いたいとは一度だって思わなかった。だからコーヒーを淹れて、黒とは感じられない黒を喉に這わせる。
「今日やっぱやめよ」
ほら、言った。持ち上がりそうな口角を抑えて、そうか、と返す。できるだけ不満気に、感傷めいて。
男は灰皿に二本目の煙草を押しつけてこちらを見た。
どんよりしている。

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