子どもの時読んだ何かの昔話で、喉の渇きを癒すために梨を食べるというくだりがあった。梨は、確かに水分が多いけれど、飲み物ほどではない。果物の味と甘みがあるし、かえって喉が渇かないかななんて思っていた。
スーパーで少し安くなっていたので、梨を買った。なんだか味がぼんやりしている。ほとんど甘くもない。でも、口の中いっぱいに果汁が広がってくる。ほぼほぼ水分だ。ああ、これなら水分補給になりそうだ。もしかしたら昔の梨は、もっと素朴で、そんなに甘くなくてひたすらジューシーだったのかもしれない。
季節のものは、きっと身体にもいいのだろう。その瑞々しさが、隅々まですーっと染み渡る気がする。たくさん食べたいのだけど、果物の値段が高めなのが、ちょっと残念だ。
「梨」
もうこれ以上は、どうにもならないだろう。ねじれたものは、もとに戻らない。
リセットしよう。新しい世界へ行こう。わかりやすい悲しさや、寂しさなんて、もうずいぶん前のものだ。ねじれたまま、それが当たり前のように進んできた。今はむしろ、お互いそんな状態がよかったのだろうという気さえしてくる。
後悔はない。ああするのが、お互いのベストだった。すべてにありがとう。もう次へ進もう。鼻歌を歌うように軽く通りぬける。
さあ、さようなら。
「La La La GoodBye」
いつのまにか、すっかりねじれてしまった。お互いがんこだから、そのまま突き進んでしまう。なかなか折り合ったりしない。でも何かの拍子に、ふっとねじれが解けることがある。うわっと気持ちがかみ合った気がして、もう最強かなというくらい盛り上がる。
このままうまく流れていくと思っていたら、なんだかまた少しずつねじれていく。ぐるんぐるんとねじれて、もっとややこしくなってくる。ちょっと素直になる機会さえ、もうよく分からない。そんなことが繰り返されていく。
くるくる、くるくる、どこまでも。
「どこまでも」
あの交差点を渡れば、家へと続く道だ。二人で歩く時は、なんてことのない交差点だったけれど、今日はとてもつもなく大きな場所に見える。車が結構なスピードで通りすぎた。その勢いにおされながら少し後ずさりする。
「じゃあね」と帰っていった人は、もうこの交差点を渡ってこないだろう。違う方向へ進んでいくのだ。もしかすると、その先にはまた知らない交差点があって、違う道から来てもまた出会えるかもなんて思ってしまう。
信号が青に変わった。たくさんの車がずらっと控えている。顔をあげて、いつもよりしっかりと地面を蹴って歩いた。
「未知の交差点」
前を早足で歩く人が、コスモスの花束を抱えていた。広告紙で無造作に包んだそれを、少し持て余したように持ち替えている。あっ。下に向けた時、はらっと一輪落ちた。
「あの、花が落ちましたよ」。「あっ、すみません。良かったらそれ、もらってください」。せわしなく振り返って申し訳なさそうに、その人は小走りで行ってしまった。
家に帰って、ガラスのコップにコスモスをいける。真ん中の黄色は鮮やかで、ピンク色の花びらは、とてもみずみずしく見える。秋の気配が一気に流れ込んだ気がした。
「一輪のコスモス」