「親友」の定義がよく分からない。
そもそも私自身が、価値観が似ている人や、生き方を好ましく感じる人としか付き合わない。
その中でこの人は「普通のお友達」で、この人は「親友」という枠付けを作るのがよく分からない。友達は皆好きだからだ。嫌いな友達なんていない。
「特によく遊ぶお友達」という分け方をするなら、そりゃ、君みたいによく会う友達はいるけれど、そんなふうに友達を区別するのは付き合ってくれる人全員に失礼ではないだろうか。
そんな話を、学校の放課後、某ハンバーガーのファストフード店でポテトをつまみながら君が話した。君のくだらない疑問を私は本当に心底くだらないという顔をして聞いていた。
本当になんて中身のない話だろう。
君が博愛主義者なのは、嫌になるくらいよく知っている。
でも私は君のこと、わりと親友だと思っていたけれど。
やっぱり本当に、くだらない。
お題/友達
「行かないで」と言われて初めて、思っていたよりもこの人の中の自分の存在は大きかったんだなと気づいた。
好きだった人だった。大切にしたいと想った人だった。でも時間と共に、いつしか生き方や価値観が少しずつ変わっていって、お互いの方向性が交わらなくなっていった。その時にはもう私は「この人が人生の唯一ではないんだ」と呆気なく腑に落ちていて、同時に「私もこの人の人生の唯一にはなれないんだ」とどこか悲しかった。
むしろ、置いていかれたのは私の方だと思っていた。
だから初めて「行かないで」と言われた時、なんだか腹立たしくさえ感じた。好き勝手楽しそうにしてたのはあなたの方なのに、どうして私のせいみたいに言うんだろう。
その言葉は、まるで呪いのようだった。
お題/行かないで
友人が雨女だった。
私は雨女雨男といったものには懐疑的だったけど、彼女は自分自身のことをいつも「雨女」だと呼んでいた。
雨女という妖怪が昔存在していたと言われている。そのことから、その行動によって雨をもたらしているかのように思える人を「雨女」と呼ぶ。
水神様に好かれてるから縁起が良いだとか、悪いだとか色々真偽は定かではない。
そもそも私はそういったオカルト話を信じていなかった。だから、友人が雨の日になるとことあるごとく「私のせいで」「私が雨女だから」と言うのが堪らなく嫌だった。
天気予報なんてしょっちゅう変わるし、地球から見た日本の天気なんて本当にちっぽけなことなのに、まるで我が世の終わりかのように話す友人の傲慢さが嫌だった。
そんなもので天気はどうこうなるものではない。
しかし、学生時代から数十年、長らく音信途絶えていた友人の訃報が届いた。水難事故だったらしい。
葬式に出た。
もう長いこと会っていなかったが、雨女だった友人の鬱々とした嫌みたらしさは、常に私の学生時代の記憶と共にあった。連絡も寄越さない。いけ好かない性格だったが、それでも悪友だった。
その日は晴れていた。天照に見放されたとよく嘆いていた友人に似つかわしくないほど、どこまでも続く青い空だった。
お題/どこまでも続く青い空
「よろしければ来月入荷の商品をご覧ください」
好きな洋服屋さん、靴の試着をしたくて久しぶりに店頭で買い物をした。その会計中に、お店のお姉さんがカタログを引っ張り出して私に見せてきた。
最近はめっきり通販を利用するようになったけれど、通販だと写真で見たものよりも印象が違ったり、サイズが合わないことが多々おきる。靴の場合はなおさら、失敗したらひとたまりもない。そうなった時の返品交換も正直面倒くさい。
好きなブランドの靴が欲しくて、後々通販で嫌な思いをするかもしれないことを想像して、本当に重い腰をあげて外へ出た。
夏の盛りの頃よりも暑さは和らぎ、カーディガンでもあれば良かったと、後になって季節の変化に気がついた。
店に着いて、お姉さんに欲しい靴を伝えて、在庫からわざわざ出してきてもらった靴は、私好みで、足のサイズはぴったりだった。履き心地もゆったりしていてキツさもない。これにしよう。
会計をお願いしている間、渡されたカタログを何となしに眺める。「これからどんどん秋冬物がでますよ」とお姉さんはどことなく嬉しそうに話している。
コート、ニット、ブーツ、ワンピース。
どれもこれも今見るとなんだか暑そうに見えるけれど、あと1ヶ月もしないうちに、そのぬくもりが恋しくなるのだろう。
お姉さんとしばらくの間、こっちが可愛い、あっちも可愛いと指差してカタログを見せあった。
誰かと雑誌やカタログを共有してはしゃぐなんて、学生ぶりだった。最近は随分と通販に慣らされて、自分が欲しいものしか目に入らないし、誰かと好きなものを共有することもなくなった。衣替えだって面倒くさいからまぁいいかとサボりがちだ。
でも、久しぶりに衣替えをしてみよう。
家に仕舞われてしまった、かつて自分が「可愛い」と思い、キラキラと輝いて見えた宝物が、まだそこにあるはずだから。
お題/衣替え
人魚姫は自分の美しい声と引き換えに、人間の足を手に入れた。
子供の読み聞かせで有名な童話だが、私は全く歯牙にもかけず、虎がバターになる話とか、ネズミがパンケーキを作る話だとか、そういう絵本が好きな子供だった。根っからの花より団子だったのだ。
お姫様が王子様と結ばれる話を読んでもつまらなかったし、その逆に、お姫様が悲恋になってしまう話を読んでも特に感動もおきなかった。
母親からしてみれば、折角生まれた女の子なのに、可愛がり甲斐がなかっただろう。
けれど、人魚姫の話は何故かよく覚えている。そんなに繰り返し読んだこともないのに。
せいぜい一、二回くらいしかページを繰っていないだろう。それでも人魚姫の結末が今も私の心に残っている。
好きな人に会いたくて人間になった人魚姫。
好きな男のために自分の命を泡にした乙女。
なんだか人魚姫ばかり損をしているようにも思えるが、見方を変えれば、このお転婆な人魚姫は、姉の忠告も無視して好きに生きただけなようにも思える。自分の気持ちに正直に、ただ、自分の恋に生きて死んだその生き様には、なんとなく心惹かれるものがある。
でもきっとそんな人魚姫だからこそ、死ぬ前に何か男に伝えたいことがあったのではないか。
恨みつらみでも、最後の愛の言葉でも、さようならの挨拶でも、何か、自分の人生を無意識に翻弄させた罪深い男に一言言ってやらねば気が済まぬのではなかったのか。
最後にして最大な想いの丈を、声にもならぬ声を、どんなふうに男に投げかけたのだろうかと想像する。
それこそ、声が枯れるまで。
お題/声が枯れるまで