「お、おわ…おわっ…た……!」
「…おつかれさん。」
ついに、ついにやったぞ…。読破した…!
ものすごい達成感だ。そして、
「つかれた…。とにかくつかれた…。」
「だろうな。分厚い、しかも文字が小さい。漫画すらまともに読めないお前には無理だと思っていた。」
そう。昔から本は苦手だ。活字は目が滑る。漫画は頭が疲れる。でも今回は違う。
「愛の力だ。愛が奇跡を呼んだのさ…。」
「大げさだ。」
「俺にとっては奇跡なんだ。」
「…感想も用意しておけ。」
「…だよなあ。」
正直今は疲れた、以外の感想が出てこない。でも、いつのまにかこの本は俺の日常に溶けこんでいた。
ふとこの本の登場人物のことが頭をよぎったり主人公たちが見た景色を想像したり。そう、だから。
「この本を返すときには今よりましな感想を伝えられると思う。彼女がいちばん好きな本だ。俺もいちばん好きになったよ。」
「…そうか。そりゃ、まあ、よかったな。」
そう言って俺の目の前の友人は手元の本に視線を戻した。でかい体を小さくして真剣に読んでいるその本にはたくさんの動物たちのぬいぐるみの作り方が載っている。見覚えのある本だ。こいつの去年の誕生日に買ってやったやつだ。以外に高かったことを思い出した。
「それがお前の好きな本?」
「…そうだな。2番目に好きな本だ。」
「なんだよ。1番じゃないのか。」
「うちにある大量の手芸本の中で2番は名誉なことだ。」
こいつの優しい笑顔は昔から変わらない。この笑顔に免じて2番でもまあ許してやるか。
「1番はどんだけすごいんだ。」
「俺が初めて自分で買った本だ。マスコットの作り方が載っている。」
「そっか。そりゃかなわないな。」
「ああ。あの本があったから今の俺がいる。宝物だ。」
そういえば彼女はあの本を古い友だちのようなものと言っていた。本って不思議な存在だな。
「いいな。2人がうらやましい。」
「…お前、あのゲームの攻略本のことを以前話していただろ。あれだって立派な本だ。」
あ、そうか。そういえばそんなものがあった。
「実はいま彼女にゲームと一緒に本も貸しているんだ。忘れていたよ。」
「ん?俺に貸してくれるんじゃなかったのか。」
「え、あ…ごめん。それも忘れていた…ごめん。」
「…その本はちゃんと返せよ。」
「…はい。」
好きな本
「一雨来るかな。」
私達の上には真っ黒な雲が空を埋め尽くしている。
西の方はオレンジ色に染まってはいるが雨のにおいがほのかにしている。降りそうだ。
「予報ではくもりだがどうかな。」
「ふうん。」
彼ががしがしと面倒くさそうに頭を掻いた。くせっ毛が寝癖で更にすごいことになっているが妙に様になっている。小憎たらしい。
「シャワー入るか迷う。」
「とりあえず入って来たまえ。人と会うんだろ。」
「はあ…行きたくない。このまま寝たいよ。」
「…そうもいかないだろ。」
私だって行ってほしくない。このままここにいてほしい。まだ君を私だけのものには出来ないのか。
「なに?」
「何もないさ。」
「…雨が降ったら行くのやめる。」
「おいおい。」
「じゃあ行ってくるね。シャワー借りるよ。」
バタンとドアの閉まる音がやけに大きく響いた。
家の中も外も静かだ。
雨はまだ降らない。
あいまいな空
「ここ、毎年あじさいがきれいに咲くんだ。」
ほんとだ。このへんはあまり散歩に来ないから気付かなかった。色も形も絵のようにきれいだ。
「くっきり色付いてきれい。今まで淡い色のものしか見たことなかった。」
「うん、俺も。こんなにきれいなものは他で見たことないよ。」
蒸し暑いのは苦手だけど雨とあじさいは好きだ。あと、
「かたつむり。ちょっと気持ち悪いけど。」
「…う、うん。ちょっと…ね。ちょっと…。」
「あ、ごめん。虫とかだめだったね…。」
「いや!ぜんぜん!だいじょぶ!ぜーんぜん!」
無理しないで。いいんだよ。男のくせにとか関係ないよ。
「あ!そうそう、白いあじさいって見たことある?」
「え…うーん…。ない、かも。」
青、ピンク、むらさき、うすい緑…?あれが白?うん?わからない…。
「そっか。今度探してくるよ。真っ白なあじさい。うちに飾ろうよ。切り花ならかたつむりもいないし。」
「うん。見てみたい。」
「そういえばあじさいの花言葉ってなんだろ。」
「ええと、たしか移り気とか浮気…。」
「やっぱやめよう!」
「ただの花言葉…。」
「それでも!」
「うーん…。」
真っ白なあじさい。うちに来てほしかった。
6月にぴったりの花と色だったから。
「花言葉なんてたくさんある。あじさいも仲良し、とか家族団らんの意味だってあるぞ。」
「そっか!よかったー…じゃあそれください!」
「少し静かにしてくれ…。」
先に家で待つ君へのプレゼント。君とまた少し仲良しになれるきっかけになるだろうか。
「…あ、この小さいぬいぐるみ…馬?きりん?」
「ああ、そいつは…」
「ふふ、うさぎですよ。自信作です。」
「?!」
あじさい
イチゴは好きだけどイチゴ味は嫌い。
メロンもバナナも。
「じゃあかき氷食べられないじゃん。」
「ブルーハワイ。」
「えー。あれって何味なの?」
「ブルーハワイ味。」
「えー…。」
「お前もレーズン好きなくせにぶどうは嫌いだろ。」
「まあ、そうだけど。」
「はは、そういう風に出来ているんだろう。人間の体は不思議だな。」
そう、不思議だな。
この子と話している君は好きだ。しかし他の女性と話している君は嫌いなんだ。
「妬いてるの?かわいいね。」
「妬いてなどいないさ。君は私のものなんだろ。」
「そうだよ。だから妬いてんでしょ。安心して。あんな女好きになるわけない。」
「わかっている。だが。」
「うん。」
「みんなに優しい君が好きだ。でも今は嫌いだ。」
「そう。じゃあまた好きになってもらうよ。いい?」
「…やってみせろ。」
好き嫌い
「よ、繁盛してる?」
「…そう見えるか?」
にぎやかな奴が来た。まあいい。今日はひとりで正直暇だったんだ。
「見える見える。今度おごってくれよ。」
「そこのカフェのコーヒーくらいなら。」
「え、この辺にカフェなんて出来たんだ。うまいの?」
「うまいぞ。ミルクたっぷりで甘い。」
最近できた店だ。若い女性がひとりで切り盛りしている。コーヒーもスコーンも甘くてうまかった。
「お前が言うならうまいんだろうな。なあ俺の彼女の分も頼むよ。」
「じゃあ何か買って行け。」
「わかったよ。うーん…そうだなあ。」
律儀な奴。昔から変わらない。いい奴なんだ。
こいつがいたから俺はこの街を好きになった。
いい奴が住んでいるからきっといい街なんだろうとなんの根拠もないがそう思った。
「よし。このピンクの花とこれと…あとこれも…。」
「結構新しい店が増えているんだな。」
日が落ち始めた外を眺めながらひとりごとのように花束を作っている俺に話しかけてきた。
「ああ。いつのまにか無くなっていつの間にか出来ている。この街はどんどん変わっていく。」
「そうだな、俺が子どもの時とは随分変わったかもな。」
俺と違ってこいつはこの街を出たことが無いらしい。見慣れた街が変わってしまうのはやはりさみしいようだ。
「この街が好きか。」
「うん。好きだよ。この街もこの街に住む人もみんな好きだ。…彼女が、お前が、この街に来てくれて良かった。」
この顔は変わらない。昔からこいつは何も変わらない。それがとてつもなく安心する。
「…俺もそうだ。ここに来て良かった。」
「彼女も同じこと言ってた。良い街なんだな。ここは。俺が居るからかな?なんてな。」
「なんだそりゃ。ほら、用意出来たぞ。」
「かわいい。さすがだ。ありがとう。はい。おつりはいらないから。」
「…丁度だ。釣りなんかない。」
「はは、その通り。」
じゃあまたな。
親愛なる俺の友人。
大好きなこの街でまた会おう。
口では言わないけれど
いつもいつも心の中で
そう願っている。
街