日夜子

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11/12/2023, 4:52:01 AM

 『奇跡の生還を果たした大学生!』として、僕は一年ほど前に有名になった。
 車道に飛び出した子供を助け車に轢かれた僕だったが、約一ヶ月の昏睡状態ののち奇跡的に意識が戻った。

 昏睡状態の最中、僕は天使に先導されて天国の門をくぐった。比喩じゃなくて本当の話。証拠だってある。
 門をくぐると僕の背中に真っ白で綺麗な翼が生えた。善いことをして死んだ僕には、転生するほかに天使として就職する道があるらしい。そんな説明を受けた直後に、何だか偉い役職についていそうな天使が揉み手をしながらやってきた。
「すみませ〜ん、手違いで貴方を天国に連れてきてしまいました」
「ええっ! 僕、地獄行きですか!?」
「いえ、貴方はまだ現世で生きられるんですよ〜」
「そういうことですか」
「お詫びといっては何ですが、貴方の背中に生えた翼、プレゼントしますけどいかがしますぅ?」
「貰えるんですか?」
「はい、ただ現世では飛べませんけどね」
「じゃあ何に使うんですか?」
「ちょっと動く飾りですね」
「飾り……、まあ貰えるんなら貰っときます」
 『取り敢えず試供品は貰っとこう』をモットーとする母親の影響もあって、翼は貰っておくことにした。

 『タダより邪魔なものはない』という父親のモットーを採用すれば良かったと後悔したのは、現世に還ってすぐのこと。
 まず着られる服がない。何でも売っている大手通販サイトでも取扱いがない。仕方なしに母親の手作りのクソダサい服を着ている。
 仰向けに寝られない。ごりっと背中に当たると寝心地が悪いのだ。仕方なしに大抵うつ伏せに寝ている。
 それから結構絡まれる。「おい、とんでみろよ」なんて、ひと昔前のカツアゲの台詞みたいなことをよく言われる。飛べないんです、と説明したり、仕方なしにジャンプしてみたりするが、相手は「飛べねぇのかよ」と蔑むような目で見てくる。腹立たしいことこの上ない。

 まあ大抵のことにも一年ほどすれば慣れた。
 そんな秋のこと、夕日に照らされた川岸を歩いていた。オレンジの光を受け、てらてらと揺れる川面は目に痛いほど眩しい。こうした綺麗なものを見ると意味もなく胸が詰まる。ああ、生きて還ってこられて良かったなぁとしみじみ思った。しんみりとした思考を破るように大声が聞こえた。

「誰か! 誰か助けて!」
 子供が溺れていた。川辺で母親らしき女性が助けを求めている。母親の声を聞きつけて僕の他にも数人が集まってきていた。
 皆が一斉に僕を見た。僕の翼を見た。
「いや、飛べないんです」
「助けて!」
「ですから、」
「あんた助けろよ」
「あの、」
「薄情者!」
 母親も野次馬も僕に詰め寄った。その間にも子供は流されていく。
「もぉ!!」
 泳げないんだよ、僕は。翼のせいで始めは浮くけど、そのうち翼が水を含んで重たくなって沈む。流されていく子供の近くまで行って手頃な枝を伸ばすが届かない。
「くそっ」
 その時の僕は何を思ったんだか、背中へ手を伸ばし片翼を引きちぎった。思ったより痛くない。その翼を子供へ向かって伸ばす。子供が先端を掴んだ。ぐいっと翼を引き寄せていく。
「あぁっ!!」
 僕の掴んでいたところの羽根が束で抜け、翼は僕の手からすっぽ抜けた。子供は翼とともに下流へと流される。結局僕は川へ入った。必死で子供へ向かって泳ぎ、そして……子供と一緒に流されていった────



 僕は再び奇跡の生還を果たした。
 今の僕の背中にも翼が生えている。天使の翼とは違って黒く、羽根がなくてツルリとしている。
「子供を助けるという罪深い善行を行ったが、天使の翼を引きちぎり川に流すという大変胸のすく行いをした」
 とのことで地獄へ行き、悪魔の翼をもらったのだ。そのあと手違いが発覚し、現世へ戻された。転生ものが流行っているせいか、天使も悪魔も後継者不足でオーバーワーク気味らしい。同情しなくもないがしっかりして欲しいものだ。

 何で翼を断らなかったんだ? って色んな人から訊かれた。飛べないし、邪魔だし、断ろうと僕だって思ったよ。悪魔の翼じゃ少しイメージ悪いしね。
 でも飛べない翼ってなんだろうって考えたんだ。それで常にやる気のない脳みそを働かせてみて、──瞬間的な勇気、みたいなものだったのかなと思った。普段自分の中に眠っていていざという時に発現するもの。
 それはきっと誰もが持っているものだろう。リアルな翼じゃなくてもね。
 子供が溺れていたとき、もし僕がいなければ野次馬たちはどうしていたかな。
 きっとある人は飛び込み、ある人は浮くものを投げ、ある人は救助を呼んだだろう。その人なりの勇気で何か行動を起こしていたはずだ。
 自己犠牲を勇気だなんて言うつもりはないよ。僕だって好きで死にかけた訳じゃない。でもこの翼は僕が何かしらの行動を起こした証だから、貰っておくことにしたんだ。
 
 そんな返答をしたらみんなよく分からなそうな表情をしていた。うん、僕も何となくしか分からない。
 ともかく翼を使おうとするのか、どんな使い方をするのかは本人次第なのだということ。

 僕は今日も母親の作ったクソダサい服を着て、寝違えた首をさすって歩く。ピコピコ動く翼を指さされても気にしない。
 だけど……これ以上僕の近くで子供が危ない目にあったりしませんように、とかなり本気で祈っている。


 
 #10 2023/11/12 『飛べない翼』

11/11/2023, 3:25:57 AM

 おばあちゃんが言ってた。
「ススキが原のススキは取ってはだめだよ」
「どうして?」
「あれは神様のものだからね。私たちが取ったらいけないの」
「……ふーん。あんなに沢山あるのに神様ってケチなんだね」

 田舎に住むおばあちゃんちの近くでは秋になるとススキ祭りがある。小学生の頃は毎年お母さんと二人、祭りのために里帰りをしていた。
 ススキ祭りというだけあって、祭り会場周辺には沢山のススキが生えている。とりわけススキが原と呼ばれる一帯のススキは、大振りで立派なものだった。

 ある年の祭りの夜、どういう訳だかぼくはひとりでススキが原の近くの外灯の下に立っていた。お母さんが忘れ物をちょっと取りに帰る間だけそこで待たされたとか、そんなことだったろうとは思う。
 外灯の少ない田舎道、僅かな灯りに群がる羽虫たちの近くに居るのは気持ちが悪い。ぼくは灯りの輪から外に出て、さわさわと揺れるススキが原に近づいていた。少し欠けた月がやけに大きく見える。柔らかな月光に照らされてそよぐ黄金色のススキは、確かに神様のものなのだと、そう思わせるような光景だった。

 ぼくはススキに手を伸ばした。ほんの好奇心。ぷちっと一本引っこ抜いた。

 ゴォッと唸るような音とともに、体が吹っ飛ぶ勢いで突風が吹いた。咄嗟に目を閉じて足を踏ん張る。
「えっ!?」
 目を開ければ周囲をススキに囲まれている。さっきはススキが原の縁に居たはずなのに。
「えっ、えっ??」
 取り囲むススキの高さはぼくの背を通り越している。ぼくは少し小高くなったところへ登って、ススキより上に顔を出した。右を見ても左を見ても、振り返ってみたってススキ、ススキ、ススキ。どちらへ向かえばさっきの場所に戻れるのか分からない。
 
 再び強い風が吹いた。
 風上へ目を向けるとススキを左右に割り開くようにしながら道ができはじめる。その道はザザザザ……と忙しない音を立てて段々とぼくのほうへ伸びてくる。目に見えない何かがススキを踏み倒しながら、ぼくに向かってきているかのように。
 ぼくはぴょんと飛び降り、迫ってくる『何か』とは反対方向へ駆けた。
「はぁ、はぁっ、はぁ……」
 目の前を塞ぐ、終わりのないススキの波を掻き分けながら進む。よく見えない地面もデコボコしていて足がもつれる。もう心臓は破れそうに痛い。学校の持久走だってこんなになるまで走ったことなんてない。
「うわっ!」
 足が滑って顔からすっ転んでしまった。
「ってぇ……」
 一度座り込んでしまえば立ち上がれそうにない。顎も痛いし、膝だって……。膝にすり傷ができていた。すり傷の泥を押し避けて血が滲みはじめるのと同時に、ぼくの目にも涙が滲んでしまう。
「う、うぅ、うわーーん!!」
 ぼくは大声で泣いて泣いて、多分「お母さーん!」「おばあちゃーん!」とか叫んでいたと思う。
 その後のことはよく覚えてないけど、気づけばおばあちゃんちの布団の上だった。高い熱を出して寝込んでしまったのだ。

「ススキがね、ススキが……きのう」
 この恐ろしさをお母さんに伝えようとしたけど、上手く言葉にできない。
「お祭り行けなくて残念だったね。高熱で悪夢を見たのね」
 お母さんは落ち着かせるようにぼくの頭を撫でて言った。でも本当にそうかな。あの時感じたゾワゾワと何かが迫ってくる恐怖は、夢とはとても思えない。……すり傷だって残っていたしね。

 
 大人になった今でもススキを見かけると足が竦む。嫌な汗が吹き出て、息苦しくなるのだ。これもある意味、ススキアレルギーと言えるのかも? 抗アレルギー剤なんて効くわけもない。息を深く吸って吐いて、心を落ち着けるしかない。
 だからぼくは遠回りしてでも、できるだけススキのない道を選んで歩いている。


 #9 2023/11/10『ススキ』

11/10/2023, 1:30:50 AM

「おーい、飲んでるかぁ?」
「まあ……」
 酒はそんなに好きじゃない。だけど酒でも飲まなきゃやってられない、というときは確かにあるのだ。そして今日は酒は飲んでも飲まれるな、というときでもある。
 だもんでチビっとずつ泡の消えたビールを飲んでいたところを、向かいに座っていたコイツが隣へ来て僕に絡み始めた。
 半年程かかりっきりだったプロジェクトが一段落し、部内全員での打ち上げが行われていた。大抵の飲み会はスルーする僕でも、さすがに出席しないわけにはいかなかった。

 高校時代から天敵のコイツ。まさか中途採用で同じ会社に入社してくるなんて、腐れ縁もいいところだ。
 このクソ野郎は昔から声がデカくて態度もデカい。僕と違って友達も多い、所謂陽キャ。それだけでも目障りなのに、コイツはことあるごとに僕にウザ絡みしてくるのだ。
 そして……僕の大切なものを踏みにじり、大切な彼女を馬鹿にした。
 会社で再会してからもそれは変わらなかった。もう限界だ。プロジェクトも一段落つき、僕の責任分は果たした。今ならコイツを殴って会社を辞めることになっても、取引先への迷惑もそんなにかからないだろう。だから僕は密かに決意していた。今日の飲み会でコイツが彼女を馬鹿にしたら、そのときはコイツを思いっきりぶん殴ってやる。

 脳裏に彼女の心配そうな顔がよぎる。
 決意が鈍らないよう、僕は頭を振った。

「……よぉ、お前さ、まだあの子のこと好きなの?」
 きたっ! ……彼女の話題だ。大抵このあとは、正気かよ? どこがいいんだよ? 気持ちわり〜などと続く。僕は拳を握りしめて続きを待った。
「ゆったん、だっけ?」
 こんな奴にあだ名で呼ばれたくない。
「ユリウスだ」
「俺、お前に謝んねーとな……」
「は……?」
 握られた拳は行き場をなくし、膝の上にぽとんと落ちた。
「ずっと言えなかったんだけど、お前が羨ましかったんだ。……お前の好きな人は生きてるから」
「え……」
 鞄をゴソゴソ探ると、クソ野郎は僕に取り出したものを見せた。
「……! ら、ライナさんのアクスタ!!」
「俺が昔からずっと好きな人」
 そう言って寂しそうに笑った。

 僕が子供のころに流行った美少女たちが変身して戦うアニメ。その主人公のユリウス、僕はずっと彼女一筋だ。そのユリウスたちの敵役のボスであるライナは、最終回でユリウスたちに殺されてしまったのだ。

「……ごめん、僕は君の気持も知らずに浮かれていて」
「いや、世間から見たらライナは悪さ、滅びるのも仕方ない。そうは思ってもやっぱりユリウスが憎いって気持ちも捨てきれなくて。お前に八つ当たりして悪かったよ」
「そうだったんだね」
「今度放送から十五年ってことで特別番組が放送されるそうじゃないか。もう十五年か、随分時が経ったんだな。俺も大人にならないとと思って」
「……今日はライナさんの命日だね」
「覚えていてくれたのか?」
「当たり前だよ。忘れるわけない」
「お前いいやつだな」
 クソ野郎はグズっと鼻を鳴らした。
 僕はビールジョッキを持つ。
「ライナさんに」
「……ライナに」
 ジョッキをチンと打ち合わせた。

「ねぇ、何かこの二人怖い」
「訳わかんないこと言って、泣きながらビール飲んでるんですけど……」

 同僚たちが遠巻きに自分たちを眺めるのも構わず、ずっと大嫌いだったコイツと肩を組んでビールを飲んだ。



 #8 2023/11/10 『脳裏』

11/8/2023, 11:43:49 AM

 日に焼けた彼女の素足が、太陽光に焼けた砂浜を沈ませる。点々と波打ち際に続いた足跡も、夕暮れと共に波にさらわれ消えていった。

 彼女は太い木の枝を持ち、砂浜に大きく文字を書く。丁寧に一文字書き、二文字三文字と書き、距離を置いてバランスを見る。真剣な表情だ。
「どうかな?」
「うーん、そこだとすぐに消えてしまうよ」
「それもそうね」
 彼女は足で文字を消して、もっと海から遠いところへ書き直した。僕の助言はその通りで、三十分もしたら彼女が最初に文字を書いた辺りは海になっていた。

「何度見ても夕陽は綺麗ね」
「君も何度見ても綺麗だよ」
「毎日言ってて飽きない?」
「飽きないね」
 僕は彼女の肩を抱き寄せて、彼女は僕の肩にもたれて沖を眺めた。

「いつになったら救助はくるのかしら」
「さあね、一分後かもしれないし、一年後かもしれない」
「書いたSOSは空から見えるかしら」
「救助ヘリからは見えなくても、宇宙人が見つけてくれるかも」
「あなたって変なことばかり言うよね」
「飽きないだろ?」
「飽きないわね」
 彼女はため息混じりに笑った。

 とりあえず笑えている。水も食料もある。身体も動く。
 今のところは大丈夫。

 僕たち二人はヨットで航海中に遭難した。

 ──と彼女は思っている。激しく世界が揺らいだあの瞬間、彼女はヨットのへりに頭をぶつけて気絶してしまったから。
 僕は世界が海に呑まれて行くのを見た。
 遠くに見えていた船が転覆し、ビルや道路が崩れ落ちた。僕たちのヨットも流され、どういう幸運か、それとも不運か、この小さな島に流れ着いた。
 その時以来、僕たち以外の人間も、船も、飛行機も何も目にしていない。きっと世界は終わってしまったのだ。僕たち二人だけを残して。

 彼女は毎日SOSを書き直す。
 それが無意味なこととも知らずに。僕たちは果物や魚で命を繋ぐ。一秒を一日を生き長らえることに意味があるのかなんて分からないけど、彼女が笑っている限りは続けてみようと思う。




 #7 2023/11/8 『意味がないこと』

11/7/2023, 11:52:27 AM

 嫌い、あなたが嫌い。

 小さい頃から隣の家で、いつも一緒に登下校。クラスも部活も一緒のあなた。
 あなたはわたしよりも少し可愛くて、わたしよりだいぶ背が高い。わたしよりも頭がよくて、わたしが弾けないピアノが弾ける。部活は一緒にレギュラーだけど、わたしより上位に入賞する。
 
 わたしだってそんなに悪くはないんだよ?あなたと違うクラスの時はクラス委員に選ばれるもの。
 だけどね、あなたといると惨めになる。何をやってもあなたには勝てない。誰かが言っていた。あなたはわたしの上位互換だって。上手いこと言うなって可笑しくなっちゃった。
 可笑しくて可笑しくて、思い出すたびに涙が出るほど笑ってしまう。涙が止まらなくて、布団の中で声を殺して泣いてしまう。

 だけどあなたはいつも眩しい笑顔を向けてくれる。真っ直ぐにわたしを好きだって、親友だって言ってくれるね。
 こんなにあなたへの嫉妬でぐるぐると醜い心の中も知らずに。

 高校は遠くへ行って寮に入るんだ。
 あなたとは滅多に会うこともないでしょう。弱いわたしはあなたから離れることでしか、笑うことができそうにないの。

 今までそばにいてくれてありがとう。
 親友でいてくれてありがとう。
 大嫌いで、大好きで、大切なあなた。




 #6 2023/11/7 『あなたとわたし』

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