日夜子

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 『奇跡の生還を果たした大学生!』として、僕は一年ほど前に有名になった。
 車道に飛び出した子供を助け車に轢かれた僕だったが、約一ヶ月の昏睡状態ののち奇跡的に意識が戻った。

 昏睡状態の最中、僕は天使に先導されて天国の門をくぐった。比喩じゃなくて本当の話。証拠だってある。
 門をくぐると僕の背中に真っ白で綺麗な翼が生えた。善いことをして死んだ僕には、転生するほかに天使として就職する道があるらしい。そんな説明を受けた直後に、何だか偉い役職についていそうな天使が揉み手をしながらやってきた。
「すみませ〜ん、手違いで貴方を天国に連れてきてしまいました」
「ええっ! 僕、地獄行きですか!?」
「いえ、貴方はまだ現世で生きられるんですよ〜」
「そういうことですか」
「お詫びといっては何ですが、貴方の背中に生えた翼、プレゼントしますけどいかがしますぅ?」
「貰えるんですか?」
「はい、ただ現世では飛べませんけどね」
「じゃあ何に使うんですか?」
「ちょっと動く飾りですね」
「飾り……、まあ貰えるんなら貰っときます」
 『取り敢えず試供品は貰っとこう』をモットーとする母親の影響もあって、翼は貰っておくことにした。

 『タダより邪魔なものはない』という父親のモットーを採用すれば良かったと後悔したのは、現世に還ってすぐのこと。
 まず着られる服がない。何でも売っている大手通販サイトでも取扱いがない。仕方なしに母親の手作りのクソダサい服を着ている。
 仰向けに寝られない。ごりっと背中に当たると寝心地が悪いのだ。仕方なしに大抵うつ伏せに寝ている。
 それから結構絡まれる。「おい、とんでみろよ」なんて、ひと昔前のカツアゲの台詞みたいなことをよく言われる。飛べないんです、と説明したり、仕方なしにジャンプしてみたりするが、相手は「飛べねぇのかよ」と蔑むような目で見てくる。腹立たしいことこの上ない。

 まあ大抵のことにも一年ほどすれば慣れた。
 そんな秋のこと、夕日に照らされた川岸を歩いていた。オレンジの光を受け、てらてらと揺れる川面は目に痛いほど眩しい。こうした綺麗なものを見ると意味もなく胸が詰まる。ああ、生きて還ってこられて良かったなぁとしみじみ思った。しんみりとした思考を破るように大声が聞こえた。

「誰か! 誰か助けて!」
 子供が溺れていた。川辺で母親らしき女性が助けを求めている。母親の声を聞きつけて僕の他にも数人が集まってきていた。
 皆が一斉に僕を見た。僕の翼を見た。
「いや、飛べないんです」
「助けて!」
「ですから、」
「あんた助けろよ」
「あの、」
「薄情者!」
 母親も野次馬も僕に詰め寄った。その間にも子供は流されていく。
「もぉ!!」
 泳げないんだよ、僕は。翼のせいで始めは浮くけど、そのうち翼が水を含んで重たくなって沈む。流されていく子供の近くまで行って手頃な枝を伸ばすが届かない。
「くそっ」
 その時の僕は何を思ったんだか、背中へ手を伸ばし片翼を引きちぎった。思ったより痛くない。その翼を子供へ向かって伸ばす。子供が先端を掴んだ。ぐいっと翼を引き寄せていく。
「あぁっ!!」
 僕の掴んでいたところの羽根が束で抜け、翼は僕の手からすっぽ抜けた。子供は翼とともに下流へと流される。結局僕は川へ入った。必死で子供へ向かって泳ぎ、そして……子供と一緒に流されていった────



 僕は再び奇跡の生還を果たした。
 今の僕の背中にも翼が生えている。天使の翼とは違って黒く、羽根がなくてツルリとしている。
「子供を助けるという罪深い善行を行ったが、天使の翼を引きちぎり川に流すという大変胸のすく行いをした」
 とのことで地獄へ行き、悪魔の翼をもらったのだ。そのあと手違いが発覚し、現世へ戻された。転生ものが流行っているせいか、天使も悪魔も後継者不足でオーバーワーク気味らしい。同情しなくもないがしっかりして欲しいものだ。

 何で翼を断らなかったんだ? って色んな人から訊かれた。飛べないし、邪魔だし、断ろうと僕だって思ったよ。悪魔の翼じゃ少しイメージ悪いしね。
 でも飛べない翼ってなんだろうって考えたんだ。それで常にやる気のない脳みそを働かせてみて、──瞬間的な勇気、みたいなものだったのかなと思った。普段自分の中に眠っていていざという時に発現するもの。
 それはきっと誰もが持っているものだろう。リアルな翼じゃなくてもね。
 子供が溺れていたとき、もし僕がいなければ野次馬たちはどうしていたかな。
 きっとある人は飛び込み、ある人は浮くものを投げ、ある人は救助を呼んだだろう。その人なりの勇気で何か行動を起こしていたはずだ。
 自己犠牲を勇気だなんて言うつもりはないよ。僕だって好きで死にかけた訳じゃない。でもこの翼は僕が何かしらの行動を起こした証だから、貰っておくことにしたんだ。
 
 そんな返答をしたらみんなよく分からなそうな表情をしていた。うん、僕も何となくしか分からない。
 ともかく翼を使おうとするのか、どんな使い方をするのかは本人次第なのだということ。

 僕は今日も母親の作ったクソダサい服を着て、寝違えた首をさすって歩く。ピコピコ動く翼を指さされても気にしない。
 だけど……これ以上僕の近くで子供が危ない目にあったりしませんように、とかなり本気で祈っている。


 
 #10 2023/11/12 『飛べない翼』

11/12/2023, 4:52:01 AM