美冬

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3/26/2024, 12:54:35 PM

ないものねだり

いつだって、圭ちゃんの取ったケーキが美味しそうで。
あたしはいつも圭ちゃんが大事にとっている最後の苺を食べてしまうのだ。

「ジェノベーゼも美味しそうだけど、カルボナーラも…あー、でも太るよなぁ。うーん、圭は何にするの?」
仕事帰りに幼なじみの圭と待ち合わせたイタリアンで、私は地球の命運を担ってるかのように悩みこんでいる。いつもの事だ。
どれも美味しいのは、通い慣れたこの店ならば知っている。しかし、今日の気分はいつだってまちまちなのだ。
「俺はもう決めたよ」
食前のシャンパンをすました顔ですすりながら、圭はチェシャ猫のようにニヤついている。いつもの事。
「圭何食べんのよ?」
そんなことより早く選びな、というようにメニューをノックされる。
すぐに泣いてしまう可愛かった圭ちゃんはもういないのだ。
「んー、じゃ、ボンゴレ!」
最後には面倒になって今日のおすすめに頼る私。

運ばれてきた圭の皿はカルボナーラ。なんで私が太るの気にしてるのわかってて目の前でカルボナーラなんだろう。
白ワインのきいたボンゴレは、おいしい。おいしいんだけど、なんだか途中で手が止まってしまう。

「食べる?」
くるくると綺麗に巻き揃えられたカルボナーラが、口元に運ばれてくる。反射的に口を開きぱくりと食べてしまった。
おいしい、涙が出るほど美味しい。カルボナーラはこんなにもおいしいのだろうか。違う。これは圭から奪った罪の味。この世でいちばん美味しい果実。

君、いつも自分の皿に飽きるだろ?だから、俺はいつも先に君が本当に欲しいものを取っておくんだよ。
君のことこんなにわかってる男他にいないからさ…
最後の苺は俺にしときなよ。

圭が、いつの間にやら運ばれてきたちっちゃなホールケーキの上に輝くひときわ赤い真ん中の苺をつまんで、ぽとりとシャンパングラスに落とす。
差し出されたシャンパンに沈められた赤い果実を唇ではみながら、やられたなぁ、今の、圭ちゃんにしては上出来じゃないの?と、私は首を縦に動かした。
昨日奪い損ねた男のことは、どうでもいいや。

3/24/2024, 2:19:55 PM

ところにより雨


お腹、すいた。。。
前の食事から何時間経ったのか忘れてしまった。そんな精神状態でも身体は律儀に空腹を訴えてくる。

買い置きの棚には、食欲をそそるものなど何一つなかったが、とりあえず、手前のピンクのパッケージを手に取る。

「春雨スープ、かぁ。。。」
ひとり口に出た言葉が存外大きく響いて、気分が悪くなる。とりあえず今の気分を切りかえたい。
電子ケトルのスイッチを入れて、お気に入りのカーテンを数日ぶりにサッと開ける。
すると暖かな光が差し込んで…来るわけもない。音で気がついてはいたが、今日も雨だ。なんなら1週間連続のロングラン。
「春雨はいたくなふりそ、桜花まだみぬひとにちらまくもをし」
今度は小さく呟いたので、先程より勘に触らなかった。
春の雨よ、そんなに強く降らないで。桜をまだ見ていない人がいるのにちってしまうのはいやだ。

嫌。いい加減LINEのひとつでもよこさないと、私の愛は枯渇してしまうんだって、なんであいつは思わないのだろう。どうせあの能天気には、こんな雨などないも同じ。しとど濡れるのは私の方だけだ。

むしゃくしゃと春雨をすすったら、舌を火傷した。雨にまで裏切られたようで尚更腹が立つ。
もう、やめよう。あいつとは。

いつの間にか、ウトウトしていた。仕方ない、最近ほぼ眠れていなかったし。
目の前の少し減った春雨スープは見るからに覚めていた。
カーテンの向こうは青空に虹がかかっていた。言葉をなくした刹那、インターフォンが鳴った。

合鍵を渡しているのに部屋番号を覚えていない薄情な男を、部屋にあげるべきか否か。あなたならどうする?

3/20/2024, 6:52:07 PM

夢が醒める前に

「夢が醒める前に、死んでいたらいいのに」
友達の口から、うっかり、とでも言うように転がり出た欠片。
そーだよねー、わかるわかるー。
と、食べ物の好き嫌いの話をするように流しながら、私は脳内の景色をフル回転させる。
あの日の彼女も、違う日の彼女も、いつも愛らしく笑っていた彼女のえくぼ。
なにか心当たりはなかっただろうか。このトゲトゲの欠片を丸く磨いて彼女の口に押し返すヒントは。

別に彼女が明日死んでも、悲しむけど、生きていける。だから、私はこの場を穏便に流したいという利己心だけで彼女の明日を望んでいる。

だって、このパスを拾えなかったから、彼女が消えたとか考える人生、嫌なんだ。
私はずるい。どうしようもなく自己中心的だ。
必死で彼女とすごした日々のフィルムを凝視する。

言葉の前に、雫が落ちた。
「貴女のそういう繊細なとこ、とても好きよ」
完璧な角度を描くその唇に、暴力的衝動をぶつけたくなる。でも雫が邪魔で何も出来ない。

私は卑怯で自己中心的な人間です。だから私のためにそばにいてください。

どうせ彼女には届きゃしない独白を抱きしめて、雨やみを待った。

3/12/2024, 9:11:01 PM

結婚二十年目で仲良くしている、と聞いたらきっとみな、さぞお互いを理解し合ってる、と思うだろう。
現実は真逆だ。私たちは常に、相手と自分が異なる存在であることを突きつけられながら生活している。
好きな相手をもっと知りたい、理解したい、と思う欲求は、たいていの場合健全だ。相手のことを知ることで、コミュニケーションの齟齬は減るし、所有欲も満たされる。
問題はある程度知った後に訪れる。
相手を理解した、相手を全て受けいれた、と思った頃に、本当はそうでなかったことが、ほんの小さなことでも気にかかる。本当は茄子が嫌いだったこと。子供の頃少しピアノを習っていたこと。子供にこっそりおやつをあげていたこと。そんな小さなことが、相手を知っているという信頼をちくちくと刺すのだ。未知の事象にどう対処していいか分からないのに相手はそんな小さなことをととりあいもしない。ディスコミュニケーション。小さな信頼の悲鳴。
知ることで安心していた「私のもの」だった相手に感じる不安。
本当は、愛すること、信じることに、「もっと知りたい」なんて感情、要らないんだ。ただ向き合って、いつだってよく知っていたけれど知らない相手に向き合う勇気を持てばいい。ただひとつ、「私はきみを知らない」ということだけ、知っておけばいい。
私はいつだって、新しいあなたに驚いていたいよ。

お題「もっと知りたい」