美冬

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結婚二十年目で仲良くしている、と聞いたらきっとみな、さぞお互いを理解し合ってる、と思うだろう。
現実は真逆だ。私たちは常に、相手と自分が異なる存在であることを突きつけられながら生活している。
好きな相手をもっと知りたい、理解したい、と思う欲求は、たいていの場合健全だ。相手のことを知ることで、コミュニケーションの齟齬は減るし、所有欲も満たされる。
問題はある程度知った後に訪れる。
相手を理解した、相手を全て受けいれた、と思った頃に、本当はそうでなかったことが、ほんの小さなことでも気にかかる。本当は茄子が嫌いだったこと。子供の頃少しピアノを習っていたこと。子供にこっそりおやつをあげていたこと。そんな小さなことが、相手を知っているという信頼をちくちくと刺すのだ。未知の事象にどう対処していいか分からないのに相手はそんな小さなことをととりあいもしない。ディスコミュニケーション。小さな信頼の悲鳴。
知ることで安心していた「私のもの」だった相手に感じる不安。
本当は、愛すること、信じることに、「もっと知りたい」なんて感情、要らないんだ。ただ向き合って、いつだってよく知っていたけれど知らない相手に向き合う勇気を持てばいい。ただひとつ、「私はきみを知らない」ということだけ、知っておけばいい。
私はいつだって、新しいあなたに驚いていたいよ。

お題「もっと知りたい」

3/12/2024, 9:11:01 PM