そうなの?!そんな感じなんだ。
ええと、こんな時の顔はどんな風に作るんだっけ。
それは嬉しいってこと?エッ怒ってるの。
そこはスルーでいいんだ…うーん。。
物心ついた時からコミュニケーションのほとんどがすれ違いだった。
家族をはじめ誰と話しても、ほんとにピンと来なかった。
あまりに浮いてしまうので、小6の頃、厚紙に自分で考えた
「これでうまくいく!チャート式タイプ別シーン別リアクション一覧表」
を作って壁のポスターの下に仕込んで、次のチャンスに備えてた。
…まあ当然、うまくいったことはなかったけど。
何でもないふりしてたけど本当に、
ただただみんなと違和感なく、一緒に楽しく居たかった。
ただそれだけ。
ここのところよく「逆さま」を思い起こす言葉を見る。
本屋のレジで見たポスター
「あなたの予想は全て裏切られる⁉︎話題の大逆転サスペンス!」
暖簾の奥の厨房に見えた段ボールの「天地無用」
「子猫を2匹拾いました。白と黒なので名前はポジとネガにしました。」
太極図。
誰かが誰かに送ったYouTubeのコメント「これ、立場が逆転したら同じこと言えますか?」
反転幾何学。
どんでん返し。
文字を目にして逆さまを想起する。
その後必ず強烈に眠くなる。
ああそう、ひっくり返るのかあ…へえ…ふーん。。
私はぴったりと吸い付くようにフィットした肌色のラテックスの手袋を脱ぐ。手首の部分を持って一気にひっくり返す。
そうして両方の指の先の先まで全部綺麗に裏返ったのを確かめたところで、パッと目を覚ました。
渦巻き
洗濯機の中の水の
冬のグラウンドを吹く風の
鳴門の海の
自分の世界の
宇宙の銀河の
渦巻き
さよなら!って宣言して
その渦から飛び出す
そうイメージしながら本当に
その場で飛んでみる
せーの、でジャンプ
別にそれくらい軽い軽い
全然余裕
表面はそう繕いつつも
ほんとは歯を食いしばってる
全部失ってしまうんじゃないかって
二度と戻れないんじゃないかって
怖くて不安で寂しくて
私が作り上げた世界
居心地そんなに良くはないけど
それなりにやっと拵えた私の世界
この懐かしく馴染み深い場所から
出るの?
…ほんとうに?
本当だよ
そう決めて来たんでしょう
ああこれ知ってる、あれも知ってる。あのねあのね聞いて聞いて!
あれとこれはぴったり符号してるでしょ?それはこんなであれはそんなでとにかく伝えたい交流したい分かって欲しい、でも伝わらない
伝わったと思っても微妙にズレてる
そんなことはもちろん、
渦から出るのを心配していたことも
消えてしまう
そこにあるのは渦どころか
波ひとつ立たない静寂の世界
ただただ温かい
常に内包されている感覚
事務所の洗面所
明り採り用の小窓があった
その窓枠に置いてあったグラス
黒いガラスのコップ
誰かが置き忘れていったのか、うっすら埃をかぶっているカットグラス
私は一階にある事務所に行くたび、それがあの場所にあるのをいつも確かめていた
秋が来て、冬に移ったと感じた時、必ずこのグラスが浮かんでくる
「あ、冬か」
「ついに冬が来たなあ」
「お、今年は少し遅かった?」
こうやって私は冬に入る
風が吹く音
乾いた空に浮かぶ雲の形
乾かない洗濯物
暖かい家の匂い
寒ーい!と叫びながら自転車に乗る制服の女の子たち
下を向いて足早に歩く若い男の人、
黒いマフラーの中で光る白いイヤフォン
まるで誰かを驚かせるように不意に吹きつける強風
それに煽られて鳴る木々の葉音
ギシギシ揺れる車庫の屋根
これらの景色はみんな、あの場所から見ているように思う
あの黒いガラスのコップの中
黒くて透明な、
より輝くようカットが施された
グラス
美しく透き通る黒いグラス
その内側から見る
冬の景色
学校から帰ると、テーブルの上に見慣れない箱が二つ置いてあった。
そこへ母が帰って来たので、これは何かと尋ねた。母は気まずそうに
「うん…あのね、蝋燭立て」と言った。
「蝋燭立て?外国の本に出てくるやつ?銀とか真ちゅうの?」
「ううん、ガラス」
話を聞くと、昼間家の前に突然若い(母によると超絶イケメンの)男の人が現れて、気の毒な身の上話を聞いてあげたところ、もしよかったら自分が作った蝋燭立てを買ってくれないかと言われ、だいぶ迷ったが買ってあげた、ということだった。
「だってね、芸術家の卵だっていうのよ。応援したくなるじゃない?」
「高かった?お父さん、怒った?」
「怒鳴られちゃった。」
どうやら小学生の私には想像もつかない額だということは分かった。
「見せて見せて!」
そう言うと、母は少しワクワクしながら箱を開けた。
細長い箱から出てきたのは、本当に透明なガラスの燭台だった。取手のところがクルクルと捻ってあり、中に小さな気泡がたくさん浮いていた。
もう一つはワイングラスだった。
これは燭台を買ってくれたお礼だそうで、紫色の持ち手に分厚い飲み口の全体が傾いているグラスだった。どこか海の生き物を思い出す形だった。
夜になって姉や兄、そして父が帰って来て、口々にその「作品」の批評をした。
そして要するに、母はイケメンにコロッと騙されしょうもない物をぼったくられたけれども、まあこれで一つ学んだんだから今後は大丈夫よねと結論が出て、その件はおしまいになった。
燭台とグラスは、サイドボードの隅に押し込まれるように飾られた。
先日ふとこのことを思い出し、母に覚えているかと聞いたところ、後日談があることが分かり驚いた。
その「事件」から半年ぐらい経った頃、郵便受けに無記名の小さな包みが入っていたそうだ。
母は急いで庭のベンチに座り、それを開けた。
差出人はやはり、あのイケメンだった。同封された手紙には鹿児島の住所と初めて知る彼の名前、そして
「怪しい自分のような者の話を聞いてくれた上に、作品まで買ってくれて、とても嬉しかった」という内容が書かれていたという。
そして幾重にも巻かれた白い包みを解いて現れたのは、なんと金色と銀色の蝋燭だったそうだ。
芝生の緑を背に、陽の光に照らされた二本の蝋燭は、母の手の中で眩しく輝いたという。
「あの燭台に合うと思ったんでしょうね。蝋燭を立てたら驚くほど素敵になったの。彼に見せたかったな」
そう言って、電話の向こうで母は笑った。