病室
子供の頃は病院が家だった
病室から午前中だけ小学校へ通ってた
父が毎日車で送迎してくれた
大変だったろうと思う
「バイバイ!」と手を振りながら
父の車を降りて病室に戻り
翌朝運転席の父に
「おはよう!」と言うのが日常だった
今まで考えたこともなかったけど
入院していた長い間
私は家にはいなかったんだ
あの家は家族4人で暮らしてたんだ
いつも病室の窓から外の景色を見下ろしていた
あまりに長い間そうしていると
道行く人も車も、天気でさえも
自分がリモコンか何かで動かしてるような感覚になった
そのうち視線を部屋の中に戻しても
ベッドに横たわるこの人達も
看護師さんも先生たちも付き添いの人たちもみんなみんな、
自分が創り出して、自分で動かしてるのだとしか思えなくなった
だってどう考えたってゲームの画面と同じじゃん…って
人は思ってないことを言うと、顔が黒っぽくなるんだ
同じ色の丸で囲まれた看護師さんと先生がいる
その怪我は事故じゃない。でもその子は自分に起きたこと全てを受け容れている。落としたお母さんを恨んでいない。
退院して普通の生活に戻ると
いつの間にかその感覚は消えていた
今ふと思う
自分で創ったゲームなら
楽しいのにすればよかった
…ああそうか!
そうしたんだった
そうして私は退院したんだ
これからはどんなゲームにしようかな
明日、もし晴れたら
買い物かな
いや本屋巡り
海も見たい
温泉もいいな
逆に図書館?
公園の散歩もいいかも
ドライブ、遠い遠い道の駅のカフェ
まったり映画
いやいや家でまったりしていたい
あ…
全部雨でも出来ることだった
そうなの
晴れも雨も大好き
どんなに小さなことでも
何かをしたい!
って感じられるようになったんだなあ
その時になってみて
自分は何がしたいのか
ちゃんと聞こえるように
訊いてあげられるように
いつも肩の力を抜いて
楽にラク〜にしていよう
一人暮らしの時は
一人になるのがとってもこわかった
二人暮らしになっても
いつも一人だった
一人でいても
一人でいられない
誰といても
誰ともいない
そんな気がしてた
自分の周りを見る
よーくよーく見てみる
いつもの部屋が見える
いつもの外の景色が見える
自分の足が見える
見慣れた手が見える
その掌を胸にあててみたら
確かな心音を感じる
ああ、そうか。。
ずっと一緒だったんだ
こんなに長い間
このことに気づかなかったのは
それだけズレてたってことだ
でももう気づいちゃった
だから、一人でいたい
そんな時も
二人三人、それ以上の人と共にいても
いつも自分とぴったり一緒
安心安全
何があっても
大丈夫
洗面所で手を洗った時
何気なく見た鏡
まじまじと見る自分の顔
あれ、私こんなだったっけ?
こんな顔つきだった?
というか、、私の後ろにあるのは何だ?
振り返っても、もちろん何もない
もう一度鏡の中を見る
一歩引いて全体を見てみようとする
ほんとのところ、怖くて足は震えそう
だけど、すました顔して立っている
鏡の中に見えるのは
服
古い子供服、流行遅れの若者の服の塊
シェパードの子犬のぼやけた姿
父のカメラと黒い革のカメラケース
色褪せた大量の文庫本、ぬいぐるみ
何百本も絡まり合った点滴のチューブ
古い靴が詰まったビニール袋
破れたエプロン
子どもが作った数々の古い工作
あらゆる酒の空瓶、空き缶
使い古された化粧品の残骸
スクラップされてきれいに立方体に整型された見覚えのある自転車たち
ぼんやりと、でも生々しく浮かぶこれらの影で、鏡に映る私の背後はギッシリ埋め尽くされていた
私は身震いしながら目を閉じた
自問自答
Q.あなたこのまま行きたい?
A.行きたくない。こんなの背負ってたなんて知らなかった。
Q.全部切り離して別の線路に乗り換える?
A.乗り換える!今すぐ!
目を閉じたまま、乗っている車両を切り離したあと外に出て、イメージの中の線路の分岐器を切り替えた
ガシャン!
ゆっくり目を開ける…
背後のものたちはすっかり消えていた
暮れかけた西陽がちょうど目に差し込んで、思わず目を細めた
鏡に映っているのは
白い壁
棚の中の白いタオル
化粧品の瓶
掛け時計
それから
見覚えのある人
懐かしい瞳
やあ久しぶり
ここから楽しくやっていきましょう
嵐が来ようとも
こういうフレーズを聞くと
決まって思い出す
アポリネールの詩
有名な詩
《ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
我らの恋が流れる
私は思い出す
悩みの後には(必ず)楽しみが来ると
日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ 私は残る
手に手をつなぎ 顔と顔を向け合おう
かうしていると
二人の腕の橋の下を
相も変わらず疲れたまなざしの水が流れゆく…》
()の言葉は自分で勝手に足して覚えた
まだ父と母の家に住んでた頃
不安いっぱいで、無鉄砲
大人びていたのに、すごく幼い
子供だった
好きだと感じた詩は
どんなに長くてもすぐ覚えた
今でも少し 覚えてる
家を出て大人になり
ふと思い出して
最初の一語を誦んじた時
どんな場所でも…そう
日が暮れようとも
嵐が来ようとも
その時どんな気持ちでいても
それは一瞬で表れて
私の手をぐっと掴み
広い世界に連れ出してくれた
詩
詩人たちよ
Merci infiniment!