ただいま!お花買ってきたよって彼氏。
特別な日に貰うのは嬉しいけど、日常的に買ってきて手入れ丸投げされるのは好きじゃないのに。
絶対楽しいから行こうよ!って彼氏。
私は怖いものが苦手だからお化け屋敷は好きじゃないのに。
これプレゼント!って彼氏。
私は青色の方が好きで、ピンクは好きじゃないのに。
いつもありがと!○○が家事好きで助かってるって彼氏。
生活を回すためにやってるだけで、別に家事は好きじゃないのに。
短くはない年月の中で都度伝えてきてたのに返ってくる言葉はいつも、あれ女子ってこういうの好きなんじゃないの?元カノは好きだったけどな。ばかり。
ねぇ、覚えてる?
私はサプライズとかは苦手だから、フラッシュモブとか人前での公開プロポーズとかは好きじゃないんだって言ったこと。
覚えてないよね。だって覚えてたらこんなことしないもんね。
周囲の人から向けられる期待の目に居心地の悪さを感じながらこれまでのことを振り返る。
彼氏は私が今俯いているのをきっと感動して言葉が出なくなってるんだとか思ってる。
…あぁ、なんかもう、いいや。
私は顔を上げてさっき目の前に差し出されたリングケースを突き返した。
「私はあなたと結婚しません」
だってもう、あなたのこと好きじゃないから。
バカみたいだって、そう思った。
私の手の中にあるのは卒業アルバム、開いているのは寄せ書きのページ。
そこには、学生時代共に時間を過ごした「友人」からのメッセージが散りばめられていて。
"離れてもお互い頑張ろう"
"たまには一緒に遊びに行こう"
"卒業してもLINEするから会おうね"
今ではそう書いてくれた「友人」の全てと縁が切れた。
私は信じていた。卒業しても仲は続くと、連絡を取る回数こそ少なくなれど会おうと思えば会えると。
だから私は待っていた。私は本当に友人だと思っていたから。
けれど、1年経っても2年経っても会おうなんて連絡は1つも来なかった。私から連絡しようと思ったこともあった。でも、インスタのストーリーに映る彼女たちはとても楽しそうで、私はそこに居るべき人間として選んでもらえなかったのだと思ったら、とてもじゃないが連絡なんてする気になれなかった。
おかしい、悲しい。ストーリーに映る彼女たちの全員と私は卒業するまで「友人」であったはずなのに。
コーティングされた寄せ書きのページは、私から零れた涙を弾いた。
私がどんなに泣いたって滲んで消えることすらしてくれないこのメッセージたちは、この先もずっと私の心に傷を残し続ける。
結局私だけだった。彼女たちを好きだったのは。
結局私だけだった。今後も会えると思っていたのは。
結局私だけだった。友情は続くと思っていたのは。
結局、結局、全部、私だけ。
「…バカみたい」
私はアルバムを閉じてスマホを開き、
「友人たち」のストーリーをミュートにした。
本当に二人ぼっちになっちゃったね。
私は彼女の手を緩く握りながら呟いた。
「世界に二人だけだったら良いのに」
これは数日前に彼女といたずらに願ったことで、切実な思いでもあった。
私と彼女は異性愛が大半のこの世界で、同性同士の恋人というものをやっていた。
私としては人間として彼女を好きになったから性なんてどうでもよかったけれど、周りは違ったみたいで。見物人よろしく私たちを珍獣として扱った。
私は世界に彼女と私しかいないから他は目に入らないなんていうロマンチックな気質は持ち合わせていなかったから、そういう好奇の目に晒される度にちゃんとストレスを感じた。
と、まぁそんな日々が嫌というほど続けば他はみんないなくなれと思ってしまうのは当然のことで。
…とはいえまさか本当に二人になるなんて思っていなかったけれど。
さっきから何も言わない彼女の手をあやすように触っていると、俯いた彼女が小さく呟いた。
「…𓏸𓏸は後悔してる…?」と。
ゆっくりとこちらを見た彼女の瞳は今にも泣きそうに揺れていて、その表情から、彼女は二人ぼっちになった理由を知っているのだと察した。
私は握っていた手を離し、両手で優しく彼女の頬を包み込んだ。
愛する人が涙を流しそうになっているならば、私がすることはただ1つだけ。
「…ううん、最高に幸せ」
私は互いの鼻先が触れるほどの距離でそう呟いたあと、優しく唇を重ねた。
大きな秘密を抱えてしまった彼女の罪悪感がどうか無くなりますようにと願いながら。
苦しかった。
泣きたかった。
逃げたかった壊したかった。
全部全部無理だったけど。
耐えて笑うの。
ああ、なんて不条理。
泣かないよ、お兄ちゃんだから。
僕はそう言って母に向かって微笑んだ。
少し歳の離れた弟が産まれたのは、僕が7歳の頃だった。本を読むのが好きな僕とは反対に、弟は外で活発に遊ぶいわゆるやんちゃな子で両親の関心が弟に寄るのは自然なことだった。
弟は本当に嵐のような子どもだった。
僕のおもちゃを奪い、壊し、大切に読んでいた本はジュースにまみれにされたこともあった。
それでも僕はお兄ちゃんだからと許してあげてと両親に諭されるばかりで、少しだけ黒いこの気持ちをどこに投げたらいいのか分からなかった。
ひとつだけ分かっていたことは、泣いてはいけないということだった。弟は小さいから僕の物を壊すのはどうしようもないし、だからそれを両親に訴えたってただ困らせるだけ。泣かないことは僕がお兄ちゃんとして果たすべきことだとさえ思っていた。
そうして弟が僕の物を壊さなくなるまで泣かずに過ごした僕は、ついに涙が流せなくなった。
泣き方が、分からなくなってしまったのだ。
「…だからかな。僕が泣かないのは」
心配してくれてありがとう、迷惑かけてごめんね。と先輩は困ったように眉を下げて笑った。俺は語られた先輩の過去にただただもどかしさを感じるばかりで、気の利いた言葉ひとつかけてあげることができなかった。
泣きそうな顔はするのに、決して泣くことはしない。そんな先輩の心の拠り所になりたいと願った俺は、自分より少しだけ小さい背中に手を回して抱き寄せた。
泣くのが下手くそなこの人が、自分の前で上手に泣けるようになるまでずっとずっとそばにいようと思いながら。