《桜散る》
桜が散る景色が好き。
そう、何とも普遍的なことを桜の木を見上げながら言えば、隣の君は「フーン」と何ともつまらなそうに相槌した。僕はいつもつまらないことしか言えないなあ、とがっくり肩を落とせば、君はそんな僕を置きざりにして不意に走り出した。
そして、まるで踊ってるみたいに飛んだり跳ねたりする足取りで、空を泳ぐ花びらを片っ端から掴み取っていく。
やがて君は、息を弾ませて僕の前へと戻ってきた。固く握り締められる拳の中には、桜の残骸がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
君は如何にもびっくり箱を差し出すような悪戯な笑みを浮かべて、僕の頭上へとその手を突きだしてくる。あ、くす玉の方か。
次の瞬間。ほどかれた手の中から、押し潰されたピンク色が零れ落ちていく。ひらひらと優雅に、というよりはしとしと雨粒みたいに呆気のない、速い速度で足元に広がっていった。
君は愉快げに笑いながら、僕の髪に引っ掛かる花びらの欠片をぽんぽんと払った。自分で仕掛けたくせに、全く世話が焼けるなあとでも言いたげに。
「これが、好きなんだねぇ」
うん、そうだよ。好きなんだ。
君がいる景色なら、僕はなんだっていいんだと思う。
もし僕が「海辺の景色が好き」とでも言えば、きっと君は砂浜の砂を掴んで、僕の頭に降らせるんだろうな。
桜が散り始めたばかりなのに、僕はそんな愛しい夏の予感を、もう感じ始めていた。
《馬鹿みたい》
ガス切れてるけどいいの、とあなたが笑いながら手渡してくれた青い百均ライターに、ちょっと頑張ってガスを補充してみた。
使い捨てなのに半ば無理やりだったから、上手くいったかは分からない。
ベランダに出て、クリアブルーなプラスチックを指先でつまむ。
小さく降ると透明な内側で液体が揺れて、明け始めの朝日の空を青色とともに透過していた。
前にあなたが好きな色だと言っていた青色、実はあんまりアタシは好きじゃない。見つめていると何だか文字通りブルーな気分になってしまうから。
幸い空は深い藍色から曙色へと移り変わっていて、この淡いグラデーションの空の色がアタシは一番好きだった。
ポケットから潰れた煙草の箱を取り出して、一つ口に咥える。ハイライト。ゆっくり吸うとラムの甘さがあって好きなんだと、あなたは隣でそう言いながら吸っていた。
今思うと、吸わない人の隣でお構いなしに吸い始めるの大概だなって笑えてくる。
そのせいで、今のアタシは危うくニコチン中毒一歩手前だしさ。
親指を金属のレバーへと滑らせる。ぐっと力を込めるとカチリと乾いた音が鳴った。ガスの漏れる静かな音が、どっかの誰かさんの掠れた囁きみたいに聴こえた。
でも、中々火は点いてくれない。何度かカチカチと弾いたけど点きそうで点かない。まるでアタシみたいだと、センチメンタルな気分になった。
ちょっと頑張ってみたところで、無理なものは無理なのだ。
もういいや、とライターを雑にポケットに仕舞った。
ふう、と溜息をついてからプラプラと唇に挟んだ煙草を弄ぶ。
丁度、山の稜線からやっと太陽が顔を覗かせた。やけ酒を呷って煙草吸って、一体何やってんだろーって最低な夜を過ごした日でも、この光一つで単純なアタシは結構前向きになれてしまう。
でも今は、そんなことよりやっぱりニコチンが吸いたい。
口元の煙草を手に取って、先端を朝日と重なるようにかざす。
太陽の光で火が点けられたらさぞや美味いのだろうと、馬鹿みたいなことを思った。
《夢が醒める前に》
夢を見るのが、好きだ。
念じるだけで空を飛べたり、極彩の花畑を一斉に咲かせてみたり、参考書まみれの狭い部屋を、お姫様みたいな綺麗な部屋にしてみたり。
とにかく自分の望む好きな世界を創り上げ、自由気ままに満喫できる美しい世界に在れる。
私の現実は、あの人がいる限り息をするのも苦しかったから、眠りにつき、夢の世界へと誘われるそのひと時を私は愛した。
今日の夢は、特に良かった。
私が現実を憎むに至った最たる原因を、せめて夢の中だけでもと排除した。
鍵で閉ざされた自室の扉を開け、階段を降り、台所へと向かって刃物を選ぶ。
握ってから、一番刃渡りが長い物だと気付いて少し笑った。
居間の掃き出し窓を引き開け、そして庭で洗濯物を干しているいつもの背中に――ほんの一瞬だけ息を止めてから、真っ直ぐに突き立てた。
短い叫び声と、肉と骨の分厚い感触が不快だった。私を振り向いた瞳は、相変わらず濁っていて醜い。
やがてその背は崩れるように倒れ込み、地面の上でピクリとも動かなくなった。
ようやく、私の世界から消えてくれた。
これこそが一番に望む、私だけの世界だった。
胸に悦び満ちていく。羽根のように軽い私の心臓、夢の世界でしか得られないもの。
愉しい、悦ばしい。この至上の夢から目醒めたくない。
現実を取り戻してしまえば、この酩酊感にも似た幸福は途端に霧散してしまう。
だから私は最高の気分のまま、二度と目醒めないようにと自分の胸へ刃物を突き立てた。
夢なのに、すごく痛いな。
《胸が高鳴る》
一生のうちに鼓動する脈の回数は決まっている――なんて、信憑性に乏しい俗説がある。
確か二十億回だったか、そういう寿命の数え方らしい。
勿論僕もそんな眉唾は信じていない。だって、もしそれが本当だとしたら今頃僕は死んでいるだろうから。
「ね、返事訊かせてもらっても……いいかな?」
君が照れくさそうに首を傾げる。
君がお気に入りの曲だと言ってイヤホンを片方渡してくれるたび、電車に揺られながら僕の肩に凭れてくるたび、視線が合うと三日月みたいに目を細めて笑いかけてくれるたび。
僕の心臓は、信じられないほどの速さで全力疾走を始めてしまう。
だから今も。この想いを口に出してしまえば、僕の人生はきっとあっという間に終わりを迎えてしまうだろう。
鼓動はもうラストスパートの終盤で、そろそろ限界だと警告の鐘を叩いている。
でも、それでも。
僕は叫んだ、ありったけを。
そしたら君はいつもみたいに、美しい三日月のように笑って。
その瞬間、
僕の心臓は止まった。
《不条理》
人生というものは「不条理」なんてもので溢れているらしい。
今日、先生がそんなことを話していた。
信心深く平和に生きていた人が、落ちてきた爆弾によっていきなり死んでしまうだとか。
交通ルールを守っていた子どもが、飲酒運転の車に轢かれるだとか。
優しい誰からも好かれている人が、通り魔によって刺されるだとか。
なんか、そんな感じらしい。不条理というものは。
正直私は眠いし難しいしで話はよく分かんなかったけど、学校の帰り道、アイスを食べながら歩いてる時についに理解できてしまった。たぶん、世界の真理とかそういうやつ。
今日はたまたま早起きしたから、ママの不味いご飯を我慢して食べてあげたのに「スマホいじるな」って怒られた。
珍しく早め学校に行って、先生のつまんない授業にせっかく出てあげたのに「遅刻するな」って怒られた。
お釣りはあげようと思って五百円を渡したのに、購買に行かせたアイツはクリームパンを買って来れなかった。売れ切れって、もっと必死に走れよ。この世にはもっと頑張ってるやつが沢山いるんだからさ。
で、帰り道。苛々する気持ちをハッピーにしようとせっかく二段アイスを買ったのに、後ろから走ってきたガキがぶつかってきて、べチャリと地面に落としてしまった。
轢かれてしまえって舌打ちしたけど、腹の虫は全然治まらない。可哀想、結構今日は頑張ってみた私も、美味しそうだったアイスも。
あーあ、ホント、私の人生って不条理だ。