体調が悪い。
頭が働かない、自分のことで手一杯で何もかもが癪に障る。
やばい、めまいがしてきた。
意識が遠のく。
汗は滲む。
身体は重く、辛うじて動くがとても遅い。
やるべきことは、たくさんある。
なのに、出来ない。
悔しい、やっとだ。
やっと、5年ぶりに薬要らずで体調が安定してきたのに。
多くの努力が実を結んでいたのに。
気候が少し、体調が少し、崩れただけで何も出来ない。
薬を飲んだが、少し飲むタイミングが遅かった。
ただ、それだけ。
それだけのはずなのに、全然効かない。
分かりやすく、発熱してくれたら良いのに。
こんなに自分が理解できず、
こんなに自分が許せないとは考えられなかった。
予想してなかった。
私は、未だに理想に固執していたことに。
眩しく、私に照り付ける。
痛い、心の底で呟いた。
だから、日は嫌いだ。
全てを影という形で浮き彫りにしてくる。
最後に日の光を浴びたのは、いつだろう。
極夜前、もう随分前だったような気がする。
何故、あの人は外で会おうなどと手紙に記したのだろう。
外に出なくとも、私の役目たる多大な職務の処理は全うしている。
外に出なくとも、領地経営に貿易会社などの外部収入はある。
私は、あの人に全く頭が上がらないらしい。
「あら、久しぶり。来てくれたのね、嬉しい。
さて、貴男が昼に外出したのは何ヶ月前なのかしら。」
そこには、カフェのテラス席にて優雅に紅茶を飲む、
若き貴婦人、あの人の姿があった。
「何の御用ですか。」
私は、勧められた紅茶を一口だけ飲み込んだ。
何か、嫌な予感がした。
すると、あの人は微笑み、察しが良いと謂わんばかりに目を細めた。
「貴男に息抜きを。と、言えたら良かったのだけど状況が変わったの。」
あの人は真剣な表情になり、あの人の藤色の瞳は瞳孔が小さくなった。
「貴男の仕える、うら若き弱王と貴男をよく思わない臣下が結託して、
貴男に謀反を企ててるみたいよ。」
私は頭が真っ白となった。
「ふふ、意外ね。貴男が感情を表に出すなんて。」
あの人は、鈴が転がるみたいな声で笑った。
そして、即座に、私へ真剣な眼差しを向けた。
「さっきの話には続きがあって、
謀反を協力を願い出る書状が、わたし宛に弱王の側近の名で届いた。
その意味は貴男なら分かるでしょう。」
「勿論です。私の家は、北に於いて強いと自負しています。
しかし、貴方の家には敵わない。
貴方の家との戦に関しては、特に相性が悪い。」
私は、必死に冷静を装った。
「そう、だから貴男へ知らせたの。」
あの人は、また微笑み、また目を細めた。
「感謝します。」
あの人は、再び目を細めた。
「件は、わたしに任せて。」
私は、意味が分からなかった。
「貴男は、件を知らなかったことにしないさい。」
「はい。」
私は、同意した。その方が立ち回り易い。
「件の事で、うら若き弱王への謁見を許されたの。
わたしは、その場で件を阻止させようと思う。
其処からは、貴男の好きなように為さい。」
あの人は、また鈴が転がるみたいに笑う。
「如何ように冷静を装っても、本来の冷静さには敵わないわ。」
あの人は、いつも私の図星を付いてくる。
「親しくとも離れていたのなら、
親しくとも会話を交わさなくなっていたのなら、
相手の心は離れるものよ。」
あの人は、そう言い残し、優雅に去っていった。
あの人に、又、借りを作ってしまった。
本当に感謝しかない。
件が解決した暁には、あの人へ何か贈ろう。
あの人は贈り物を好まないから、感謝の手紙を贈ろう。
「お方様、お手紙が届きました。」
「あら、ありがとう。」
若き貴婦人は、従者から手紙を受け取る。
そして、手紙の封を開ける。
『あなたのお蔭で、件は早急に解決しました。
また、王とも和解する事ができました。
王宮を頻繁に訪れ、王や臣下たち、他の貴族等と些細なことでも、
言葉を交わようにしています。
王から頼られる事も、少しずつ増えてきたように思います。
改めて、感謝致します。』
「本当に簡略化した手紙ね。
でも、思いの籠った、とても丁寧な手紙。」
若きな貴婦人は微笑み、書斎の抽斗に手紙を仕舞った。
母は、言う。
「何事に対しても、敬意を払える人で在りなさい。」と、
「例え、理解が及ばなくとも、何事にも価値は在るのです。」と。
子どもの頃は、全く理解出来ず苦しんだ。
今なら解るよ。
結婚して気が付いたよ。
妻から言われた言葉で。
「あなたは、私をいつも大切にしてくれる。
お義母さんに会ったとき、そう言ったのね。
そしたら、『良かった。』って、涙ぐんでたの。
その時、あなたが私を尊重してくれる理由がよく分かったの!
お義母さんは、必ず私に聞いてくれるの。
『無理しないでね、嫌だったら、すぐ言ってね。』って。
あなたは、お義母さんに尊重されてきたから、私を尊重してくれるのね。
改めて、あなたと結婚して良かったわ。
こんなに素敵なお義母さんが出来て、私は本当に幸せものね。」
嬉々として、妻は話してくれた。
今思い返せば、いつも尊重されて育った。
行きたい学校があると言えば、大事な仕事であっても休み、
僕の学校見学に同伴してくれた。
やりたいものがあるといえば、何でも習わせてくれた。
当たり前、そう思っていたことは、全て母の努力によるものだったのだ。
もしかすると、こうして愛は形を変えながら受け継がれるのかもしれない。
「お母さん、いつもありがとう。」
僕は、久しぶりに母に電話を通して、感謝を言葉にした。
あたしの飼い主は、とても高貴な人だ。
華やかな異国情緒漂う、美しい顔立ち。
艶やかな長い黒髪に、大きな栗色の眼をしていた。
蜜のように甘い声で、あたしを呼ぶの。
「マロン、あなたは本当に可愛いわね。」
いつも、飼い主はあたしにそう言うの。
だから、いつも、あたしは言うの。
「ニャ。(ありがと)」って。
そう言うと、いつも、とても喜んでくれるの。
「名前は?」
「朝久だよ、よろしく。」
「奏斗、よろしく。」
彼らの年なら、まだ走り回ることが好きなはず。
しかし、彼らはその姿を見るだけ。
決して親に言われているのでは無く、唯々走り回ることが性に合わない。
それだけ、しかし、大きい共通点を持つ二人の少年は意気投合した。
「朝久、」
「申し訳ありません。朝顔の君、どうか、息子のご無礼をお許し下さい。」
話かける前に、父さんは僕の頭を押さえて、父さんも頭を下げた。
「誰しも、人間なら一度は間違うものです。どうか、お気になさらず。
今後、お気を付け下さい。」
先ほどとは全く異なる、大人びた洗練された言葉で彼は応えてた。
「ご寛大な心遣い、感謝申し上げます。それでは、失礼します。」
父さんは、急いでこの場を後にした。
「良いか、あの方は皇族では無いが、皇族の血を引いている御方だ。
我らの家格では尊称は呼ぶことは許されても、名は呼んではならない。」
「すみませんでした、以後気を付けます。」
僕は、素直で良い子を装う。その方が、説教はすぐ終わるからだ。
公の面前とは、色々面倒くさいものだ。
私の家は、所詮格のない羊皮紙の貴人だと言うのに。
朝久と目が合った。
朝久は、急いで僕に駆け寄ってきた。
「さっきのことは、気にしなくていい。普通に朝久って呼んでいいから。」
「僕も、気にせず呼ぼうと思ってた。」
両者ともに見せないが、安堵していた。
互いの聡さと、立ち回ることの出来る賢さに。
子どもの頃を思い出すと、身分とは如何に容易く乗り越えられる、
曖昧なものかと、思い知らされる。
「朝久、久しぶり。」
「久しぶり、奏斗。」
「朝久、またな。」
「またな、奏斗。」
何度、この会話を繰り返した事だろう。
「奏斗、また会おう。これからも。」
私は、勇気を出して始めに言ってみる。
「もちろん。また会おう、朝久。」
奏斗は、嬉しそうに微笑んだ。