我は、戦の無いな世を短い期間だが知っている。
戦乱の世から、戦乱の無い世に移ったが民は皆、怯えていた。
むしろ、戦乱の世の方が……活き活きしていたように思う。
しかし、戦の無い世も永くは続かず、この国は民によって滅ぼされた。
そして、今、新しい国が出来ようとしている。
我は、かつて滅びた国の王に仕えていた。
王は、痛みを知っていた。
だから、この戦乱の世を終わらせ、戦乱の無い世を志し、
その不可能と云われた、偉業を成した。
しかし、我らは気が付かなかった。
否、違う。
我らは、民の顔を全く見ていなかった。
民在ってこそ、我らが在ることを忘れていた。
そして、我らは何のために平和な世を望んだか……忘れしまっていた。
民の痛みも苦しみも、これ以上長引かせぬ為だったことを……。
これから先、何百年と戦乱の世を続けない為だったことを……。
だから、我らの国は滅んだのだ。
その事実を新しい王に伝える為、これ以上民を苦しめぬ為、
今日も、我の命を掛け、新しい王の御前に立った。
私には、五人の主君が居る。
一人目は、西の果てにある国の王弟。
二人目は、権謀術数に長けた文官。
三人目は、智と猛を持ち合わせた老将。
四人目は、大王の偉業に最も貢献した名将。
五人目は、海を渡った東の果てにある島国の御子。
皆、もう亡くなった。
一人目の主君は、兄たる大王を支える為にいつも努められていた。
しかし、その将来の有望さから政敵に冤罪をかけられ、
戦地で殺されたそうだ。
まだ齢十七の若さであった。
あの時ほど無力を覚えたことは、生涯……無かった。
二人目の主君は、一人目の主君の、王弟の腹心であり、
兄の主君でもあり、私の才を見い出した方でもあった。
策略で彼の右に出る者を、私は知らない。
今思うに、王弟の死が彼の才を急激に開花させた。
彼は、いつも飄々として冷徹だったが寛容で、
下々の者を決して軽んじなかった。
三人目の主君は、多くの部下に慕われていた老将だった。
病に伏したと聞いていたが、頭脳も身体も衰えを全く感じなかった。
新参者の私を快く受け入れ、軍法から武術まで細かく指導して貰った。
寝台に伏し亡くなる直前まで、よく笑い、よく食べ、よく慕われていた。
四人目の主君は、人間を熟知し、戦の何手先までも見通す方だった。
そして、私が最も長くお仕えした方だった。
どの戦の戦法も隙が無く、何手先までも計算され尽くされ、
的確な指示に、熟練した部下たちの強さ、どこを取っても弱点が無かった。
その中で私は、間者として少しずつ功を重ねた。
やがて、彼のご子息の指南役として仕え、戦場でも仕えるようになった。
彼には、数え切れないほどの経験と恩を受けた。
感謝しても、しきれない。
五人目の主君は、幼き頃から遊び相手として、お側に居た。
本来なら、初めから彼に仕えるはずだった。
しかし、父が勢力争いに敗れ、失脚した。
父と連なる私たち家族は国を追われ、
海を渡った先にあるという、大陸の国に行こうとした。
しかし、生き残ったのは姉と兄と私だけだった。
姉が舞妓となり、兄と私はその店の下働きをさせてもらっていた。
そして、姉はある貴族の青年に身請けされ、
兄と私を養子にしてくれたのだ。
貴族としての一通りの教育を施してもらった。
そこからは先ほど記した通り、一人目の主君に仕えetc……。
四人目の主君が亡った後、私は故郷に海を渡り命がけの帰路に立った。
当時の私の歳は、齢三十。
故郷では、もうすぐ死ぬ年齢だった。
それでも、彼に逢いたかった。
幼き頃に交わした……彼との約束を守りたかった。
ひと目見て、彼だと分かった。
無我夢中で彼のもとに走った。
彼も、私をひと目見て分かったようだった。
互いに抱きしめ合った。
彼は、涙ぐみながら
「よくぞ、生きていた。本当に良かった。」
視界は、もうぼやけて何も見えなかった。
私は、声を絞り出し
「幼き頃、あなたと交わした約束を果たしに参りました。」
そこから、短い期間ではあったが彼に仕えた。
短くとも、本当に濃い時間だった。
そして、彼は死ぬ間際に呟いた。
「貴殿と交わした約束、覚えておるか?」
「勿論でございます。」
『私が死す時は、必ず貴殿がお側に居るのだぞ。』
『はい、必ず貴方様のお側に居ります。』
老人の声のはずなのに、幼子のような声に聞こえた。
彼は、その言葉に安心したようで穏やかな顔をした。
それが、彼の最期だった。
老人の昔話を最後まで、読んでくれたことに感謝する。
最後に言葉を贈ろう。
一生とは過ぎれば、本当にあっという間だ。
時には、生を手放すことだって有りだと思う。
ただ、これだけは忘れないでほしい。
たくさん失敗して良い、たくさん迷惑かけて良い、たくさん逃げて良い、
泥臭くて良い、情けなくて良い、生きてみて。
案外、人生は愉しく……どうにか成るものだから。
金よりも大切なもの、それは縁だ。
いくら金や名声を持とうとも、
人間の幸福を満たせるものは、結局、人間関係だと思う。
自分を大切にしてくれる人に感謝出来るようになるには、
自分自身の欠点に良さを、自分自身が認めなければ為らない。
それを知らぬ人は、割りかし多いように感じた。
「断る。」
男は、平然と述べる。
「は?」
「何を言っている!」
「馬鹿げたことを!」
「現状を理解しているのか!」
同族の者たちの現実的な言葉を尻目に、男はこの場を後にする。
男が空を見上げると、月夜だった。
その月夜は……、
まるで……無謀と思われた判断が、英断であったことを示すように……
それはそれは美しく、晴れ渡っていた月夜であった。
「お久ぶりです、義兄上。」
「久しいな、芳。元気だったか?」
「はい、お蔭さまで元気です。義兄上もお変わりないですか?」
「勿論、この通り元気だよ。」
「本当に立派に成ったな、我が家の誇りだよ。」
「全て、義兄上のお蔭です。」
「私の力だけでは無いよ。芳の努力の賜物だ。
そこは、ちゃんと誇りなさい。」
「これからは、ちゃんと誇ります。」
「嗚呼、そうしなさい。」
義兄上は、いつも私に勇気をくれる。
朗らかな暖かい気持ちにしてくれる。
こういう日が、たまにあるから、また頑張れるのだな。