「もし、時間を遡れるならば何をしますか。」
「うーん、別に何もしないんじゃないかな。
というか、時間が巻き戻るなら記憶無くなるから、何も出来ないよ。」
「記憶が保てるなら、何しますか。」
「うーん、やっぱり別に何もしないかな。
だって、その後悔が無くなったら、もう、それは自分じゃないよ。
私は後悔から失ったものより、得たもののほうが多いんだよね。
それに失って、初めて、その有難みに触れることも在るよ。」
「代々一族の腐敗を防ぐために、自ら血縁者を殺す一族の出の方は、
やはり、一味違いますね。」
「なに、それ、嫌味か。」
「いいえ、違います。一般人の私より、深い回答だと感じたのです。」
「いや、お前はどう考えても、一般人じゃないないだろ。」
「あなたよりは、一般人側ですよ。」
「たしかに、そうだな。」
望まぬ、最期。
肺の空気は、もう無い。
荒波に呑まれ、船は沈んでいく。
口から空気の泡が溢れて、上へ上へと登ってゆく。
美しい。
なんと、美しいのだろう。
青く澄んだ海の中から見る太陽は眩く輝き、
空気の泡は白く透明な丸い水晶みたいだった。
今生に悔いが無いと言えば、嘘に成る。
しかし、これほど美しい光景を最期に見られたのだ。
ならば、もう生を諦めて良いと思えた。
白い布手袋をはめる。
壊れぬように、破れぬように、慎重に手記を開く。
この手記は、貴族の邸宅の地下室から見つかった。
保存状態は極めて良く、日光、湿気、乾燥などからも守られていた。
ターコイズグリーンに染められた皮の背表紙、当時の最高品質の紙、
エメラルドグリーンのインクで記されていた。
この手記の著者は、とても裕福だったことが伺える。
記さている言語は多岐に渡るが、恐らく同一人物だと思われる。
根拠としては、ラテン文字や漢字などに共通の僅かな癖が在ったことから。
全体的に文字は、とても洗練された柔らかい文体。
この文体から、女性だと思われる。
ごくありふれた日常の出来事が記されており、
交際関係は、とても華やかで複数人とそういう関係に在ったようだ。
そして、驚くべきことに最も多い内容は子どもに関してのものだった。
子どもの成長、子どもの可愛いさ、子どもの将来について、などなど
様々な子どもに関する内容が、この手記のおおよそ八割を占めていた。
子どもと過ごす時間は少なかったみたいだが、
子ども一人ひとりに関する情報量がとても多い。
実子と養子合わせて、数十人分の描写が細かく、一人ひとり記されていた。
そして、手記の表紙の見開きには『大切な日々の記憶』と記され、
手記の裏表紙の見開きには、
『世界一の宝物たちへ 世界一の幸せものより』と記されていた。
この手記の内容を解読し終わる頃には、みんな涙で顔がぐちゃぐちゃだった。
この手記の著者たる彼女は、家族のことを心から愛し、
家族たちもまた、彼女のことを心から愛していたことが伝わってきた。
こんなにも暖かく穏やかな手記は、今迄に類を見ないものだった。
私は、今迄どう家族と接していたっけ。
平和で、些細で、何気ない、私の歩む日々を大切にしたいと思えた。
この手記は『麗らかな手記』と名付けられ、博物館で展示されている。
月白の髪、紫翡翠の瞳、白磁の肌、整った特徴の無い顔立ち。
『美の権化』、そんな言葉が浮かんだ。
翠色の衣を身に纏い、その手には銀の剣を握られていた。
まだ齢十二、三の童だ。
一瞬だけ、目が合った。
僅か、一瞬。
その一瞬で、殺された。
手練れの部下が、いとも容易く、首を斬られた。
あれは、到底、人間技では無い。
洗練された、剣舞のような剣術。
どれだけ人を殺めれば、あの領域に達するのだろう。
美しいものは、皆、好きだ。
自然も、芸術も、歴史も、文化も、言語も、人も、美しい。
この世界は、時に編み出された、美しいものたちで溢れている。