変化とは、水のようである。
ある時は、波のように。
ある時は、雨のように。
時には全てを奪い、時には全てを恵む。
どんな薬も度が過ぎれば、毒となる。
流れに呑まれれば滅び、流れに乗れば栄えを生む。
それは、大いなる自然の理の縮図のように感じた。
今日は、母上が帰ってくる。
母上は、仕事の関係で家になかなか帰れない。
だから、今日は嬉しい。
家族で一番に母上に迎えたくて、玄関の前に立つ。
「若様、冷えますから…こちらを着て下さい。」
執事がコートを渡してくれた。
「ありがとう。」
私はコートを羽織る。
ガチャ
玄関ドアの鍵が開く音がして、玄関ドアが開く。
「母上、おかえりなさい。」
「ただいま、わたしの世界一の宝物!」
ギュッと、抱きしめられる。
頭にキスをされ、もう一度強く抱きしめられる。
其れが嬉しくて、嬉しくて、堪らなかった。
この時を過ぎれば、もう母上を独り占め出来なくなる。
だから、この時を噛み締めた。
可愛い弟たちと可愛い妹たちに母上を譲れるように。
「母上、大好きだよ。」
「わたしも、大好きよ。」
そして、最後にもう一度だけ母上を強く抱きしめた。
豪華さや豪勢さの無い、エメラルドグリーンで統一された邸宅。
そこに置かれる、最高品質の高尚な品々。
この邸宅に住まう家主は、家格、才能、容姿、富etc……、
恐らく、誰もが一度は欲すものを若くして、全て有した男だ。
今日は年に一度の多くの家族が集う、特別な日。
本来なら、誰もが今日を待ち遠しむに違いない。
しかし、彼ら家族は違った。
彼ら家族には、ある重大な欠陥が在った。
それは、おおよその家族なら存在する、
家族愛などの情を、互いに、全く抱いていない事で在る。
玄関の来客を知らせる、ベルが鳴る。
この邸宅に住まう男は、笑顔で家族を歓迎するふりをする。
そして、この邸宅を訪れた彼ら家族も、又、笑顔で歓迎されるふりをする。
なんとも芝居がかった、滑稽で空虚な家族なのだろう。
『平凡で家族愛のある人生』
or
『若くして多くを有しながらも、家族愛が欠陥した人生』
あなたなら、どちらの人生を選ぶ?
ゆずが香る、美しい季節と成りました。
あなたが現世を去った、あの日もこの香りが色濃く漂っていましたね。
この爽やかなゆずの香りを嗅ぐと、今でも昨日の事のように、
あなたのことを思い出します。
あなたが宝と称された、あの方は思し召した通り、
竹のように靭やかに 睡蓮のように泥の中でも咲く花へ
と、見事に成られました。
凛々しく、美しく、聡い、そのお姿はあなたを彷彿とさせます。
あなたの成せなかったことを、形にされることに尽力されて居りますゆえ、
安心してお過ごし下さい。
手紙を封筒に入れ、蝋を垂らし、封をする。
そして、その封筒を明かりの火に掛けて燃やす。
これで、彼岸にも届くでしょう。
どうか、これからもあの方を見守って居てください。
そして、どうか、彼岸ではあなたらしく、穏やかな日々を過ごせますように。
走って、走って、逃げて、逃げて……。
何に追われているか、私には分からない。
直感が警告する。
これに捕まっては成らぬと……。
無我夢中になって廊下を走り抜ける。
角を曲がった先には、モルタル調の部屋が広がっていた。
大きな白枠のすりガラスの窓から、光が差していた。
私は、その白く差す光の美しさに立ち尽くした。
何故かは、分からない。
いつもは、こんなことには目もくれないはずなのに。
この時は、とても惹きつけられた。
あっ、見つかった。
逃げなくては……。
この部屋のドアは、一つしか無かった。
気が動転し、私は血迷った。
逃げたい一心で、窓へ一直線に走った。
窓ガラスを突き破る。
すりガラスは、粉々に砕け散った。
下を見ると、森の木々が見えた。
落ちる。
そう、思った時だった。
無意識に両腕で羽ばたいていた。
両腕から白い羽が生え、翼に変わっていた。
後ろを振り返る、私を追う、
何かは私を見上げ、立ち止まった。
無我夢中に成って、上へ、上へ、上り、飛んでいた。
上空から見る 海沿いの町は小さく、
ダムから流れる水は 涼しい風を運び、
豊かな森からは、様々な鳥の鳴き声が聞こえた。
嗚呼、空を飛ぶことは こんなにも気持ちいい。
私を追うものは、もう私を追ってこない。
それは、とても自由だった。
そして、色々なものがよく見えた。
世界とは、こんなにも美しいものだった。
色々な地を放浪し、色々なモノたちに出逢った。
それは、刺激に満ち、感動的なとても幸せな日々だった。
しかし、その日々は とても孤独だった。