天から、雫が落ちてくる。
まだ雨足は弱く…傘を差すのを、ちと…躊躇った。
土は多くの水を含み、道が泥々していた。
卸したての靴には、多くの水気を含んだ…砂利と泥がへばり付く。
高値を叩いた靴に傷が付き、汚れると思うと…何気に落ち込んだ。
水は、大地を潤し…豊かにする。
大地が豊かに成れば、戦は起きにくい。
戦が起きなければ、その地の住人は…故郷を追われない。
土地を追われ無ければ、物盗りに成らずとも…生活することが出来る。
物盗りが減れば、その地は…治安が良く為る。
治安が良くなれば、その地は経済的に豊かになる。
経済的に豊かに成れば、その地は発展する。
だから、少し靴や裾が泥で汚れたぐらいで、機嫌を悪くしたくないものだ。
まあ、それは…もう少し先のことに成りそうだ。
どうやら、和多志が大人になれるのは、もう少し先らしい。
いつかは、ちょっとした災難も笑い飛ばせたらなと思った。
鳥のように成りたい。
自由に、大空を統べる鳥のように。
賢く、力強く、優雅に羽ばたく、鳥のように。
鳥だったら、足枷が在ろうとも、遠くへ行ける。
鳥だったら、なにものにも、縛られない。
鳥には、鳥の世界が在る。
きっと、私の思うような世界では……無いのだろうな。
正直、羨ましい。
何よりも、自由で居られることが……。
浅ましいことは、わかっている。
自由とは、それだけ多くを背負う。
だから、身軽とは訳が違う。
もし、生き方を選べたなら………。
一度だけ、鳥のように………自由で美しく、鮮烈に生きたいものである。
繋がり、縁、etc……
女は、それらが何よりも、嫌いだった。
なにせ、それらに常に振り回されてきたからだ。
ただ、生きているだけ。ただ、少々他者より秀でたものがあるだけ。
それだけで、命を狙われた。
だから、努めた。自分の持つ、全てを……。嫌っていた、それらまでも。
しかし、それはもう……『わたし』では無かった。
動物を愛していた…、民を愛していた…、親しき人々を愛していた…、
この国を愛して……やまなかった、
『わたし』は、もう……居なかった。
そこに居たのは、……薬を手放せない、常に仮面を被り……役を演じ続け
……他者の隙に漬け込み、他者を操り、利用し、切り捨て続けた、
空虚で、哀れで、滑稽な女だった。
そして、気付いた。
わたしの器では……、わたしのような者は……、
この地位は……、この権力は……、持たぬ方が良いことを……。
このように、成り果てた。
それは、何よりの証拠だと云うことを。
だから、愛しき……あの子に譲ろうと思った。
あの子なら、きっと……大丈夫。
あの子なら、この地位を……、この資産を……、この権力を……、
わたしの名を……、わたしの全てを……、有するに相応しい。
私とは違い、あの子は芯がある。
竹のように靭やかで、睡蓮のように泥の中でも咲き誇れる。
そんな人に、きっと成れるだろう。
暗闇が怖かった。
日が暮れるのが恐ろしくて……、一時期は夜に寝つけぬほどだった。
恥ずかしながら、今でもやはり一人だけの夜は怖い。
ただ、昔から冬の夜の空は好きだった。
幼い頃、いつも母に車で迎えに来てもらっていた。
その時間帯の冬は、もう訪うに日が暮れ、辺りは夜のように暗かった。
駐車場から家までの少し歩く距離の道。
空を、見上げる。
其処には、ネオンブルーのアパタイトが細かく砕け、
金青色の夜空、いっぱいに散らばり……輝く、数多の星。
その光景は、冬の厳しい寒さを忘れるほどに、脳裏に深く焼き付くほどに、
鮮烈で、美しかった。
目が覚めて、香を焚く。わたしの好きな香りをこの部屋に焚き染める。
此の人は、とても寂しがり。
此の人は、わたしと一緒に朝を迎えたい。
でも、其れは叶えられない。
此の人は、わたしを初めて守ってくれた人。
此の人は、わたしを初めて…心から愛してくれた人。
此の人は、わたしを初めて抱いた人。
わたしは、貴方を愛してる。でも、貴方と一緒には成れない。
もうすぐ、わたしは嫁ぐ。決められた相手のもとへ……。
さようなら、これで貴方とはお別れ。
じゃあね、愛しの貴方。
『愛してるわ。』