『ねぇ、あなたは幸せ?それとも不幸せ?』妖艶な甘い声で、問われた。
「不幸よ。」と、わたしは応えた。
『ふふ、はっきりというのね。』狼の目をした美しい女が応えた。
『あなたには、ふたつの選択肢があるわ。ひとつめは、わたしの子どもになる。ふたつめは、再び地獄のような生活に戻る。さぁ、どちらが良いかしら?』と、甘い声でわたしに問うた。
「貴女の子どもになる。」と、覚悟を決めた。
『本当にいいの?一度も、逮捕されたこと無いけれど、わたしは、何度か、事故に見せかけて、人を殺したことがあるの。』甘さの無い、真剣な声だった。
「あの生活に戻るくらいなら、なんだって良い!」意志の強さを感じられた。
『じゃあ、契約成立ね。』美しい女は、弾んだ甘い声で応えた。
あなたは、多くの人々を思い遣る人でした。そして、子どもたちにも、よくその教えを説く人でした。ただ、子どもの一人が「あなたのようになりたい。」と言うと、あなたは、はっきりと「わたしのように成るな。」と言いました。
『首切り執行人』それが、あなたの役職でした。この国では、非公式のお役目です。非公式といえば、聞こえは良いですが、ようは殺し屋、『暗殺者』でした。その中でも、あなたは最高位の『死神』と呼ばれる人でした。
その地位に就けるのは、僅か四人でした。それぞれ、銃術、棒術、剣術、体術を極めていました。
あなたは、剣術の中でも刀術を極め、四人の中で最も相手に苦痛を与えない処刑人でした。そして、最も現場を汚さなかった。血の一滴たりとも、現場に残しませんでした。もし、血が残されていたら、生存者がいるとされるほどでした。
この国での『暗殺者』の役職は、人々が安全に暮らすための仕組みでした。稀に特権階級や市民階級の富裕層の人々の一部が、賄賂などで罪が軽くなることがあります。
王や大臣たちは、その事実に警告する権力も無く、その対応策として『暗殺者』の役職を作りました。『暗殺者』とは、見張り役と始末役を兼ねた役目でした。その役職を信頼する家々に、裏家業として、血縁関係なく、実力がある者のみに就かせました。
あなたは、その役職を全うし、その生涯を閉じました。
あなたは、処刑した罪人の子どもたちを必ず引き取り、自分の子どものようにたくさんの愛を注ぎ、育てました。
そして、あなたは、よく私にこう話してくれました。
『わたしの自慢の子どもたち、わたしの宝物たち』と。とても嬉しそうに、とても幸せそうに。
「ねぇ、貴方。憶えていますか。わたしたちが初めて…会った時のことを。」
あの時の貴方は、どこか寂しげによく微笑む人でした。貴方は、わたしの知りうる、どの男の人よりも凪のように穏やかで優しい人でした。
そして、今まで知りうる どんな人よりも、貴方は心を見せぬ人でした。
貴方と初めて逢った、あの日。花蘇芳が咲き乱れる中で行われた、婚礼の儀の後のことを。
あの時のわたしは、とても不安でした。幼き頃に決まっていた方とは違い、貴方のことも、貴方の一族のことも、貴方の国のことも、なにも聞かされませんでした。
だからこそ、とても怖くて、恐ろしくて、これからのわたしの人生がどのように変化するのか分からず、不安が募っていきました。
でも、貴方が婚礼の後、こう云ってくれたのです。
「おなご…だからと、妻…だからと、男の私にむりに付き従わないでほしい。貴女らしく、生きてほしい。一緒に手を取り合い、貴女と生きていきたい」と。
貴方のその言葉でわたしは、募った不安と緊張が解け出して、涙が頬を伝い落ちました。安堵の涙でした。『嗚呼、この人で本当に良かった。』と、心から思えた時でした。
だから、花蘇芳が咲くと思い出す。最愛の貴方のとの出逢いのことを、貴方が心を開いてくれたことを、貴方と過ごした幸せな日々を。
「もしもし、お電話ありがとうございます。こちらサポートセンターです。」
「こんにちは、そちらからショートメールが届いていたので、連絡させて頂きました。」
「はい、ご連絡ありがとうございます。」
「…あの、すみません。少し、よろしいでしょうか。」
「はい、勿論です。」
「私のような者がいうのは難ですが、あまりご自分を殺さないで下さい。私はあなたのことを何も存じません。ですが、これだけは言えます。あなたは、幸せになって良い、と。あなたの過去に何があろうとも。この先、過去を問われようとも。もし、この世界にあなたの幸せと平穏を祈る者がいないのであれば、私が祈ります。どうか、忘れないで下さい。わたしは、あなたの味方です。なにが在ろうとも。」
「…はい。」なにかを堪えるように、震える声で呟いた。
「どうか、ご達者で。」上品な暖かい声で応えた。
「……、はい。」鼻がつまり、また堪えるように震えた声だった。
サポートセンターの連絡は、詐欺だった。後に、サポートセンターでの電話役の者が自首をしたことで発覚した。
その者は、後のインタビューでこう語る。私の人生を変えた出来事だった、と。見知らぬ、誰かのために思いやれる人になりたい、と…初めて思えた瞬間だった、と。
名は体を表す。
多くの場合、本当だ。私自身、そうだった。私の名には、正直者という意味が込められている。
此れは、私の話しだが親から叱られる際に『その名に恥じぬように』と言われて育った。正直者で困ったことは無く、下の子たちにもよくそう諭した。名とは、願いが込められる。私の名は、両親からの最初の贈り物だった。だからこそ、名には愛着があり、とても誇りに思う。
私の妻も、又、正しく名を体で表したような人生を歩んだ人だった。
だからこそ、名は大切だと感じる。
私たちの子どもにも、いつか名の話しをする日が待ち遠しい。